2008年06月25日
石徹白の雅楽について
もう一つ、石徹白で、こんなものを見せていただきました。

これは、雅楽の篳篥の「五常楽急」という平調の楽譜で、高山向町の小野儀作という人に伝授されたものです。
伝授した人は、宮中の楽人で安倍季誕と息子の安倍季煕という人です。
この安倍季誕という人は、弘化2年には、古川の信行寺で雅楽を伝授していることが、お寺に伝わる古文書
にてわかっていますが、高山にきていたことを証明する書状です。

古川(信行寺)に伝わる免状
また、小野儀作という人は、高山の節風社という雅楽会を朝戸円鏡氏から受継いだ人で、朝戸氏の古連に対し
新連を組織した人です。
この雅楽については、調査結果をまた発表したいと思っています。
この書状が見つかったことは、大発見でした。
徳積善太

これは、雅楽の篳篥の「五常楽急」という平調の楽譜で、高山向町の小野儀作という人に伝授されたものです。
伝授した人は、宮中の楽人で安倍季誕と息子の安倍季煕という人です。
この安倍季誕という人は、弘化2年には、古川の信行寺で雅楽を伝授していることが、お寺に伝わる古文書
にてわかっていますが、高山にきていたことを証明する書状です。
古川(信行寺)に伝わる免状
また、小野儀作という人は、高山の節風社という雅楽会を朝戸円鏡氏から受継いだ人で、朝戸氏の古連に対し
新連を組織した人です。
この雅楽については、調査結果をまた発表したいと思っています。
この書状が見つかったことは、大発見でした。
徳積善太
2008年06月24日
雅楽について
去る6月18日に、石徹白~越前大野~小松まで調査に行ってきました。
石徹白では、威徳寺へお邪魔しました。

風格のある大変古いお寺でした。
そのとき、石徹白の威徳寺に雅楽の太鼓などがあるのが目に付きました。

この威徳寺の雅楽会は、「節風社」といって、高山にあった節風社とは、由来が同じでした。
威徳寺が、廃仏毀釈のときに、廃寺になりかけていたのを、高山の神通寺のご住職 朝戸円鏡氏
が復興され、ここでお亡くなりになったことがわかりました。
朝戸円鏡氏と言えば、高山の節風社を立ち上げた方です。
その絵像が残されていました。

高山に帰り、神通寺へお邪魔していろいろと伺ったところ、「円鏡という人は、3代前の神通寺の住職で、
現在の住職の曾祖父にあたる人。晩年、威徳寺に行き、そこでなくなった。今でも交流がある。」
とのことでした。
高山の雅楽が、こちらにも波及していたということは、大発見でした。
徳積善太
石徹白では、威徳寺へお邪魔しました。
風格のある大変古いお寺でした。
そのとき、石徹白の威徳寺に雅楽の太鼓などがあるのが目に付きました。
この威徳寺の雅楽会は、「節風社」といって、高山にあった節風社とは、由来が同じでした。
威徳寺が、廃仏毀釈のときに、廃寺になりかけていたのを、高山の神通寺のご住職 朝戸円鏡氏
が復興され、ここでお亡くなりになったことがわかりました。
朝戸円鏡氏と言えば、高山の節風社を立ち上げた方です。
その絵像が残されていました。

高山に帰り、神通寺へお邪魔していろいろと伺ったところ、「円鏡という人は、3代前の神通寺の住職で、
現在の住職の曾祖父にあたる人。晩年、威徳寺に行き、そこでなくなった。今でも交流がある。」
とのことでした。
高山の雅楽が、こちらにも波及していたということは、大発見でした。
徳積善太




