江戸時代後期の雅楽の楽譜
本日、大変珍しいものを発見しました。
江戸時代後期に活躍した、旦那衆、桐山力所という人の、天保二年に授与された雅楽の譜面です。
桐山力所という人は、人物辞典によれば
「きりやま・りきしょ 文化7(1810)~安政5(1858)12.16
郷土史家。高山二之町生まれ。浄所の子。幼名は左六、後に新兵衛、新五郎、晩年は新五兵衛。
名は震。字は尉敦。通称を勘兵衛。家を倘徉園と号する。赤田章斎の門に入り詩文をよくする。
書・絵画・雅楽・茶道に通じ門人が多かった。晩年は家を中所に譲り、京都の小野宮増護大僧正
の門に入って、当時の町民としては最高の桐香院敦公法橋力所大居士の法号を受ける。
著書『飛騨遺乗合府』『飛騨群鑑』『飛州志拾遺』」
となっています。高山の豪商桐山家の1人として活躍した方で、雅楽をおそらく国学者 田中大秀に学び、
江戸時代後期に田中大秀の雅楽社中で演奏していた方です。
ところで、この雅楽の譜面は、笙の譜面で、平調(ひょうじょう)17曲、壱越調(いちこつちょう)13曲、
雙調(そうじょう)13曲、黄鐘調(おうしきちょう)9曲、盤渉調(ばんしきちょう)8曲、太食調(たいしきちょう)10曲
の合計70曲を納めた物です。
今まで、飛騨の江戸時代の雅楽は、写本をしなければいけないために、一般には、数曲しか伝授されて
いないものと考えておりましたが、これによると、田中大秀が、京都の近衛家より、殆んど全曲を伝授して
きたという証拠になります。
飛騨春秋用に書いていた原稿を書き直さなければいけない大発見でした。
徳積善太
江戸時代後期に活躍した、旦那衆、桐山力所という人の、天保二年に授与された雅楽の譜面です。
桐山力所という人は、人物辞典によれば
「きりやま・りきしょ 文化7(1810)~安政5(1858)12.16
郷土史家。高山二之町生まれ。浄所の子。幼名は左六、後に新兵衛、新五郎、晩年は新五兵衛。
名は震。字は尉敦。通称を勘兵衛。家を倘徉園と号する。赤田章斎の門に入り詩文をよくする。
書・絵画・雅楽・茶道に通じ門人が多かった。晩年は家を中所に譲り、京都の小野宮増護大僧正
の門に入って、当時の町民としては最高の桐香院敦公法橋力所大居士の法号を受ける。
著書『飛騨遺乗合府』『飛騨群鑑』『飛州志拾遺』」
となっています。高山の豪商桐山家の1人として活躍した方で、雅楽をおそらく国学者 田中大秀に学び、
江戸時代後期に田中大秀の雅楽社中で演奏していた方です。
ところで、この雅楽の譜面は、笙の譜面で、平調(ひょうじょう)17曲、壱越調(いちこつちょう)13曲、
雙調(そうじょう)13曲、黄鐘調(おうしきちょう)9曲、盤渉調(ばんしきちょう)8曲、太食調(たいしきちょう)10曲
の合計70曲を納めた物です。
今まで、飛騨の江戸時代の雅楽は、写本をしなければいけないために、一般には、数曲しか伝授されて
いないものと考えておりましたが、これによると、田中大秀が、京都の近衛家より、殆んど全曲を伝授して
きたという証拠になります。
飛騨春秋用に書いていた原稿を書き直さなければいけない大発見でした。
徳積善太