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飛騨のめでた考2

今日、めでたについて、新聞社の取材を受けました。

最も広まっているものの1つで、歴史的に一番証拠のないものの1つです。

高山めでた(一般に流布している保浅めでた。)
https://youtu.be/hDZVMqX1WOU

Q いつ頃から始まったか?
→推定ですが、江戸時代中期には、歌舞音曲禁止の時期があり、江戸の神田祭などが禁止され、山車がなくなった時期がありました。
そう考えると、文化文政期以降だと考えられます。
お伊勢参りのいいじゃないかをきっかけに全国に広まった流行歌と思われます。
高山祭の高い山の歌詞も全国にありますので、流行歌だと思われます。

Q 高山が発祥か?
それは違うと思います。歌詞には全国で使われていて節回しが違うものがたくさんあります。
花笠音頭がその例で、同じ歌詞が九州にもあります。一説には、九州で生まれ、北前船により全国に広まったとする説が一般的とされています。

福岡の祝い唄 めでた
https://youtu.be/gaWuo-QmjY4

富山県福光のめでた
https://youtu.be/JJ-kEDpCDqI

Q ミナトと呼ばれたのが発祥とされているが?
残念ながら、徳重屋の味な話でその話がされていましたが、証拠がありません。
文献情報がなく口伝情報しかありません。

神岡のめでた「みなと」
https://youtu.be/Wezda7Z5Z9A

Q 現在の形になったのは?
高山では、昭和40〜60年代に、小坂豊山さんという民謡家と保浅太郎さんという方が、それぞれ、正調めでたとして広められました。お二人とも高山民謡連合会の会長を務められ、ほぼ同時期に2、3年ずれて表彰を受けられました。
(小坂豊山さんーS57日本民謡研究会長表彰、保浅太郎さんーS60岐阜県芸術文化活動特別奨励賞(飛騨人物辞典))

小坂さんも保浅太郎さんも有名な民謡歌手で、広くめでたを流布されたので、多く歌われるようになったと伺いました。

また、消防団には少し歌い回しの違う歌い方があり、30年ほど前に、平田市長さんや市議の小林仁平さんが、消防めでたと呼ばれていた節回しがあり(寺地さん談)、今でも高山では二つの歌い方があります。

小坂さんと保浅さんの弟子 中村重信さんの高山めでた
https://youtu.be/fo_GNr6X9kM
この方のが、正調。微妙に節回しが一般に流布しているものと異なる。

ただし、地方によっても人によっても異なるのがめでたの節回しで、中村重信さんによると、小坂豊山さんは、人の歌い方にケチをつけるものではないと言われていたとのこと。

Q なぜ高山で定着したのか?
これは高山の旦那衆文化が、品のいい文化であったことによると思います。先輩から、最初は料理をしっかり食べ、隣になった方と親交を重ねることが必要。また、料理を作った方に感謝して料理をいただかなくてはいけない。また、先に胃に物を入れることで、悪酔いを避ける効能もあると教えられたことがあります。

高山の座敷料理では、必ず最初にお吸い物が出ます。これは、悪酔いを避けるためのもの。
また、御膳の箸が横に置かれていて、料理をいただく前に手を合わせ、いただきますと言う。これは、神道の考え方で、生きたものを調理していただくときに、殺したものをいただき、自分の身にするということから、感謝する意味があります。そのため、箸を真横に置くのは、結界を表すそうです。
そのため、必ず手を合わせ、感謝してからいただくという風習がそこには隠されています。

料理人にも感謝ですが、本来は生きたものを殺して自分の身になるようにいただくことへの神様への感謝の意味があります。

高山や飛騨で定着したのは、周囲を山に囲まれ、すり鉢の底のような環境に住む人たちが、互いにいがみ合いをすることなく、和を持つことを大事とした地域だからでしょう。

先輩から受け継いだ風習を大事にして、席を乱すことなく、めでたが出るまでは着座ですごし、場を乱さない。そんな風習が、定着したものだと思われます。

Q めでたの分布は?
先ほども話したように高山には二つの調のめでたがあります。
古川では、若松様と呼ばれ、調子が少し違います。
朝日には、朝日めでたがあります。清見にも清見めでたがあり、丹生川めでた、久々野めでたもあります。大体は高山のものと同じですが、ところどころ少し節の違うところがあります。
あと、変わったところでは、八日町めでた。これは、庄屋さんの歌い方が地元に伝わっているものだそうです。

神岡にもありますが、こちらはミナトと呼ばれ、調もマイナー調の暗い感じの歌い方です。材木が流れ着いたのを祝って歌ったという俗説があります。
下呂にもありますが、こちらは一度聞いたことがありますが、最初は高山と同じですが、途中から節が違いマイナー調の暗い感じになる曲です。

益田めでた
https://youtu.be/mmSqJR_XIP4

不思議なのは荘川にないこと。

また、返しというのがあり、大工さんの間で歌われていますが、最近では、お年寄りの方しか歌えません。

こちらは「葉も繁りゃこそ、若松様という」
という歌詞です。

返しめでた
https://youtu.be/xbgkYq2xMmk

Q 歌詞の意味は?
以前、下呂の方に教えていただいたことがありますが、松というのは、落ちた葉で土壌を酸性に変えるため、松山は松以外は生えないようにしてしまう特徴があるそうです。そのため、松が生えて栄えるというのは、権力者が自分の領地を増やして独り占めするような意味があると教えられたことがあります。
この解釈は人それぞれですが、そのような意味合いもあったかもしれません。

Q 変わっためでたについて。
高山のさんまち地区には独特な歌い方をするめでたがあり、これは端唄の松づくしを歌った後にめでたを歌うものです。

「歌いはやせやお大黒。1本目には一の松。2本目には庭の松。3本目には下り松…」などと数え歌になっていて、10本目まで歌ってから、めでたに入ります。
https://www.google.co.jp/search?q=松づくし&ie=UTF-8&oe=UTF-8&hl=ja-jp&client=safari

これは、今では洲岬さんの宴会か、日枝雅楽会の宴会でしか歌われないと思います。
めでたの時には拍手入れません。静かに歌うのが習わしです。

また、めでたの後には、かつては東海道宿続きを歌い、梅川忠兵衛さんを続けて歌って、会員が端唄、小唄を披露したり、座敷遊びに移るのが高山の座敷芸でした。今ではほとんど行われなくなったと思いますが、今のように酒を注ぎに出るのではなく座敷芸に移行して、座興を楽しむというのが高山のお座敷だったと思われます。

東海道宿続き https://youtu.be/5qDgce8zZhA

端唄 大津絵 https://youtu.be/zBaBj2G7GJw
この歌詞に梅川忠兵衛の物語が出てきます。

古川では、若松様の後、ぜんぜのこまんまのこという民謡が入りますが、こちらは拍手入りで歌い、最初の一行を先輩が出されると、おきまりの歌詞で皆が歌います。

若松様 ぜんぜのこまんまのこ
https://youtu.be/9Gnref94I3Q

かつて100番まであったとされますが、私が調べた限りでは70番ほどまでしかわかりませんでした。
しかし、歌詞を見ると、あの子良い子だ瓜実顔で 今度ホテルにしけこもう などという歌詞がありますので、即興で作って楽しんだものと思われます。また、年代は昭和の40年代に作られた替え歌ではないかと思います。ホテルなんていう言葉がありますからね。
https://hidasaihakken.hida-ch.com/e13572.html

Q なぜ飛騨に広まったか?

それは流行歌ですから、旦那衆などが京や江戸に出て流行りの曲を仕入れて、歌い競ったのではないでしょうか。今でもそうですが、当時の粋やトレンドを自慢する風潮があったものと思われます。
ただ、証拠がないんです。

流行歌であったことは、全国的に分布している歌詞であること。地方に伝わって調が変化したことからも、わかります。
高山祭の大八曲が、口伝で覚えて次の代に伝わる時に調が変化し、原曲ではなくなったものが多いです。そのため、その曲を大八崩しと呼んでますが、原曲とは違うものが今に伝わってます。

などとお話しさせていただきました。
めでたの分布はかなり調べましたが、証拠がなくあくまで想像の範疇を越えません。
ご存知の方、教えていただきたいです。
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