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廣瀬氏ゆかりの地1_廣瀬・姉小路首塚

今日からは、展示会に関係したものについて、お知らせいたします。

応永飛騨の乱(応永17年 1411)の際に、姉小路尹綱と廣瀬常登の二人が殺され、
首がさらされた場所として、首塚が伝わっています。

国府町広瀬町にある広瀬神社の一番南西角のところに、その首塚はあります。

廣瀬氏ゆかりの地1_廣瀬・姉小路首塚

そこには、看板が掲げられています。
廣瀬氏ゆかりの地1_廣瀬・姉小路首塚
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広瀬地蔵首塚浅黄桜の由縁

今から約六百年前後小松天皇の応永十八年(1411)室町幕府四代目の将軍足利義持公
は兵を出して南朝方の安房山清峰寺を焼き払い、同時に飛騨国司姉小路尹綱卿並びに
広瀬郷領主広瀬常登入道を攻め滅ぼし、この地にその首をさらした。
広瀬の里人は大いに嘆き悲しみ、墓をつくり桜を植え地蔵を祀って菩提をとむらった。
地蔵堂は近年新しくつくりかえられたが、お堂の左側にある古木は浅黄桜と言い昔か
ら広瀬山城守のお手植の名木と伝えられているが、現在の桜はその蘖(ひこばえ、う
ざえ)である。
またお堂の後ろに杉の大木(抱えるほどもある)が聳えていたが終戦直後の台風に
よって倒され今は大きな切り株だけが埋もれている。
この場所は高山方面と上宝船津方面の往還する荒城西街道として岡村山山麓を通過する
旅人の休憩する要所であった。
広瀬の地蔵首塚浅黄桜ともに由緒深きものとしていつまでも大切に残していきたいもの
である。
平成十四年六月   広瀬町区」

徳積善太
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