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6月17日放送分_2つある安養寺跡について

(6月17日放送分 第199回)
みなさんこんにちは。飛騨の歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは飛騨の生涯学習者第二号、わたくしながせきみあきがお届けしてまいります。

先日、滋賀県の長浜まで行ってまいりましたが、浄土真宗の教如上人の展覧会が長浜城
歴史博物館で行われていましたので、行ってまいりました。
6月17日放送分_2つある安養寺跡について
この長浜城歴史博物館には、観光バスが横付けされて、沢山の観光客の皆さんがいらっ
しゃるのが、どうしてなのだろうと思っておりました。
中高年の皆さんが、バスガイドさんにつれられてお城の建物の中に、入って行かれる。
はて、浄土真宗の教如上人がそんなに人気があるのかと思っておりました。

ひょっとして、今年が親鸞上人の750回忌ですから、京都に行くバスツアーが寄って
いるのかと思うと、そうでもない。何故なんだろうとよく考えてみましたら、現在、
NHKの大河ドラマでは浅井三姉妹の物語、「江(ごう)」をやっておりますね。
その江のふるさと小谷城のあるところが、この長浜だったんですね。
行くところ行くところで、歴史博物館などが大変ににぎわっておりました。

商工会などもバックアップして、NHKの大河ドラマの衣装館だとか、江に関する展示。
浅井家の三代にわたる戦国時代の武将についてなど、歴史に関するイベントが展開
されて居りました。

最近、6月に入りましてからは、飛騨の観光地もGWほどは賑わっていないように
思いましたが、長浜の町は沢山の観光バスが入って大変にぎわっておりました。

商工会の方にお聞きしましたら、このイベントは今年の1月からスタートして年内は
12月26日まで開かれるそうです。丁度、私が訪問しました6月9日の翌日には、江の館で
入館者数が50万人を突破するということでした。

この不景気や3月に起きました東日本大震災にも関わらず、大変な賑わいだと思いました。
かつてNHKの朝ドラ「さくら」があったときに、高山・古川は大変にぎわいましたが、
大河ドラマなどNHKの影響力は大変なものがあるなと思いました。

さて、本日の放送に入りましょう。
本日の放送は、先週予告をしましたように、「2つの安養寺」というお話をしたいと思います。

皆さん「安養寺」ってお寺をご存知でしょうか?
おそらくこのお寺の事を御存じなのは、国府町の歴史をよくご存じの方だと思います。
ご存じない方の為に、ちょっとそのお寺についてご紹介してみましょう。

JR高山線で国府町から古川町に向かいますと、国府駅を過ぎたあたりから、いきなり広く
なりますよね。
ここはかつて、荒城川が蛇行しながら流れていた土地です。
したがって、土地が非常に肥えていて、飛騨の中では有数の米作地帯です。
その右手の方に、山が連なっていますが、そこの山の裾野には清峯寺があります。
古くは、姉小路家の菩提寺として、大変有名な寺院です。
6月17日放送分_2つある安養寺跡について
その山を東の方に行きますと、以前この放送でもお話ししました、阿多由太神社があります。
その阿多由太神社のもう少し東には、半田の金毘羅神社があります。
その金毘羅神社の裏山にあったとされるのが、安寧寺と安養寺という2つの寺院です。
この山は、横河山と呼ばれている天台宗の寺院でした。
6月17日放送分_2つある安養寺跡について
天台宗の総本山は、京都と滋賀県の境目にある比叡山ですが、そこの根本中堂と呼ばれる
ところが、この横河山です。その名前が付けられている寺院です。

この安養寺のことは、その場所についてや寺院がどのようなものであったかということは、
今一つ分かっていません。
この寺院に関しての古文書や史料がほとんど残されておらず、残っているお話と言えば、
国府の国分尼寺に伝わっている大きな阿弥陀如来の坐像があります。
この仏様は、昭和39年に岐阜県の重要文化財に指定されていますが、身の丈が約2m。
台座の高さが97.5cm、仏様の顔の大きさだけでも60cmもある大変立派な仏様です。

材質はヒノキ材を使っている阿弥陀様の坐像です。この仏様は、あるとき荒城川の川の中で
光り輝いていた。それを不思議に思った農民が引き揚げてみると、なんと仏様だった。
それは、かつてここにあった安養寺の仏像ではないかという事で、その農民の手で近くに
祠を立ててそこに安置された。というものです。

江戸時代には、大坪藤兵衛(東平)によって、補作されたと云う事が伝わっており、胎内の
墨書きから慶応2年(1866)に補修されたことが分かりました。

ちょっとここでブレイクしましょう。
 曲の方は。「原田知世 時をかける少女」をお届けします。
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本日の飛騨の歴史再発見は「2つの安養寺跡」についてお話しています。

先ほどお話ししたお話は、江戸時代後期 安政5年に書かれた仏像縁起によるものですが、
それ以外にこの安養寺に関しての資料は残されていません。
明治時代に、国府の郷土史研究家 岡村利平さんは、「この仏像は、国分尼寺にあった本尊を
同寺廃絶後に、木曽垣内にあった2つの寺に安置していたのではないか」とされています。

そういったことが原因となって、国府町が国分寺にまつわる国府があったとされたことから、
明治7年に22の村が合併したときに、国府村(国府と書いて「こうむら」)と名付けられる
きっかけとなったのが、この仏像です。
この阿弥陀如来坐像が国分尼寺のものであろうという岡村利平さんの考証によるものからです。

しかし、昭和56年~58年にかけて仏像の補修が行われました。
その時には、この仏像は、平安時代のものではないかということがわかりました。
国分尼寺が造られたのが、奈良時代の事ですから、国分尼寺のものではない可能性が高まった
わけです。

また、国分尼寺については、最近の発掘調査で、高山の辻ヶ森神社の所に国分尼寺があった
ということがはっきりしました。
丁度、高山の国分寺通りにある国分寺と比較すると、真西の方角にあり、事実認証がはっきり
しました。

またこの安養寺は、かつてここにあった寺院ですが、応永18(1411)年、応永飛騨の乱
の時に安養寺も安寧寺も焼かれたと云う伝承が残っています。
その後、永禄2年にかの有名な武田信玄ノ軍が飛騨に攻め入った時に、丹生川の千光寺が焼かれ
ますが、その裏山を転がされたのがこの阿弥陀如来坐像ではないかという伝承も残っています。

さて、少し前の今年の4月の話になりますが、この安寧寺跡と安養寺跡。そして頂上にあると
されている金毘羅神社の石碑を見に、国府町史編纂室長の酒井先生と古城研究家の大門さんと
3人で上って参りました。

そもそもここに上がろうと思ったのは、今申し上げたように金毘羅神社の石碑が頂上付近にあり、
それは国府町史には掲載されていないものだということ。
そしてそれを管理されてきたのが、私の友人 加藤家の所有物であると云うことで、一度確認
しに行こうと云うことでした。
雪が残っていては山に上がれませんから、雪解けを待って上ろうということで、昨年の11月
からずっと待っていたお話だったんです。

この山に上がるには、2通りの上がり方が有ります。
1つは桐谷から安養寺跡~安寧寺跡~頂上に上がる方法。
そしてもう一つが、木曽垣内の阿多由太神社からまっすぐ上がる方法の2つです。
しかし、後者は大変急な上道であると云う事でしたので、桐谷から上がることにしました。

国府町桐谷から少し入ったところにお地蔵さまが集められて居る場所が有ります。
6月17日放送分_2つある安養寺跡について
そのすぐ東側の所に畳10畳ほどの平らな場所が2つあって、国府町史によりますと、
ここが安養寺跡という事になっています。
6月17日放送分_2つある安養寺跡について
ところが、一緒に上がった酒井先生から
「安養寺の場所はここではなくてもう1ヶ所ある。この山の上が安寧寺跡。そして頂上に
行くまでに半田側に降りると、そこに安養寺跡と書いた石碑が有る」ということでした。

一旦、頂上の金毘羅宮の石碑を確認して、山を降りるときに古墳の跡の所から半田方面に
降りていきますと、そこには、大日如来の石碑があって、その下の所には、今度は石造の
仏像がありました。
6月17日放送分_2つある安養寺跡について 6月17日放送分_2つある安養寺跡について
その台座には、ちゃんと「安養寺跡」という名称が刻まれていました。
6月17日放送分_2つある安養寺跡について

どちらが本当の安養寺跡かはわかりませんが、確かに2か所の安養寺跡が存在しました。

この山一帯には、この石造のほかに、安寧寺跡には弁天坐像や虚空蔵菩薩像の石像。
6月17日放送分_2つある安養寺跡について 6月17日放送分_2つある安養寺跡について
そして、高山の土川家で会津若松より招聘された養蚕の神様の石像。
6月17日放送分_2つある安養寺跡について
そして、加藤家の金毘羅様の石碑などたくさんの石碑がたくさんある山でした。
6月17日放送分_2つある安養寺跡について
これについての史実はほとんどわかっていませんが、古来には寺院跡として。そして江戸時代
には霊山として地元の人に守られていた山であることを知りました。

何の変哲もない山だと思っていたのが、実は数々の歴史を残している山だったんですね。
皆さんもお近くの山に登ってみて下さい。今まで知られていないいろんな歴史が潜んでいる
かもしれません。

さて、本日も時間となりました。来週は、第4週の放送となりますので、屋台の話。
八幡祭りの屋台の話から、布袋台と金鳳台のお話をお届けしたいと思います。
本日はこの曲でお別れです。
曲は「槙原則之 もう恋なんてしない」をお届けします。また来週、お会いしましょう!

徳積善太
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