HOME › 飛騨の戦国時代(姉小路~三木~金森長近など)

スポンサーリンク

この広告は一定期間(1ヶ月以上)更新のないブログに表示されます。
ブログ記事の情報が古い場合がありますのでご注意下さい。
(ブログオーナーが新しい記事を投稿すると非表示になります。)
  
Posted by at

講演会を行いました。

平成22年7月14日(水) 飛騨市総合会館において、講演会を開きました。
今回の講師は、東等寺住職の竹田雅文さん。

「姉小路氏と浄土真宗」というテーマでお話しいただきました。

姉小路氏の家来や、関係者で世の無常を感じお寺の住職となった方がおられます。

1)東等寺の開基 竹田七朗冬任もその一人です。徳長郷中野に寺院建立。

そのほかに、下記の寺があります。

2)暎芳寺(高山市下一之町)宮川是重→是心坊 白川郷中野に寺院建立


3)願念寺(飛騨市河合町新名)栗林右衛門尉教高→弘源庵教順→専慶


4)願教寺(飛騨市河合町稲越)専光坊願覚(小鷹利城主牛丸又右衛門尉重親の子)


5)祐念坊(飛騨市宮川町西忍)佐藤興四郎豊信→常観


6)向善寺(飛騨市古川町信包)

・善行寺と一向寺が対象に年に合併してできた。
善行寺の開基は基綱の家臣・松井八右衛門乗光。
一向寺は長瀧寺末で荒城郷高野の光泉寺奇覚院の明光を祖とする。

この寺院には、姉小路基綱像が安置されています。


つづく

徳積善太
  

講演会を行いました。

今日は姉小路の講演会を行いました。
東等寺の竹田さんが「姉小路氏と浄土真宗」というテーマでお話されました。

本願寺八代の蓮如上人と義兄弟だった姉小路基綱について、新事実の発表をされました。

今日のお話は、かいつまんで今週の放送で話します。
  

廣瀬氏ゆかりの地ツアー開催3

そのあと、広瀬神社に移動し、姉小路尹綱と廣瀬常登の
首が眠るという、首塚にお参りしました。


このころには大変な大雨となりました。
天も泣いているというような気分でした。


最後に、千人塚にお参りしました。


この千人塚からは、高堂城が真正面に見えるというので、酒井先生がご案内を
くださいました。



あいにくの雨でしたが、参加していただいた方には大変喜んで
いただきました。

ご参加いただきました方にはありがとうございました。

徳積善太  

廣瀬氏ゆかりの地ツアー開催2

土門跡に皆さんをご案内しました。
光寿庵跡に行きました。



土門を見るのは初めてという人ばかりで、500年前まではあった光寿庵の
鍵の手の土門を見学いただきました。

このときは、大門さんが中心となって、光寿庵跡、光寿庵砦や
陣ヶ洞砦の説明もしていただきました。
陣ヶ洞砦は、その名の通り、金森軍が陣を張ったことに由来します。
しかし、ここにはそれ以前にも砦があったと思われ、中世の遺構を
利用して、そのふもとに金森軍が陣取ったということです。



廣瀬氏一族の墓をお参りしました。
このとき、ものすごいどしゃ降りとなりました。
酒井先生も「今までツアーの案内をしてきたが、
こんなに大雨が降る中で案内したのは初めてだ」
とおっしゃっていました。


徳積善太  

広瀬氏ゆかりの地ツアー開催1

今日は、広瀬氏ゆかりの地ツアーを開催しました。

雨にもかかわらず、18名の方がご参加いただきました。
雨の合間を縫って、皆さんの熱意に、広瀬城にあがることになりました。



こんな急な堀切も一生懸命上がっていただきました。


途中、雨が降ってきたときには、傘を差してお話を聞いていただきました。


熱心におはなしをいただく、酒井先生。(国府町史編纂委員長)実は、先生は先日ポリープの
手術をされたばかりで、スタッフのほうが先生の元気さを心配するほどでした。
何事もなくてよかったです。


村山天満宮では、和佐香姫の伝説の話と、村山天神ができたあらましについてお話を
伺いました。


今回、和佐香清水にも急遽行くことにしました。
国府町史編纂委員の堀尾先生が地元ということで、ご案内いただきました。
おそらく、地元の方でもあまりご存じないのが、この和佐香清水だと思います。

つづく

徳積善太
  

清峰寺に登りました3


しばらく登っていくと、土門のようになったところがありました。
これは登ってきた敵をかく乱するための場所ではないかと思いました。


後ろを振り返ると、完全に土門の形態をしています。


左手のほうは、いくつもの郭があるような構造になっています。


木が生い茂っていて、なかなかわかりませんが、途中途中に三日月形の郭を
確認することができます。

つづく

徳積善太
  

清峰寺に登りました2

清峰寺の裏山にはお墓がありました。


山腹にいくつかのお墓がありました。


結構古いお墓のようです。


調べてみましたが、これらは江戸時代の墓のようです。


古田家のお墓です。


傍らには、お坊さんのお墓がありました。すべて尼さんのお墓です。
一番古いもので江戸時代後期。新しいもので昭和37年となっていましたから、
それまでは、尼さんがこのお寺にお住まいだったようです。90歳でお亡くなりになった
ようです。


神社の本殿にお参りして、中を写させていただきました。

徳積善太

  

清峰寺に登りました1

先日、中性の古代寺院、「清峰寺」に登ってきました。

場所は、国府町の鶴巣という地区の裏山にあります。

古川町の上気多から国府町に向かうと、山本、そしてその次が鶴巣になります。


看板が見えてきます。


入口には白山神社の石碑が立っています。
清峰寺はもともと、天台宗の古代寺院で、白山の長滝寺の末寺でした。
そのため、白山神社とお寺が一体になっています。


白山神社のお社

本堂はこのように平屋建ての建物になっています。

徳積善太  

応永飛騨の乱600年祭り_市民講演会

現在、9月に向けての準備をしています。

その前に、7/14にある「市民講演会」のデータ制作を2日間にわたって
行いました。

今度の、講演会は、「姉小路氏と浄土真宗」について
7月14日 竹田雅文さん(東等寺住職)によるお話です。

姉小路昌家の娘が、蓮如上人の第4正妻「宗如」であったことは知られていますが、
その史実をいろいろな角度で、照明する史料が発見されました。

詳しくは当日に。

なお、年齢からみて、姉小路基綱のお姉さんであった可能性が高いです。
高齢出産で、蓮周尼(1482-1503)蓮芸(1484-1523)の二人を生んですぐに
1484に亡くなっていることもわかりました。

蓮周尼(蓮如の子 画像)

徳積善太