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第5回放送/金森長近氏のまちづくりについて

む「時刻は7:30をまわっています。ひだ歴史再発見のコーナーです。月曜のこの時間はゲストをお迎えして、飛騨の皆さんが意外に知らない歴史を掘り下げていくというコーナーです。毎月最終週はいつも登場いただいています、長瀬公昭さんがお休みとなっておりますので、元飛騨春秋編集人の桐谷忠夫先生にスタジオに来ていただいています。桐谷先生こんばんは、よろしくお願いします。」
き「こんばんは、よろしくお願いします。」
む「先生はこのコーナー2回目の登場ですけども、いつもいつも何にもわかっていない私を教えていただいて。」
き「いえいえいいスピーチをありがとうございます。」
む「2人で進めさせていきますが、何もわかっていないんですよね。今日も子どもに教えるお気持ちで教えてください。」
き「よくお尋ねいただきまして。金森さんにはほとんど正確な古文書や文献は残っていないんですよ。」
む「本を先日買わせていただきまして、『不殺の軍扇 金森長近』ですよね。わからないところはお聞きして進めたいと思います。高山は多くの観光客の皆さんが来られていますが、高山の町は、いつ頃できたのですか?」

き「金森長近さんが、秀吉の命によって高山に入ってきて高山の城山に城を築き、城下町を造った。しかしそれより五十年も前に高山外記という方が天神山に城を作ってちょっとした町を作ったという話があります。しかし、文献や証拠が何もない。おそらく水道山の辺りだといわれています。
ただ観光客が楽しんでいただいている古い町並みは長近と可重が都市設計をした。それはいまから四百年ほど昔のことです。」
む「古い町並みのあたりは当時の面影があるのだと思いますが、ヒッツFMの辺りは風景が違ったんでしょうね。いまから四百年前に城下町の基礎ができたんですよね。」
き「現在の城山という山に築城するときに、山を削った。その場所は現在の馬場町や吹屋町のあたりですが、その部分を削って、川原へ落とした。そこが今の三町あたりです。宮川の河川敷を埋めて川の流れを変えたんです。」
む「裏手にある川原町は、川ギリギリに町ができていますが、そこが川原だったんですか?」
き「今調べようとすると、立替の縁の下や土台を作るのをみると、砂地、石ころだらけです。宮川の本流は今の一之町あたりを流れていたのではと想像できます。」
む「今は堤防がしっかりしていますが、昔は川もあっちこっちに行っていたのでしょうか。」
き「神明町の辺りから蛇行(だこう)があったのは間違いない。ただ、砂礫の上に埋め立てて町をつくっているので地下は河川床の砂地なんです。これが水を浄化して地下水がきれい。いい地下水があるから、お酒が造れる。水がいいからお醤油もできる。それにほれた昭和の調理師がこのたまりで『しなそば= 中華そば』を作った。そのスープの味は、金森さんが埋め立てて作ってくれたお陰ともいえるのです。それは水のおいしさなんです。」
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第4回放送/飛騨の匠市民講演会について
む「時刻は7時30分をまわりました。この時間はひだ歴史再発見! のコーナーです。今日も長瀬公昭さんと共にすすめたいと思います。長瀬さんこんばんは」
な「こんばんは。よろしくお願いします。」
む「よろしくお願いいたします。高山祭と古川祭も終わりまして、ようやく一息といったところですか。」
な「そうですね。やっと終わりましたね。」
む「古川祭りも終わりましたね、両日ともいい天気だったようですね。」
な「そうですね。前日には雪の予報が出ていて、山の方では雪が降って、心配されたようですが、珍しく両日とも晴れましたね。」
む「古川祭りは、雨が降るものなんですか?」
な「そのようですね。古川の人達は、『2日とも晴れたもんで勝手が違って、えらかった』って言っておられました。」
む「長瀬さんは、古川祭りは参加されたのですか?」
な「店をやっているので、そちらの店番でした。夜は、打ち出しに行きましたが、やっぱり、古川祭りの見所は、起こし太鼓。しかも、打ち出しを見る事ですね。」
む「私も見た事があるんですが、厳粛な中に重々しい雰囲気がいいですね」
な「そうですね。私もここ5年くらい毎年見ていますが、最初の打ち出しから、乱れ打ちがたまらなくいいですね。お腹にドンと響く、ああ、これで一年が始まったと思うようになりました。古川の人に会ったら、『あけましておめでとう』って言われましたよ。古川の人は、一年が祭に始まり、祭に終わるんですね。」
む「その起こし太鼓ですけど、高山のように屋台組が運営するのですか?」
な「古川の場合は、高山と少し違って、『屋台主事』と『起し太鼓主事』の2つがあります。どちらも厳粛な抽選で決まります。同時に2つともあたる場合もあるそうですが、『起し太鼓主事』の方は、古川の気多若宮神社の氏子を4つに割ってそれぞれ方位を示す、『玄武』『朱雀』『青龍』『白虎』の文字が当てはめられています。これは、戦後始まったことだそうです。
そこには、区域毎に数屋台組があって、そこが太鼓の主事を運営します。主事を受け持つとそれはそれは大変で、資金集めから献酒集めから、人の割り振りから、何から何までこなさなければいけません。献酒の本数でその組の良し悪しが決められるようなところもあって、主事を受けた皆さんは毎年必死になっておられます。今年は、向町の朱雀組の運営でしたが、高山まで献酒を集めに来られていたようです。
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第3回放送/古川祭について

村田「高山祭り終わりましたね。長瀬さんも、氏子としてお出になったんでしょう。お疲れ様でした。」
長瀬「はい、疲れました。今年はいつもより少し寒い春祭りでしたね。毎年のことですが、疲れました。」
む「先日、お話しましたように、舞と雅楽で参加されたんですよね」
な「はい。私は、日枝雅楽会に所属していますので、采女の担当をしています。お蔭様で子供達が立派な舞を披露してくれました。また、雅楽としては、朝の拝殿での神事と、14日夜の夜祭(やさい)の2回参加しました。そのあと、すぐに着替えて、自分の屋台の夜祭(よまつり)に参加しました。
次の日は、自分の屋台組みとして神楽台の「橋渡し」という行事と、そのあと裃に着替えて警固に参加しました。
今年は、昔なら喧嘩になりそうな場面があって、4月15日は、日枝神社と一本杉白山神社、天満森、東照宮と4つもお祭が同時に開催されるんですが、15時頃に陣屋前で一本杉の行列が日枝の行列を止めました。今は紳士的に、どちらか先の方が、待つようになっていますが、昔の信仰の熱い時期には、どちらが先で、どちらの神様が偉いなどと、口論になり、喧嘩になったそうです。その後、紳士協定で、事前に宮本が打ち合わせて、時間が重ならないようにするらしいのですが、今回、闘鶏楽を少し長めにやったところ、5分ほど時間が遅れて、陣屋前で鉢合せになったというわけです。昔なら喧嘩が始まるところだったでしょうね。」
む「へえ、そうだったんですか。でも、相変わらず、一人何役もやっておられるんですね」
な「そうなんです。今では、氏子区域内も若い方が少ないので、私などはあちこちへ参加して何役もこなします。多い時には、雅楽装束、法被、白丁、裃と4~5回着替える事があります。」
む「そういう影の努力が高山祭りを支えているんですね。お疲れ様でした。」
な「ありがとうございます」
む「さて、今度は、飛騨としての大きな祭りは古川祭りですね。」
な「そうですね。飛騨地方は、何時の頃からかわかりませんが、山王祭を契機にして、春は、次第に祭区域が北上すると言う面白い状態になっているんですよ。古川などは昔は夏祭だったようですが、今は4月19・20日に開催されています。そのあと、田舎地区の祭礼が5月まで続き、神岡の大津神社の祭で一区切りですね。」
む「へえ、気が付きませんでした。」
な「祭りとなると、神社の神官の人達も大変で、今日はこっちの祭りの手伝い、明日はあっちへと、走り回られるのもこの頃です。おそらく、神官の人達のスケジュール調整でこうなったのかもしれません。」
む「さて、その古川祭ですが、4月19・20日の開催と聞いていますが、本当は21日もあったらしいですね。」
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第2回放送/屋台と飛騨の匠展について
第2回の放送が終わりました。この日は、飛騨の匠展実行委員会 副実行委員長の野尻さんをお迎えしての放送でした。
村田「まもなく高山祭りが始まります。先週は、私がいっぱいしゃべってしまいましたね。」
長瀬「そうでしたね。先週は、舞についてお話しました。」
む「早速ですが、先日行なわれた市民勉強会。たくさんの人でしたね。」
な「お蔭様で、大盛況の内に終える事ができました」
む「私も拝見しましたが、私のようなものでもわかる、大変興味のわいた、わかりやすい講演会でした。それにしても若い人が多かったですね。」
な「そうですね。私も選挙の各陣営の総決起大会ということで、皆さんお忙しくて、10人くらいかと思ったら、結構な人があった。しかも、若い方の多いことには、関心の高さを物語ると思いました。」
む「さて、今週末にいよいよ迫った、高山祭りですが、あちこちで準備が行なわれていますね。今週も高山祭りの話題をお届けしたいと思います。」
な「そうですね。なるべくわかりやすく、お伝えしたいと思います。ところで、恵子さん。高山祭りのイメージって何色ですか?」
む「そうですね、赤、金、黒でしょうか?」

な「それって屋台の色から来ていますよね。ところが、昔180年前の屋台の色は赤がなかったんです。あの赤い幕は猩猩の血で染めたという赤い幕ですが、ビロード状の幕ですよね。あれが高山へ入ってきたのは天保時代以降なんです。それまでは、紺色や絹の幕だったようです。水色とかのね。郷土館の資料(屋台絵図)にあります。古川には『黄鶴臺の幕』が保存されています。

紺地に金糸刺繍の「青龍台幕」(旧黄鶴台幕)( 飛騨古川まつり会館保管)
村田「まもなく高山祭りが始まります。先週は、私がいっぱいしゃべってしまいましたね。」
長瀬「そうでしたね。先週は、舞についてお話しました。」
む「早速ですが、先日行なわれた市民勉強会。たくさんの人でしたね。」
な「お蔭様で、大盛況の内に終える事ができました」
む「私も拝見しましたが、私のようなものでもわかる、大変興味のわいた、わかりやすい講演会でした。それにしても若い人が多かったですね。」
な「そうですね。私も選挙の各陣営の総決起大会ということで、皆さんお忙しくて、10人くらいかと思ったら、結構な人があった。しかも、若い方の多いことには、関心の高さを物語ると思いました。」
む「さて、今週末にいよいよ迫った、高山祭りですが、あちこちで準備が行なわれていますね。今週も高山祭りの話題をお届けしたいと思います。」
な「そうですね。なるべくわかりやすく、お伝えしたいと思います。ところで、恵子さん。高山祭りのイメージって何色ですか?」
む「そうですね、赤、金、黒でしょうか?」

な「それって屋台の色から来ていますよね。ところが、昔180年前の屋台の色は赤がなかったんです。あの赤い幕は猩猩の血で染めたという赤い幕ですが、ビロード状の幕ですよね。あれが高山へ入ってきたのは天保時代以降なんです。それまでは、紺色や絹の幕だったようです。水色とかのね。郷土館の資料(屋台絵図)にあります。古川には『黄鶴臺の幕』が保存されています。

紺地に金糸刺繍の「青龍台幕」(旧黄鶴台幕)( 飛騨古川まつり会館保管)
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第1回放送/飛騨の匠と市民勉強会について
皆様、聞いていただけましたでしょうか?
今回、初めての放送と言うことで、結構緊張しました。
シナリオを作らずにはじめてしまいましたので、お聞き苦しかったかもしれません。
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今回は、このコーナーについてのご紹介に始まりました。前半部は
私の歴史とのかかわりについて
1)高山祭りの山王祭の神楽台組に所属
2)山王祭の雅楽会に所属 龍笛を担当
3)山王祭の采女(神殿前で舞を舞う)の指導を担当
村田恵子ナビゲーターも天満神社で浦安の舞をやられていたようですが、浦安の舞は、紀元2600年を記念して昭和17年ごろに全国の神社で指導されました。
ところが、日枝神社と八幡神社は、浦安の舞を採用しておりません。
日枝神社は倭舞 求子の舞(もとめごのまい)を昭和44年ごろから宮内省の楽部で作って頂いて奉納しています。八幡様は、櫻山の舞を奉納しています。
浦安の舞は鈴と扇を使いますが、日枝の求子の舞は何も使用しません。(八幡は特殊な鈴を使用します。)
そういうお話をしました。
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古川の歌手「向林利明 さんの『タクミ』」を間に流させていただきました。
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後半は、4月6日に飛騨の匠学会で「市民勉強会」を開催します。
その勉強会で講師を勤めていただく桐谷忠夫先生にゲスト出演していただきました。
先生には、「古代ロマン 飛騨の匠の変遷」と称して、講演をいただきます。今回は、その一部として
・両面宿難はソマの棟梁だった。
・5世紀頃の、仁徳天皇の時代から、飛騨の人間は中央から悪人と思われていた話。
・全国に飛騨の匠が広がって行った話。
・「かにかくにものは思わじひだびとの 墨縄の道 ただひとすじに」という万葉集の話
などのさわりについて、お話いただきました。
飛騨の匠市民勉強会は、4月6日午後7時より 飛騨センター ミニシアターにて 入場無料です。
今回、初めての放送と言うことで、結構緊張しました。
シナリオを作らずにはじめてしまいましたので、お聞き苦しかったかもしれません。
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今回は、このコーナーについてのご紹介に始まりました。前半部は
私の歴史とのかかわりについて
1)高山祭りの山王祭の神楽台組に所属
2)山王祭の雅楽会に所属 龍笛を担当
3)山王祭の采女(神殿前で舞を舞う)の指導を担当
村田恵子ナビゲーターも天満神社で浦安の舞をやられていたようですが、浦安の舞は、紀元2600年を記念して昭和17年ごろに全国の神社で指導されました。
ところが、日枝神社と八幡神社は、浦安の舞を採用しておりません。
日枝神社は倭舞 求子の舞(もとめごのまい)を昭和44年ごろから宮内省の楽部で作って頂いて奉納しています。八幡様は、櫻山の舞を奉納しています。
浦安の舞は鈴と扇を使いますが、日枝の求子の舞は何も使用しません。(八幡は特殊な鈴を使用します。)
そういうお話をしました。
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古川の歌手「向林利明 さんの『タクミ』」を間に流させていただきました。
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後半は、4月6日に飛騨の匠学会で「市民勉強会」を開催します。
その勉強会で講師を勤めていただく桐谷忠夫先生にゲスト出演していただきました。
先生には、「古代ロマン 飛騨の匠の変遷」と称して、講演をいただきます。今回は、その一部として
・両面宿難はソマの棟梁だった。
・5世紀頃の、仁徳天皇の時代から、飛騨の人間は中央から悪人と思われていた話。
・全国に飛騨の匠が広がって行った話。
・「かにかくにものは思わじひだびとの 墨縄の道 ただひとすじに」という万葉集の話
などのさわりについて、お話いただきました。
飛騨の匠市民勉強会は、4月6日午後7時より 飛騨センター ミニシアターにて 入場無料です。
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先生のリクエスト曲は、「飛騨山娘」でした。思い出の曲、今後広めたい曲ということで、ビルトーゾオーケストラの演奏をお届けしました。
次回は、4月9日月曜日です。180年前の高山祭りや、屋台彫刻についてお伝えします。
(徳積善太)