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さんまち用水について10_下三之町編

上三之町の水も、安川通りで暗渠になり、安川通りをまたぎます。


東側の水は、福田屋前から十六銀行方面へ暗渠で移ります。


西側の水も、暗渠でつながれています。


江名子川へは、一本になって流れています。
これは、手前のところで、西側が東側に流れるような仕組みになっていて、江名子川
へは、一本で流れるためです。
おそらく、川があふれたとき、逆流を防ぐために、一段低い形になって流れ込むような
仕組みになっています。

徳積善太
  

さんまち用水について9_下二之町編

さんまち用水の水は、上二之町から下二之町へと、安川通りを暗渠でまたぎます。


上二之町から暗渠で流れるさんまち用水(東西どちらの水も暗渠で移ります)
平田時計舗前で、上二之町を望む


江名子川に突き当たると、暗渠で橋の下を渡り、大新町方面へと流れます。(東側)


西側も江名子川に突き当たると、暗渠で橋の下を渡り、大新町方面へと流れます。


有名な日下部邸・吉島邸の前の水は、この「さんまち用水」の水です。

徳積善太



  

さんまち用水について8_寺内町編


暗渠のまま下一之町通りへと流れ、金鳳台の前では、本通と裏通りへ別れています。

今日、お知らせするのは、旧寺内町方面(下一之町裏通り)についてです。


裏通りに行くのは、旧寺内町へと流れていきます。


旧寺内町方面に行く水は、別院方面からの水と合流します。


たかしん本店裏のところが、旧寺内町通りですが、そこへも水は流れています。


そちらの水は、江名子川につきあたると、江名子川に流れています。

徳積善太  

さんまち用水について7_下一之町編

さんまち用水は、安川通りのところで、暗渠に入り、上町から下町へ移動します。


安川通りを暗渠で渡る、用水。(上一之町~下一之町)


暗渠のまま下一之町通りへと流れ、金鳳台の前では、本通と裏通りへ別れています。

下一之町本通りについて、お知らせします。旧寺内町方面については明日。


本通り東側は、下一之町の江名子川との合流点で、暗渠になり、橋の下を渡ります。


そして、その水は、大新町方面(野畑茶舗前)へと流れていきます。


また、この場所は、工夫がされていて、水が多い場合は、江名子川に流れ込む
仕組みも作られています。


一方、下一之町西側も、大新町方面へ暗渠でつながっています。

徳積善太
  

さんまち用水について6


上一之町東側の側溝(うちの前です)
最近は、水が流れないことも多くて、石や砂がたまり、草が生えることがあります。
これでは、意味がないですよね。


上一之町下 東側の側溝(郷土間前)

上一之町は、えび坂の下でほぼ120度に曲がっていますので、雪を流すとえび坂下でよく
詰まることがあり、それより上流が水びだしになることがありました。


上一之町下 西側の側溝(都屋前)


上二之町下 東側の側溝(川尻酒造前)


上二之町下 西側の側溝(平田記念館前)


上三之町下 東側の側溝(山愛前)


上三之町下 西側の側溝(森林製菓前)


この森林さんのところの側溝は工夫がしてあり、水があふれた場合、片原町方面へ
逃げるような仕組みになっています。


片原町下 の側溝

片原町は、片側にしか水の流れる側溝はありません。もう少し下へ行くと、家の前に
側溝がある場所がありますが、それには水は流れていません。

つづく

徳積善太
  

さんまち用水について5


神明町を北上した水路は、暗渠で、神明駐車場のところまできます。

ここは、現在は、歩道になっていますが、かつては、表にむき出しになっていた川でした。
野球をやっていると、さく越えしたボールがよくこの溝に入って、身を乗り出して取ったものです。

水は、ここで、上一之町東側への分水と主流は市制記念館方面へ行きます。


市制記念館の手前で、水間たばこてんの方へ暗渠が迂回しています。
たばこ店のところで、上一之町西側と上二方面へ分水しています。


市制記念館前。ここはかつて、本流が流れていましたが、いまは、水を調節して少しだけ
流れるようにしています。

かつては、この部分に主流が流れ、上二之町、上三之町へ分水されていました。
平成4年ごろに改修され、暗渠を流れるようになりました。


州さき前

ここでは、かつて、三之町方面と片原町方面へ分水していました。


中橋側のところ

余った水は、この中橋東詰めのところで、宮川に戻る仕組みになっています。


暗渠から上二之町への分水


暗渠から、上三之町・片原町方面への分水


暗渠から、片原町方面への分水。
ここは以前のままで、片原町が中橋のところから坂になっているので、深い溝になって
います。おそらく三町で一番深いのではと思います。

ここは私の思い出の溝で、小学校のとき、自転車ごとここへ突っ込んだことがあります。

つづく

徳積善太

  

さんまち用水について4



ちょうど、和楽美そばさんの前で、対岸に渡ります。ここは暗渠です。


神明町を過ぎると、用水は、一路まっすぐに三町のほうへ向かいます。
昔、このあたりには、水のたかさと同じくらいのコンクリートや石のステップがあって、
そこで、食器を洗ったり、洗濯したりする場所がありました。
昭和40年代には、そういう光景が見られた場所です。


神明町のところにある、お不動様。ここで、城山から流れてきた水が合流しますが、
水量を調整できるように水門が設けられています。
昔、この水門を勝手にあけて、近所のおじさんにものすごく怒られたことがあります。
いまでも、この城山の水路には、サワガニがいます。自然を守ってもらいたいです。

つづく

徳積善太
  

さんまち用水について3

森下町を抜けると、今度は神明町に入ります。

神明町の旧三星製糸場の裏のところに、調整の水門があります。
昔、ここでは、製糸をするための機械を起動させる水車が並んでいたところです。
その動力を利用して、製糸が行われていました。


製糸産業が発展することで、そういった動力源となる機械の開発も行われ、地元では
特許が取得されるなどして、水源を動力に利用していました。写真は三星製糸裏のところ。


製糸場裏のところでは、今でも結構深い水路を見ることができます。
ここに4台から5台の水車がかつては並んでいました。


枡形橋のたもとのところでは、民家の中を通っています。
Hさん宅では、自分の敷地内の水路を利用して、かつては、ここが料亭だったので、
鯉が飼われていました。昭和49年頃の話です。


完全に個人の敷地の中を通っています。


いまは暗渠に入れられていて、そこは神明公民館の駐車場になっていますが、かつては
ここには、川がむきだしになっていました。

つづきは明日

徳積善太


  

さんまち用水について2

この「さんまち用水」ですが、水源は、宮川の片野町へりにあります。


場所は、山王橋の少し上流のところ、市営片野住宅の裏のところにあります。
(もう一つの水源は、石浦にもありますので、そちらは、後日お知らせします。)


山王橋の下をくぐって、森下町に入ります。


それが、森下町に入って、水量調整の水門を通ります。
この水量調整水門が、うまくできていて、多すぎる水をここで調整し、余った水は宮川へ
返す働きをしています。


用水は、閑静な住宅街を抜けます。

つづきは、明日。

徳積善太


  

さんまち用水について1

高山のまちには、必ず川に水が流れています。


これって、どうしてあるかご存知ですか?

今日も、修学旅行の生徒さんがいらして、その辺をお話しました。

この用水は、「さんまち用水」といって、大野郡史には下記の記述があります。

「享保八年  高山三町用水を通す

 享保八癸卯、午の病時行多く視す、三町用水溝初る、  (押上氏年代記)
 享保八、三町用水溝始る、              (渡辺平蔵年代記)
 同八卯年、高山三町用水新規堰入、矢島氏発起、世話人大工松田太右衛門、
三町溝堀通に付、一之町下板屋高垣屋両組難渋之旨、申上といへども、矢島氏
利害申聞にて済、                          (紙魚のやとり)」

なんと、飛騨の匠 松田太右衛門が作っていることがわかりました。

徳積善太