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山岡鉄舟の法要がありました。

幼少時代を高山で過ごした「山岡鉄舟」の法要が7月19日に宗猷寺でありました。


この法要は、山岡鉄舟顕彰会(蓑谷穆会長)によって、毎年鉄舟の命日に行なわれている
もので、今年で4年目になるそうです。

たくさんの皆さんがお参りに来られていました。


宗猷寺和尚様の導師で法要の勤行をいただきました。



終了後、東京の山岡鉄舟研究家 山本先生の記念講演がありました。
毎年、先生が来られて山岡鉄舟のお話をされているようです。


お話の内容は、「武士道について」
そもそも、武士道と言うのは、比較的新しくて、新渡戸稲造が外国人に武士道を紹介するために
明治33年に英語で出版したものが最初。その後、日本語日本翻訳されたものが出版されたが、
「バター臭く」て日本人には好まれなかった。

その後、山岡鉄舟が「武士道」について書いたものを出版したが、こちらの方が本物の武士が
書いているということで日本人にはなじみがあり、人気があった。 とのこと



今後、高山の人は、外国に高山を紹介するときに、「高山の文化や珍しいところはどこか」、
「日本のこころはどこにあるのか」ということをわかりやすく紹介する事が大切。ということを
おっしゃっていました。


当日、山岡鉄舟の御両親の位牌が披露されました。
小野朝右衛門夫妻の位牌です。お墓は、境内にありますが、位牌がこちらにあることは私も
知りませんでした。




今回の講演に際して、水口先生から「井上虎清」という鉄舟の剣の先生が揮毫されたものが
秋田県で発見され、たまたまお借りしてきたということをご披露されました。



最後に、宮の方が、その井上虎清と鉄舟の揮毫が家にあるということで御披露されました。
鉄舟の書が「舞鶴」
虎清の書が「雲上」
両方で一対となっており、「舞鶴雲上」という言葉になります。


平日のお昼の講演会でしたが、参加者の皆さんは、鉄舟に対してそれぞれの思いで、散会と
なりました。

徳積善太