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4月3日は、雛祭りの日です。
「ひなさまみーしてくーれんか。おぞーても褒めるに!」
昔から飛騨では、こういいながら子供たちが各家を回って、雛様を見せてもらい、お菓子をもらってくるという、「がんどうち」という行事がひらかれています。
一カ月遅れの雛祭り。飛騨は雪が溶けるのが遅く、ようやく4月になって春らしくなることから、雛祭りも1カ月遅れで開催されます。
あちこちの家では、おひなさまを飾って、娘たちの無病息災を祈ります。
この「がんどうち」最近では行なわれている地域が少なくなりましたが、分布は、広く金山のあたりまではこの行事があったようです。
現在金山でも福来地区だけになったと教えていただきました。
宮村では、生き雛祭り。高山では、観光イベントとして雛様の展示がされています。
http://hida.keizai.biz/headline/134/
八ツ三館のおひなさま
今日は3月3日ひままつりの日です。飛騨地方では、ひなまつりと端午の節句、七夕は旧暦で
お祝いするので、一カ月遅れの4月3日ですが、最近は、どの家もお雛様を3月3日に飾る
ようになりました。
配達の途中で、古川の八ツ三館さんのおひなさまを見せていただきました。

玄関には、スタンダードですが大きなおひなさまがお出迎え。

八ツ三館ならではの、櫓つきのおひなさま。これは明治年間の制作です。

上段部分はこのようになっています。

おひなさまが中に鎮座されています。

館内にはいたるところにおひなさまが。陶器のおひなさま。

こちらも陶器のおひなさま。

かわいらしい、ミニチュアのおひなさま。

こんなに小さなおひなさまもあります。

手水鉢の上にもおひなさまが。

奥の料亭の部屋の前にも大きなおひなさまが飾ってあります。

各部屋にもおひなさまが。

業者ならではですね。こんなふうに各部屋に入らせていただけるなんて。

夜は、ショーウィンドウのぼんぼりに灯りが灯ります。
このおひなさま。昼間は珈琲とセットでお楽しみいただけます。
ぜひ、お越しください。
飛騨市古川町向町 八ツ三館
0577-73-2121
http://www.823kan.com/
徳積善太
お祝いするので、一カ月遅れの4月3日ですが、最近は、どの家もお雛様を3月3日に飾る
ようになりました。
配達の途中で、古川の八ツ三館さんのおひなさまを見せていただきました。
玄関には、スタンダードですが大きなおひなさまがお出迎え。
八ツ三館ならではの、櫓つきのおひなさま。これは明治年間の制作です。
上段部分はこのようになっています。
おひなさまが中に鎮座されています。
館内にはいたるところにおひなさまが。陶器のおひなさま。
こちらも陶器のおひなさま。
かわいらしい、ミニチュアのおひなさま。
こんなに小さなおひなさまもあります。
手水鉢の上にもおひなさまが。
奥の料亭の部屋の前にも大きなおひなさまが飾ってあります。
各部屋にもおひなさまが。
業者ならではですね。こんなふうに各部屋に入らせていただけるなんて。
夜は、ショーウィンドウのぼんぼりに灯りが灯ります。
このおひなさま。昼間は珈琲とセットでお楽しみいただけます。
ぜひ、お越しください。
飛騨市古川町向町 八ツ三館
0577-73-2121
http://www.823kan.com/
徳積善太
松の内について
しらなかった。しめ縄は、7日までが普通につけておくものだと思ったら、関東と関西で違うんですね。
「関東関西で松明け(松の内)は違いますね。
ま~風習ってのは、法律で定めた物でもないし、宗教の教えの様に教祖が決めた様な縛りも無い、
起源は宗教絡みかもしれないが、地域地風土/文化に合わせ進化して行くるもので、
誰かが何かのキッカケに新しい風習を作り地区に広まるとか違っていて当たり前だと思ってます。
例)大阪と横浜じゃお盆も時期が違うし、関東の酉の市は関西には無いし、逆に関西の十日戎は関東には無い。
○大阪のお正月
松の内:元旦~1月15日(小正月)まで
七草粥:1月7日
鏡開き:1月20日(一部の商売関係者では1月11日もあり)
小豆粥:1月20日
○横浜のお正月
松の内:元旦~7日まで
七草粥:1月7日
鏡開き:1月11日
古い伝統では、
【松の内】大正月(元旦)~小正月(1月15日)
【左義長】(とんど焼き)1月15日
【鏡開き】1月20日
だったそうですが、
徳川三代将軍家光が1月20日に亡くなったので鏡開きを1月11日に変えたとか、
松の内が終わる前の11日に鏡開きするのも不自然なので松の内も7日に変えたとかで、
上の方が言われているように個人(家)の事情が最初のキッカケでしょう、
関東の風習も徳川将軍家の出来事がお膝元の江戸全般に広がったが、遠い地区には広がらなかった。
って事も言えます。

「関東関西で松明け(松の内)は違いますね。
ま~風習ってのは、法律で定めた物でもないし、宗教の教えの様に教祖が決めた様な縛りも無い、
起源は宗教絡みかもしれないが、地域地風土/文化に合わせ進化して行くるもので、
誰かが何かのキッカケに新しい風習を作り地区に広まるとか違っていて当たり前だと思ってます。
例)大阪と横浜じゃお盆も時期が違うし、関東の酉の市は関西には無いし、逆に関西の十日戎は関東には無い。
○大阪のお正月
松の内:元旦~1月15日(小正月)まで
七草粥:1月7日
鏡開き:1月20日(一部の商売関係者では1月11日もあり)
小豆粥:1月20日
○横浜のお正月
松の内:元旦~7日まで
七草粥:1月7日
鏡開き:1月11日
古い伝統では、
【松の内】大正月(元旦)~小正月(1月15日)
【左義長】(とんど焼き)1月15日
【鏡開き】1月20日
だったそうですが、
徳川三代将軍家光が1月20日に亡くなったので鏡開きを1月11日に変えたとか、
松の内が終わる前の11日に鏡開きするのも不自然なので松の内も7日に変えたとかで、
上の方が言われているように個人(家)の事情が最初のキッカケでしょう、
関東の風習も徳川将軍家の出来事がお膝元の江戸全般に広がったが、遠い地区には広がらなかった。
って事も言えます。
節分祭の案内が来ました
節分祭の案内について
水無神社から節分祭のご案内が届きました。

今年の節分祭は2月の2日、3日、午前8時より午後6時まで斎行されるそうです。
初穂料は、正会員3000円、家族会員、5000円、名誉会員1万円、神寿会員2万円、福寿会員3万円となっています。
正会員以上の節分祭会員になると、名簿を神前に奉安して開運厄除、家内安全、除福招福のご祈祷を毎月1日、15日に斎行する月次祭において、1年間厳修下さり、満願になりますと、満願神符がいただけます。

都合により、当日参拝ができない方も、水無神社に住所氏名を記入し、祈祷料を添えて社務所に提出しますと、お参りをいただけるようです。

今年の厄の方は
<男性>
前厄 本厄 後厄
昭和27年(1952)昭和26年(1951)昭和25年(1950)
60歳 61歳 62歳
昭和46年(1971)昭和45年(1970)昭和44年(1969)
41歳 42歳 43歳
昭和63年(1988)昭和62年(1987)昭和61年(1986)
24歳 25歳 26歳
<女性>
昭和51年(1976)昭和50年(1975)昭和49年(1974)
36歳 37歳 38歳
昭和55年(1980)昭和54年(1979)昭和53年(1978)
32歳 33歳 34歳
平成6年(1994)平成5年(1993)平成4年(1992)
18歳 19歳 20歳
徳積善太
水無神社から節分祭のご案内が届きました。
今年の節分祭は2月の2日、3日、午前8時より午後6時まで斎行されるそうです。
初穂料は、正会員3000円、家族会員、5000円、名誉会員1万円、神寿会員2万円、福寿会員3万円となっています。
正会員以上の節分祭会員になると、名簿を神前に奉安して開運厄除、家内安全、除福招福のご祈祷を毎月1日、15日に斎行する月次祭において、1年間厳修下さり、満願になりますと、満願神符がいただけます。
都合により、当日参拝ができない方も、水無神社に住所氏名を記入し、祈祷料を添えて社務所に提出しますと、お参りをいただけるようです。
今年の厄の方は
<男性>
前厄 本厄 後厄
昭和27年(1952)昭和26年(1951)昭和25年(1950)
60歳 61歳 62歳
昭和46年(1971)昭和45年(1970)昭和44年(1969)
41歳 42歳 43歳
昭和63年(1988)昭和62年(1987)昭和61年(1986)
24歳 25歳 26歳
<女性>
昭和51年(1976)昭和50年(1975)昭和49年(1974)
36歳 37歳 38歳
昭和55年(1980)昭和54年(1979)昭和53年(1978)
32歳 33歳 34歳
平成6年(1994)平成5年(1993)平成4年(1992)
18歳 19歳 20歳
徳積善太
飛騨の大祭りについて
来年、桜山八幡宮にて大祭が5月3日から5日にかけて行われます。
こんなポスターが市内のあちこちに貼られています。

桜山八幡宮は、秋の高山祭で知られる、神社ですが、来年の5月には、式年大祭
が開催されます。
飛騨には金弊社などの大きな神社が、何年かごとに、飛騨国中の神様(神社)を招請
して、数日間にわたって大がかりな祭典を斎行し、神々が一社に集って交歓すると
いう大祭りがあります。これを飛騨では「飛騨の大祭・おおまつり」と呼んで、
江戸時代から現代まで連綿として伝承されています。
大祭を執行する神社では、飛騨全域の約400の神社を招請します。招請を受けた
神社では、大祭の当日、神輿又は枠輿に各神社の御分霊を奉じて、裃・紋福の氏子
たちの警固に守られて、各神社独特の神楽、楽、獅子舞、闘鶏楽などの神振行列を
整えて参向します。
大祭を主宰する神社の地元では連日祭一色に彩られ、盛大な祭り行事が繰り広げられ
ます。飛騨の人達はこの豪華な大イベントの大祭りを通じて神々を身近にいただき、
祭りを楽しむのです。
この飛騨の大祭りの起源は、安永8年(1777)に飛騨水無神社が飛騨の神々を招いて、
太々神楽を奏したことが伝えられていますが、郷土史家の間では異論が多く出ています。
現在のように、全飛騨の神々、神社を招請し、神輿渡御の行列を整えて参向すると
いう大がかりな祭りが行われるようになったのは、文化5年(1808)が最初で、10年後の
文政5年(1818)には、田中大秀が高山市江名子町の荏名神社で大祭を斎行してから、
次第に盛んになったと伝えられています。
このようにして、江戸時代から今日までの間には、数えてみましたら飛騨で39社で
104回もの大祭りが行われたことが記録されています。
戦後になってからは、昭和23年に日枝神社が世直しと平和を祈念して臨時大祭を執行
したことをはじめとして、今日までの65年間に10社で23回の大祭りが挙行されているん
です。
詳しくは、12月3日の「飛騨の歴史再発見」をお聞きください!
徳積善太
こんなポスターが市内のあちこちに貼られています。
桜山八幡宮は、秋の高山祭で知られる、神社ですが、来年の5月には、式年大祭
が開催されます。
飛騨には金弊社などの大きな神社が、何年かごとに、飛騨国中の神様(神社)を招請
して、数日間にわたって大がかりな祭典を斎行し、神々が一社に集って交歓すると
いう大祭りがあります。これを飛騨では「飛騨の大祭・おおまつり」と呼んで、
江戸時代から現代まで連綿として伝承されています。
大祭を執行する神社では、飛騨全域の約400の神社を招請します。招請を受けた
神社では、大祭の当日、神輿又は枠輿に各神社の御分霊を奉じて、裃・紋福の氏子
たちの警固に守られて、各神社独特の神楽、楽、獅子舞、闘鶏楽などの神振行列を
整えて参向します。
大祭を主宰する神社の地元では連日祭一色に彩られ、盛大な祭り行事が繰り広げられ
ます。飛騨の人達はこの豪華な大イベントの大祭りを通じて神々を身近にいただき、
祭りを楽しむのです。
この飛騨の大祭りの起源は、安永8年(1777)に飛騨水無神社が飛騨の神々を招いて、
太々神楽を奏したことが伝えられていますが、郷土史家の間では異論が多く出ています。
現在のように、全飛騨の神々、神社を招請し、神輿渡御の行列を整えて参向すると
いう大がかりな祭りが行われるようになったのは、文化5年(1808)が最初で、10年後の
文政5年(1818)には、田中大秀が高山市江名子町の荏名神社で大祭を斎行してから、
次第に盛んになったと伝えられています。
このようにして、江戸時代から今日までの間には、数えてみましたら飛騨で39社で
104回もの大祭りが行われたことが記録されています。
戦後になってからは、昭和23年に日枝神社が世直しと平和を祈念して臨時大祭を執行
したことをはじめとして、今日までの65年間に10社で23回の大祭りが挙行されているん
です。
詳しくは、12月3日の「飛騨の歴史再発見」をお聞きください!
徳積善太
大祭について
先日、飛騨の大祭りについて、原稿を書きました。
原稿を書くにあたって、いろいろと調査しました。
大祭りについて、詳しく書かれているのは、「日枝神社史」「日枝神社臨時大祭史」
「大津神社史」などがあげられます。
「日枝神社史」の執筆者の一人、林格男先生によると「日枝神社史の大祭の欄について
は、故浅野さんが、『後世に残るような資料にしよう』ということで、かなり詳しく
書いておられた。それが一番詳しいのではないか。」
というお話でしたので、一応、資料を全部調査しました。
明治時代から第二次世界大戦までのデータについて、58件の大祭があったとだけ、
書かれておりました。
その後、古川の歴史編纂室の井畑さんに調べていただきましたところ、「大津神社史」
のほうに、過去のデータが掲載されていることがわかりました。
そこに、下呂の小池先生の森神社のデータを載せて、計算したところ、飛騨の大祭は
江戸時代から、今日まで104件(39神社)で行われていることが分かりました。
また、飛騨独自の文化のようです。ほかの地域では大祭といって、国中の神社が
一堂に会するお祭りは行われていないようです。
詳しくは、12月3日の放送で明らかにいたします。ご期待ください!
徳積善太
原稿を書くにあたって、いろいろと調査しました。
大祭りについて、詳しく書かれているのは、「日枝神社史」「日枝神社臨時大祭史」
「大津神社史」などがあげられます。
「日枝神社史」の執筆者の一人、林格男先生によると「日枝神社史の大祭の欄について
は、故浅野さんが、『後世に残るような資料にしよう』ということで、かなり詳しく
書いておられた。それが一番詳しいのではないか。」
というお話でしたので、一応、資料を全部調査しました。
明治時代から第二次世界大戦までのデータについて、58件の大祭があったとだけ、
書かれておりました。
その後、古川の歴史編纂室の井畑さんに調べていただきましたところ、「大津神社史」
のほうに、過去のデータが掲載されていることがわかりました。
そこに、下呂の小池先生の森神社のデータを載せて、計算したところ、飛騨の大祭は
江戸時代から、今日まで104件(39神社)で行われていることが分かりました。
また、飛騨独自の文化のようです。ほかの地域では大祭といって、国中の神社が
一堂に会するお祭りは行われていないようです。
詳しくは、12月3日の放送で明らかにいたします。ご期待ください!
徳積善太
大祭について
先日、飛騨の大祭りについて、原稿を書きました。
原稿を書くにあたって、いろいろと調査しました。
大祭りについて、詳しく書かれているのは、「日枝神社史」「日枝神社臨時大祭史」
「大津神社史」などがあげられます。
「日枝神社史」の執筆者の一人、林格男先生によると「日枝神社史の大祭の欄について
は、故浅野さんが、『後世に残るような資料にしよう』ということで、かなり詳しく
書いておられた。それが一番詳しいのではないか。」
というお話でしたので、一応、資料を全部調査しました。
明治時代から第二次世界大戦までのデータについて、58件の大祭があったとだけ、
書かれておりました。
その後、古川の歴史編纂室の井畑さんに調べていただきましたところ、「大津神社史」
のほうに、過去のデータが掲載されていることがわかりました。
そこに、下呂の小池先生の森神社のデータを載せて、計算したところ、飛騨の大祭は
江戸時代から、今日まで104件(39神社)で行われていることが分かりました。
また、飛騨独自の文化のようです。ほかの地域では大祭といって、国中の神社が
一堂に会するお祭りは行われていないようです。
詳しくは、12月3日の放送で明らかにいたします。ご期待ください!
徳積善太
原稿を書くにあたって、いろいろと調査しました。
大祭りについて、詳しく書かれているのは、「日枝神社史」「日枝神社臨時大祭史」
「大津神社史」などがあげられます。
「日枝神社史」の執筆者の一人、林格男先生によると「日枝神社史の大祭の欄について
は、故浅野さんが、『後世に残るような資料にしよう』ということで、かなり詳しく
書いておられた。それが一番詳しいのではないか。」
というお話でしたので、一応、資料を全部調査しました。
明治時代から第二次世界大戦までのデータについて、58件の大祭があったとだけ、
書かれておりました。
その後、古川の歴史編纂室の井畑さんに調べていただきましたところ、「大津神社史」
のほうに、過去のデータが掲載されていることがわかりました。
そこに、下呂の小池先生の森神社のデータを載せて、計算したところ、飛騨の大祭は
江戸時代から、今日まで104件(39神社)で行われていることが分かりました。
また、飛騨独自の文化のようです。ほかの地域では大祭といって、国中の神社が
一堂に会するお祭りは行われていないようです。
詳しくは、12月3日の放送で明らかにいたします。ご期待ください!
徳積善太