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獅子会館_田端会長を訪問しました1

高山の獅子会館 田端会長を本社に訪問しました。

今回の目的は、獅子会館所蔵の獅子舞の会計資料を見せていただくようにお願いしに行ったのですが、
結局、田端家の土蔵に所蔵されていたものは、すべて獅子会館の方に移されているとのことで、後日
拝見する事になりました。

それより、大変興味深いお話をうかがう事ができました。連載でご紹介します。

1)田端さんが獅子舞を集められた理由

田端さんは、宮川村菅沼の14戸しかない集落のご出身で、小学校三年のときから獅子舞をやられて
いたそうです。その後、獅子舞から笛、太鼓のやくにいたるまで、一通りやられたそうです。
いつのまにか、お祭行事に深い関心を持つようになられ、高山周辺の獅子舞などを見て回られた
とのこと。
その後、戦局が厳しくなってきて、年長の人から順番に赤紙が来て出征することになりました。
後日、田端さんも徴兵検査を受ける事となり、古川小学校のところで徴兵検査を受けたところ、本人は
身長が低いので通らないと思っていたら、見事一発で甲種に合格。昭和14年に富山の35連隊に入隊
されました。
昭和17年2月に現役満期除隊で帰省し、その年の春の例祭に復帰参加されました。

そのとき、出征を祝して、金沢の連隊に行っていた方が、寄付を集めて獅子頭を作られました。
それまでの重い獅子頭とは違う、軽いものだったそうです。
古い獅子頭は、どこかへ持ち去られて、しまいました。
古い大事な獅子舞だったので、菅沼の獅子舞を探しましたが、古老に聞くと高山の白政(骨董屋)に
売られたとのことで、そこも尋ねましたが、信州のほうへ売られてしまいました。
祖父から聞いた大切な古い獅子頭がなくなった。それがきっかけとなって、古い獅子頭を集めようと
言う気持になったそうです。

残念に思い、菅沼に戻ってみると、それより古い、獅子頭が、神社の縁の下に転がっていました。
それをいらないのかと尋ねたところ、必要ないとのことで、酒三升でその古い獅子頭を持ち帰ったそうです。

数年たって、中国から帰られた田端さんは、お兄さんが村長をやられていた関係で仕事を引き継ぐ事になり
木を切り出す仕事、製材する仕事をする会社の社長としてご活躍されました。

昭和35年ごろ、会社の慰安旅行で、京都に行ったとき、バスの出発時間まで自由時間となりました。
田端さんは、京都駅近くの京都国立博物館を訪ねたそうです。
そこには、かつて所有していた菅沼の古い獅子頭と同じようなものが展示されていました。
そこにあった獅子舞に釘付けになり、これは館長さんに聞いてみようと、忙しい館長さんを呼び出して
もらいました。

館長さんは、「30分くらい後なら時間が取れるので、それまで待って欲しい」と言ったところ、

田端さんは、「それでは、帰りのバスの時間に間に合わない。今あって欲しい」と談判しました。

「どうして、そんなに獅子舞のことが気になるんですか」

「いや、飛騨の山奥から出てきましたが、こういう獅子頭がたくさん転がっている。こういったものを
集めたほうがいいのか、相談したい。」

「そりゃ、集めたほうがいい。いやむしろ、集めてもらいたい。あなたならできるでしょう。全国のを
集めてください。」と簡単に言われたそうです。

「ただ、どういうのを集めたらいいのか、わかりません。」

「とにかく、こういったものは、文化財です。できるだけ集めてください。70~80個集めて下さったら
わたしが調査に参りましょう。」
と言うことが決まり、急いでバスへ戻ったそうです。

その後、獅子舞の集め方を教えてもらったそうです。
それは「『今使っている獅子頭と寸法も同じもので、新しいものを作ってあげます。そのためには、
写真と寸法を送ってください。新しいのが出来たら、それと交換しましょう』と言ってください。
そうすれば必ず集るはずです。」ということでした。

ところが、高山で見積もっても、富山の井波で見積もっても獅子頭と言うのはものすごく高い。
これは、学芸員にはめられたと思ったそうですが、とにかく、バカになって集めたそうです。

やっと80個を集めたときに、その館長さんに連絡を入れられました。そうしたら、其の方は
出世して文化庁の長官になっておられたそうです。
長官は喜んで、では私が見に参りましょうということになり、わざわざ古川までご本人が
直接出向かれたそうです。

それが、獅子会館にある獅子頭の数々で、すべてまとめて、国の重要文化財になったそうです。

つづく

徳積善太






  

徳兵衛獅子披露会のご案内4


雨天決行のお知らせ

明日の「徳兵衛獅子披露会」ですが、雨天中止としておりましたが、
雨が降ると屋台は出せませんが、代車で予定通りに行ないたいと
思います。
森下組の方と、できるだけ開催の方向と打ち合わせしました。

折角の機会ですから、披露をさせていただきたく存じます。


この画像は、5年ほど前、神楽台屋台蔵に保管されている徳兵衛獅子の獅子頭で
舞ったときの画像です。
通常の獅子頭の1.5倍ある重いもので、さすがに舞手の方も重かったと言って
おられました。

徳積善太

  

獅子組の練習を拝見しました

昨日、獅子組(森下組)の練習にお邪魔しました。


ドラムおやじさんのブログ→http://casdrumer.hida-ch.com/e101387.html
では、「あじか」を使って練習されていましたが、
こちらでは、 「風呂桶」を使っての練習でした。

それより、子供たちの多いのに大変感動しました。

登録では76名の子供たちが登録されて、獅子舞の練習に参加されているそうです。

3月の初めから、今年一年生になる年長の子供から、中学生(5名)に至るまでの子供
たちが、大人の指導で獅子舞の舞い方、笛の吹き方、太鼓のたたき方などを練習している
とのことでした。

おそらく、神楽の人間としては、初めての訪問ではなかったかと思います。
今まで森下会館で練習しているのは知っていましたが、こんなにたくさんの子供たちが
真剣に練習しているのを見たら、大人の私達も頑張らねばと思いました。

当日の本番に向けて、どうぞみなさん、頑張ってください!

徳積善太  

今日は、はげ下家のいとこ会がありました

今日は、グリーンホテルで、第9回はげ下家いとこ会がありました。

今年で最後とのことで、徳之助氏の作った「徳兵衛獅子」の披露がありました。


はげ下徳之助とは、高山市の文化財になっている徳兵衛獅子の創始者で今日集った
方々は、徳之助のお孫さんとひ孫さん、ひしゃごさんたちと言うことになります。
全部で、家族の皆さん、37名で、遠くは横浜、岡山、名古屋などからも
今日のために集ったそうです。

今日のいきさつを説明する、はげ下さん。


徳兵衛獅子を披露する、森下獅子組のみなさん。


獅子組を代表して、高原さんの御挨拶


演奏は、いつもの祭と同じく、道行き~場ならし~高い山~曲~吹き切りへと演奏と
舞の披露がありました。


勇壮な舞。足の高さとか、頭の低さとか、とても細かい部分まで注意して舞って
おられました。さすがは森下組です。


聞くほうも真剣。徳之助のDNAを持った方々だけに、やはり血は争えませんね。


驚いたのは、途中で子供の頭を獅子が噛みに行ったのですが、小さな子供でも
泣くことも無く、涼しい顔をしていました。


最後は「まむしとり」。「へんべとり」とも言います。獅子は蝮が大好物だとか。
いかに、生きているように舞うかがポイントです。まむしが床に置かれました。


私も、いつもは、横から神楽の一員として眺めていますが、正面から見たのは
生まれて初めてでした。いいもんですねえ。感動しました。


森下組の皆さん、お疲れ様でした。
はげ下さん、最後は感動で涙ぐんでおられました。
徳之助さんも草場の陰で喜んでおられることでしょう!
私も、紹介できてうれしかったです。

徳積善太  

獅子頭について

この前から、獅子舞のことを調べています。

私共の山王神楽台は、高山の獅子舞の発祥 「徳兵衛獅子」を一番古くから奉仕いただいている
屋台組です。

その獅子舞を完成させたのが、はげ下徳之助と言う人で、通称「徳兵衛獅子」と呼ばれています。

その徳之助の末裔の、はげ下さんが、現在は岡山に住んでおられますが、先週から高山にお越しに
なり、いろいろと一緒に調べておりました。
今日は、獅子会館にお邪魔し、獅子頭を見せていただきました。


高山の獅子会館には、全国から会長の田端さんが40年かかってお集めになった獅子頭が
所狭しと展示されています。
今日はそのうち、江名子地区に関係の有るものを見せていただきました。


獅子頭の見方は、鼻先が黒いのが女獅子、そうでないのが男獅子だそうです。
女獅子は、飛騨地方の場合、伊勢神楽系のものが多く、頭にすっぽりかぶって、一人で舞う
ものが多いようです。久々野の小屋名地区など、2人舞いの所も有るようですが、一般には
一人舞いで舞う形が多いそうです。
また、宮村の水無神社などでは、舞うときの着物が、黒紋付で舞うところがあったり、場所に
よっては、振袖で舞を行なうところも有るようです。

男獅子のほうは、一般的には、二人舞いの獅子舞が多く、油単(獅子頭についた布)で後ろの
人が、竹の棒を持ち、体と後ろ足を表現する舞が一般的です。

所によっては、ムカデ獅子と呼ばれ、3人が油単に入って6本足のところや、もっとそれ以上の
ところもあるようです。それは、ムカデのように足が多いところからそういう名前がつけられて
います。


学芸員の青田さんともいろいろとお話しをすることができ、大変勉強になりました。

徳積善太
  

徳兵衛獅子の謎9_演目2


一方で、松原兵助獅子の25曲と言うのは、次の演目となっています。

1.道行き
2.場均し
3.采振り
4.高い山から
5.曲獅子
6.一つ上げ
7.二つ上げ
8.おちゃえ
9.数え唄
10.八郎兵衛
11.まむしとり
12.玉そばえ
13.大々神楽
14.小神楽
15.勇合(ゆうごう)
16.仡合(きつごう)
17.飛合(ひごう)
18.勢り合
19.福神しゅう
20.祝歌
21.大回り
22.打ち上げ
23.したかいどう
24.おかざき
25.ちょんきた

徳積善太  

徳兵衛獅子の謎8_演目


松原兵助獅子は、25曲。徳兵衛獅子は16曲あると言い伝えられています。

ところが、中身をよく分析してみると、「吹き上げ」「吹ききり」といったいわゆる舞の
前後に行われる曲が松原獅子においては、細分化されており、ほとんど同じもの
ではないかと思える部分がわかりました。

現在、そういうことについて、分析中です。

徳兵衛獅子の16曲とは、次の演目となっています。

囃子 道行き
1 場均し(ばならし)
2 吹ききり
3 ざいふり
4 高い山
5 曲
6 一つ上げ
7 二つ上げ
8 おちゃえ
9 数え唄
10 はち
11 かけあい
12 まむしとり
13 玉そばえ
14 大だい神楽
15 大神楽
16 小神楽


徳積善太


  

徳兵衛獅子の謎7_獅子頭

私達の山王祭神楽台には、徳兵衛獅子の獅子頭が保存されています。

昔、高山の南東にある江名子村に徳之助という方がいました。
図体が大きく、腕力に優れていたので重い獅子頭を巧みにあやつり、囃子に
合わせて舞ったとの記録が残っています。
頭はおよそ10kgあり、通常のものが6kg位ですから相当に重いものであることがわかります。


看板には、下記のように書かれています。

『高山祭り、春の神楽台に付属して舞われた獅子舞で、江名子村に松原屋兵助が
創作した兵助獅子より発祥し、一門のはげ下徳之助(通称徳兵衛)一家が、天保5年より
世襲してきた。獅子頭は、高山形の平たい形で大きく、一文字眉の牡獅子である。
現在、この重い獅子頭で舞う人はなくなり、20数年使用されていない。
油単は茶色の得意なものであり、舞う曲は16曲からなっている。』

ここには、天保5年と書いて有りますが、間違いで、はげ下徳之助氏は、安政年間の
生まれで、明治14年ごろから明治33年ごろまで、山王祭に奉仕したことがわかっています。

徳積善太

  

徳兵衛獅子の謎6_飛騨天満宮

高山市内で伝承されている徳兵衛獅子について、お知らせします。

今日は、飛騨天満宮の徳兵衛獅子について、市のHPには下記のように記されています。


「市指定 昭和59年3月2日 天満町2丁目30番地 例祭日4月14、15日
飛騨天満宮の獅子舞は、市内各神社に伝わる振り獅子と同じ徳兵衛獅子である。
明治の頃、下江名子の?下徳之助((はげのしたとくのすけ)通称徳兵衛、大正12年没)
と言う人が、昔から伝統の獅子舞の技術に卓越し、兄の祐成總右ヱ門(すけなりそうえもん)
も笛の名手であった。春の山王祭に兄弟で優れた技を発揮したので人々がこれを徳兵衛獅子
と名付けて賞賛したものである。  
 この徳兵衛獅子は16曲からなり、その正当な囃子と舞は徳兵衛の甥にあたり森下町に住んで
いた祐成治郎氏が受け継ぎ、飛騨天満宮に長年にわたり伝授したものである。」

徳積善太  

徳兵衛獅子の謎5_千島白山神社

高山市内で伝承されている徳兵衛獅子について、お知らせします。

まず、千島白山神社の徳兵衛獅子について、市のHPには下記のように記されています。

(画像提供 ドラムおやじさん)

「千島白山神社の獅子は、徳兵衛獅子舞を伝承しているもので、曲は「場ならし」から始まり
16曲からなる。 
 山王、八幡祭も徳兵衛獅子舞が伝承されていて類似しているが、国指定重要無形民俗
文化財「高山祭の屋台行事」として獅子舞も含まれている。 
 徳兵衛獅子舞は、江名子村の松原屋兵助(寛政2年生(1791))の完成した「兵助獅子」が
始まりで、松原屋兵助を中軸に結成した兵助獅子連中、社中に伝授された。後に下江名子
のはげ下徳之助(通称徳兵衛・1856~1923)が習得した。徳之助は獅子舞の技術に優れ、
笛の名手の兄と共に演ずる妙技は賞賛され、徳兵衛獅子と呼ばれるようになり、兄弟でその
獅子舞を指導した。 
 徳兵衛は千島白山神社にこの獅子舞を伝え、正当な「徳兵衛獅子」として今に伝承されて
いる。千島白山神社では、獅子舞、囃方に小中学生男女が多数参加して、伝承活動もしっかり
となされ、貴重な獅子舞である。」

徳積善太