匠街道踏破の記録5日目 4/28
4/28(木)約25.3㎞ 参加者7人
岐阜県下呂市金山町渡 ~ 関市下之保
・下呂市金山
・ 菅田
・ 袋坂峠
・ 中之保
・関市 下之保(道の駅)
本日のルート
朝、金山を出発し、国道41号線から一路関市方面に向けて菅田地区を通りました。
『おはようございます今日は天気に恵まれそうです
親方が今朝、思ったより疲れは溜まっとらんなって言ってました
お姉さんが言われるように、帰ってきてからが心配ではありますが。
とりあえず今日も朝から下之保に向けて歩きます』
父の事を心配した私に送ってくれたメール。
Y君も疲れているのに小まめにありがとう byもも

金山から菅田方面に抜け、県道58号線を関市方面に向かうと、袋坂峠~神渕へと抜けます。此の辺は、農村地帯が続く道です。間もなく、関市武儀町中之保に入ります。
『関市入ります。 少し雨が降って来ました』とY君。

予定の下之保まで行きましたが、時間があったので、高澤観音にお参りしました。
ここには、清水寺のような舞台の上に作られたお堂があります。
Y君メール
『今日は高澤観音行ってきました。少しの雨にもあいましたがいいものを見せて頂きました』
職人さんなら興味のある場所ですね

今日の宿泊予定地は、下之保大門から橋を渡り戸丁というところにある「天正禅寺」です。
歩いたのは7名でしたが、夕方に2名は高山に帰り、今日の宿泊は5名という事になりました。
天正禅寺で、夕食をしていると、長瀬さんが仕事帰りに激励に訪ねてくれました。
Y君メール
『今、夕飯です
仕事で近くを通りかかった長瀬さんが差し入れをもって寄って頂いておりま
ありがたい限りです』
右端が長瀬さん・・・つまりせんだいもさんです
本当にありがとうございます

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先ほど、千原さんと連絡を取り、今夜の宿泊場所となる関市武儀町戸丁にある
天正禅寺にてお会いしてきました。

今日は、予定のコースを通った後、高澤観音にお参りされたようです。

大変不思議だったのですが、先週、観音様の御命日に私もお参りしてきたところです。不思議なご縁を感じました。

この高澤観音は、5/13のラジオでも話題にしておりますが、飛騨とは大変密接な関係があります。それは次の3つの理由です。
1)開基が両面宿儺であること。

2)ここの観音様が、国府町にある淸峯寺から移されたという伝承があること。
3)金森長近公のいとこに当たる佐藤六左衛門方政が、大阪夏の陣の後に、ここ
の場所で玉砕し、墓があること。また、長近公は関ヶ原の戦いの後、佐藤方政の
領地である上有知を所領としたため、この一帯が長近公の領地となったことです。

千原さん、とってもお元気で、私がお邪魔したらよくしゃべるしゃべる。
今までのルートで、とても貴重な体験をされたようで、いろいろと聞かせていただきました。

1)禅昌寺では、座禅を組んだ上に、和尚様の説教があり、なかなか貴重な体験をされたということ。
2)福来の長瀬さんの棚田では、大変素晴らしいものを見せてもらったということ。
3)昨日は、大雨警報が出てたことを知らずに歩いていて、道が川になっていたようなところを歩き、とても大変だったということ。
4)疲れもあるが、毎日がとても楽しくて仕方ないということ。
5)お寺に泊めていただくのに、お礼として朝5時に起床してトイレ掃除や庭掃除などをして奉仕させていただいているということ。
など、面白おかしく語ってくださいました。
また、Y君に私のブログを見せたところ、「これから写真をいっぱいアップします。なかなか歩きながら携帯を使うのが難しいのですが、頑張ります!」とのことでした。

今日も疲れたので、早めに就寝。
相変わらずいびきの大合唱です。
by徳積善太
岐阜県下呂市金山町渡 ~ 関市下之保
・下呂市金山
・ 菅田
・ 袋坂峠
・ 中之保
・関市 下之保(道の駅)
本日のルート
朝、金山を出発し、国道41号線から一路関市方面に向けて菅田地区を通りました。
『おはようございます今日は天気に恵まれそうです
親方が今朝、思ったより疲れは溜まっとらんなって言ってました
お姉さんが言われるように、帰ってきてからが心配ではありますが。
とりあえず今日も朝から下之保に向けて歩きます』
父の事を心配した私に送ってくれたメール。
Y君も疲れているのに小まめにありがとう byもも

金山から菅田方面に抜け、県道58号線を関市方面に向かうと、袋坂峠~神渕へと抜けます。此の辺は、農村地帯が続く道です。間もなく、関市武儀町中之保に入ります。
『関市入ります。 少し雨が降って来ました』とY君。

予定の下之保まで行きましたが、時間があったので、高澤観音にお参りしました。
ここには、清水寺のような舞台の上に作られたお堂があります。
Y君メール
『今日は高澤観音行ってきました。少しの雨にもあいましたがいいものを見せて頂きました』
職人さんなら興味のある場所ですね

今日の宿泊予定地は、下之保大門から橋を渡り戸丁というところにある「天正禅寺」です。
歩いたのは7名でしたが、夕方に2名は高山に帰り、今日の宿泊は5名という事になりました。
天正禅寺で、夕食をしていると、長瀬さんが仕事帰りに激励に訪ねてくれました。
Y君メール
『今、夕飯です
仕事で近くを通りかかった長瀬さんが差し入れをもって寄って頂いておりま
ありがたい限りです』
右端が長瀬さん・・・つまりせんだいもさんです
本当にありがとうございます

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先ほど、千原さんと連絡を取り、今夜の宿泊場所となる関市武儀町戸丁にある
天正禅寺にてお会いしてきました。
今日は、予定のコースを通った後、高澤観音にお参りされたようです。

大変不思議だったのですが、先週、観音様の御命日に私もお参りしてきたところです。不思議なご縁を感じました。

この高澤観音は、5/13のラジオでも話題にしておりますが、飛騨とは大変密接な関係があります。それは次の3つの理由です。
1)開基が両面宿儺であること。

2)ここの観音様が、国府町にある淸峯寺から移されたという伝承があること。

3)金森長近公のいとこに当たる佐藤六左衛門方政が、大阪夏の陣の後に、ここ
の場所で玉砕し、墓があること。また、長近公は関ヶ原の戦いの後、佐藤方政の
領地である上有知を所領としたため、この一帯が長近公の領地となったことです。


千原さん、とってもお元気で、私がお邪魔したらよくしゃべるしゃべる。
今までのルートで、とても貴重な体験をされたようで、いろいろと聞かせていただきました。

1)禅昌寺では、座禅を組んだ上に、和尚様の説教があり、なかなか貴重な体験をされたということ。
2)福来の長瀬さんの棚田では、大変素晴らしいものを見せてもらったということ。
3)昨日は、大雨警報が出てたことを知らずに歩いていて、道が川になっていたようなところを歩き、とても大変だったということ。
4)疲れもあるが、毎日がとても楽しくて仕方ないということ。
5)お寺に泊めていただくのに、お礼として朝5時に起床してトイレ掃除や庭掃除などをして奉仕させていただいているということ。
など、面白おかしく語ってくださいました。
また、Y君に私のブログを見せたところ、「これから写真をいっぱいアップします。なかなか歩きながら携帯を使うのが難しいのですが、頑張ります!」とのことでした。

今日も疲れたので、早めに就寝。
相変わらずいびきの大合唱です。
by徳積善太