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木札を発見
文字は「安和二年」の文字が見られますが、板が非常に新しく、古くても江戸後期か明治に書かれたもののようです。
また、阿多由太神社は、一説によると古来は杉崎にあったとされており、国府町にあるとされたのは文化14年(江戸後期)。京都からきた吉田神社の神官が古い社殿を見て違いないと言ったとか。
しかし、荒城郷には荒城神社が式内社としてあり、一郷に2社はあり得ない。
また仮に杉崎にあったとすると今ある高田社はどこ?という話になります。
田中大秀の弟子が、ずいぶん反発して議論をしていました。
さて、事実はどうなんでしょうか?
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