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大人の寺子屋 ー まったなしの戊子の年ー

私の先生、徳増省允先生のお話を掲載します。

『志ある人々の奮起を』 ー まったなしの戊子の年ー
大人の寺子屋 ー まったなしの戊子の年ー

平成20年は戊子(ぼし)の年(つちのえ・ね)です。
 繁茂しすぎた枝葉を剪定し、木々を間引き整理して、風通しや日当たりをよくする勇氣ある選択を実行する年です。
 繁茂しすぎたり増殖しすぎたりしては害となります。
 60年前の昭和22年がどんな年であったのか、年表に向かい一考する必要があります。歴史は私達にこれからの方向性を示唆してくれます。
 今日的世相をつらつら思うに、日々発生する諸不祥事に対し、当事者はいうまでもなく、周囲の人々、かかわりのある者全てが「偽(いつわり)」のなかで利己的利益の為に保身し、傍観し、無関心をよそおい、責任をのがれることを第一として生きようとするあり様に止めどがありません。それはまさに誇りなき、恥をしらぬ行為行動を当り前の如くに振舞う、「良心」無き所行であるといえます。言い換えるならば、誇りと恥を失ったところに、誠の「志」はなく、人として最も大切な「良心」(良知)の存在を忘れて生きようとしているといえましょう。
 大きな歴史の周期(日本史の変化400年と世界史の800年、そして1000年期の節目、同時周期は4000年に一度)の今、大人達は誠に目覚めて、この歴史の一大転機に直面し、覚悟を定め、次世代に天理の誠の道を正しく継承せねばならないのです。そのようなあり方こそが、今の世に生きる大人達の役割であり、今の世に生を受けた使命(天命)であると承知すべきです。
 「世の為、人の為」に自らが「何を為すべきか」、「如何に生きるべきか」を、「静かなる時間」をもって深く考え、究めて、分相応に覚悟し、のりを越えず、実践行動すべき時なのです。
 「平成」の年号を残して昭和58年(1983)12月に世を去った、著名な陽明学者であり碩学で啓蒙的思想家として世の指南役でもあった偉大な先人、安岡正篤先生の著書『醒睡記』より、「有志の奮起」と題する説論を紹介します。
 故安岡先生は、アフリカの聖者といわれたA・シュヴァイツァー博士の著書『わが生活と思想』の中より肝銘した言葉として、

「人間性は決して物質的なものではない。人間の内には表面に現われるより遥(はる)かに多くの理想的意欲が存在する。縛(しば)られたものを解き放つこと、底を流れるものを地上に導くこと、一事を成就すべき人間を、人類は待ち焦(こ)がれている」と。
 このシュヴァイツァー博士の言葉を引用し、故安岡先生は次のように説かれています。

「不幸にして今日、人心風俗は、折角進歩した学問、究明されている真理から背馳(はいち・そむく、いきちがう)している。
 親達は子供等を学校に入れるだけで、親(みずか)ら教育しようとせず、教師は本来の使命を怠り労働組合員となり、政治家は民衆に迎合して指導力を失い、世人は不義不正を傍看(ぼうかん)して氣概を亡くしている。
 曽(かつ)ての偉大な指導者達は皆時代の風潮に屈しなかった人々であり、新しい時代の創造は、こういう信念あり勇氣ある少数の人々の不屈の努力に因(よ)るものである。
 日本の危機に臨んで、有志者の雄健(雄大にして剛健なこと)を祈る」と。
 安岡先生は、その生涯の理念を、「一燈照隅、万燈照国」におかれました。さかのぼること1千年余前、伝教大師(比叡山開山、天台宗開祖最澄)の訓にある「一隅を照らす」の教えを思います。
 日本の危機的現状から、誠に、理と義に向かわせるために、大人達、特に指導的立場にある全ての分野の人々が、己の立場や地位に恥ずることなく、誠に学び自らに問うべき時と信ずるからです。
 著名な物理学者、相対性理論の発見者である故アインシュタイン博士が、大正11年(1922)、1ヶ月におよぶ来日の折り、日本国と日本人に託して帰国した言葉を、今一度紹介します。

「世界の未来は進むだけ進み、その間いく度か争いはくり返されて、最後の戦いに疲れるときがくる。そのとき、人類は真の平和を求めて、世界の盟主をあげねばならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、もっとも古く、もっとも尊い家柄でなくてはならぬ。
 世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
 われわれは神に感謝する。われわれに日本という尊い国をつくっておいてくれたことを」と。
 故ア博士が「神に感謝する」と言明したほどの「尊い国」日本、その国の今日的世相の実状をみて、博士の失望のどれほど大きいことか、その嘆きはいかほどでありましょうか。
 日本人の底流に営々として流れきた大和(だいわ)の精神、大和(やまと)の歴史の継承、その再生と復活こそが一義であり、今、まさにそのことが試(ため)されていると思うからです。
 「世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る」と。それは東方の端に位置し、「日出る国」である日本=日の本(もと)の国であることに「誇り」をもち、そして感謝することを強く自覚することでもあり、自ずとそこに誠の愛国心が生じてくるのです。文字や言葉の表現に左右されるものではないと信じます。

 今から59年前(昭和24年)、ノーベル 物理学賞を授与された初の日本人、故湯川秀樹博士の言葉を紹介します。

「案ずることはない。30年後の日本は、(戦後の廃墟より立ち上がり)科学技術国として先進国と肩をならべる」と。
しかし、
「僕は30年後の日本人のものの考え方を案じているのだ。日本人が開発した科学技術から派生する思想が日本人の心を蝕(むしば)むのではないか」と。
 偉大な先人の言葉や思いは、まさしく今日的日本の様相を予見し、強い警告をわれわれに発していたのです。
 このことからも、歴史や先人に学ぶ、そして今に活かすことがどれほど大切であり、賢明であるか再認識することが大切です。
 21世紀は「美の時代」又「文化の時代」といわれて久しいのですが、「美」は宇宙の根源的要素(基本)といわれる「真・善・美」の美と考えるべきです。
 ただ人や町、環境等、目に見える有形の美のみでなく、大切なのは、基となる無形の美、氣の力や人の心の美しさをも含むのであり、もとの美から発現する美を忘れてはならないのです。
 神=天=自然の計(はか)らいに順ずる、素直な魂の発現(=かむながら=隨神の道)を自覚して生きる人々の住む国ということなのです。
 尊い国、美しい心の人の住む国、歴史と先人達の大和(だいわ)の精神=大和魂がつちかってきた「日本の良心」に立ち戻り、全ての大人達が、残されたそれぞれの人生を志をもって良心に生き、次世代に継承するための努力に勤めることが、使命であると信ずるからです。
平成20年1月21日 記
(前年4月14日分再考加筆)
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この記事へのコメント

タンタン さんのコメント

一寸気になったのですが、
写真の下のほうに写っている斑入りの木は、アオキでしょうか?
Posted on 2008年05月12日 14:52

rekisy さんのコメント

うちの庭のアオキです。
たまたまカシッパがきたので、撮りました。
Posted on 2008年05月12日 23:10

タンタン さんのコメント

カシッパには気付きませんでした。
千葉では見かけない鳥です。
カシッパとはとても懐かしい響きです。
Posted on 2008年05月12日 23:57

rekisyrekisy さんのコメント

へえ、千葉にはいないんですか。知らなかった。
「うちへ、カシッパがくると、何かお告げがある」とうちのばあちゃんが言っていました。
何かいいことがあるかも。。。
Posted on 2008年05月15日 00:31

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