先日、I先生宅で、火災のときの図面(原本、複製品は高山陣屋にて展示)を見せていただきました。
天保3年(1832)、一年のうちに高山では二度の大火がありました。
一つは、東川原町の大火で、天保三年八月十八日川原町大坂屋佐兵衛小屋より出火。
翌十九日朝、八軒町、中川原町を焼失し、消留
家屋敷227件も焼けた大火災でした。
もう一つは、福島屋火事と呼ばれるもので、
「天保3年11月2日夜四つ時ニ之町福嶋屋清左衛門方ヨリ出火。三町辻神明町間消留一之町ニ之町
三之町迄翌三日朝四つ時迄に三之町下も二而消留」
実に、この時は、三町一帯617件が焼失する大火事でした。
私は、個人的にこの時の大火事は、付け火ではなかったかと思っています。
高山の人は、火事に対しては、非常に神経を使っていますが、一年に二度の大火。しかも、この頃は
飢饉で人々が不満を持っていたときだけに、そういった不満を持った人達の犯行ではないかとにらんで
います。あくまで、想像の域を出ませんが。。。
徳積善太
現在も火災原因の1位は放火によるもので…