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5月4日放送分_苗字について

(5月4日)みなさんこんにちは。飛騨歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは、飛騨の生涯学習者 第二号 私 ながせきみあきがお届けしてまいります。

さて、今週はゴールデンウィークとなりました。高山も久しぶりに大変賑ってきましたね。
今年は、土日だけ高速道路の割引がありましたから、観光地の高山としては大変ありがたい
ことでした。ただ、土日はいつものとおりにぎわうのですが、平日がちょっと少ないような気が
します。
このGWでは、今年に入って不景気の時間が長かったために、やっと一息つけた方が多かった
のではと思います。

先週もお話しましたが、今日の放送で101回目になります。
よくまあ、これだけ続けてこれたと思います。頑張って原稿を書いていきたいと思いますので、
皆さんのご支援をお願いいたします。これは何ですかとか、こんなことを調べてほしいといった
ことについても、できるだけお調べしてこの番組でお話したいと思います。
また、メッセージもいただければと思いますので、ヒッツFMのほうへ、ファックスなりメールなり
でお伝えください。どうぞよろしくお願いします。

さて、今日の放送は、先週予告でお話しましたとおり、皆さんが普段使っておられる「苗字」に
ついて考えてみたいと思います。
5月4日放送分_苗字について

よく「高山では、動物の苗字が多いですねえ」といわれた事があります。
考えてみると、高山近辺では、「かばさん」「おおかみさん」「うしまるさん」「わにさん」と確かに
動物の名前が多いですね。
でも、江戸時代には、「名字帯刀を許された」とか「殿様から苗字を賜わった」とかいう言葉が
ありますが、そのくらい苗字というものは、身分を示す上で重要なものでした。

(苗字についてのランキングは→,a href="http://www.myj7000.jp-biz.net/1000/0100f.htm">こちら)

では、苗字のついていた人はどういう人があったかというと、大体が武士の人たちです。
高山のお城を造った金森長近という人は、普段は織田信長からごろはち、ごろはちと呼ばれて
いましたが、彼の正式な名前は、金森五郎八長近でした。
本能寺の戦い後に出家して金森法印と呼ばれています。
子の可重も、金森出雲守可重と呼ばれており、文献ではだいたい「出雲守」という書き方が
されています。普段は官名の「出雲の守どの」などという呼ばれ方をしていたものと思われます。

また、金森氏の家来などは、全員苗字がついていました。金森さんの分家だった金森左京は、
正式には金森左京○○という呼び方がされていました。
その他にも国家老をしていたのが田能村宗運ですとか家老をしていた平岡三郎兵衛などという方
がおられます。
先ほどの、蒲さん、和仁さんはそれぞれ、姉小路、江馬氏の家臣だった人の苗字です。
そのくらい、苗字というのは、武士の誇りとして重要視されていた名前なんですね。

では、それ以外の苗字を持たない人はどうやって呼ばれたかというと、だいたい地名が現在の
苗字を表わす部分になっていました。
たとえば、大原騒動で有名な「本郷村善九郎」とか「大沼村久左衛門」の名前がよく知られて
いますが、同じ村の中では、「善九郎」とか「久左衛門さん」などと呼ばれていたことでしょう。
つまり、○○村のだれだれという呼ばれ方をしていたわけです。

また、町人においては、その出身地の名前を屋号とする場合が多かったようです。
現在、日下部邸で有名な日下部家は、もともと出身が神岡と富山の間にある谷村という所の
出身だったので、屋号は谷屋といいました。現在も、国道41号線を富山方面に向かって走ると、
富山県に入る手前、猪谷に渡る宮川の橋の手前のところ。左側の所の部落が谷という部落です。

また、今はありませんが、下三之町にあった大きな酒造場が、杉崎屋という屋号でした。
こちらは、古川の杉崎の出身だという事がわかります。
このほかにも、細江屋・美濃屋・打保屋・加賀屋などという地名を由来にした屋号をつけている
商人がいました。
同じ町人でも、その身分や立場から名字帯刀を許された人がいました。
町年寄を勤めていた矢嶋氏、川上氏、屋貝屋=屋貝権四郎などの町人は、そのまま、矢嶋○○、
川上○○、屋貝○○と呼ばれていました。これは、町人であってもその身分を保証された人間である
事の証でした。
さて、ちょっとここでブレイクしましょう。 曲は「村下孝蔵で 初恋」をお届けします。
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今日の飛騨歴史再発見は、日本人の苗字についてという話題でお届けしています。

本当は、一人一人の苗字についてそのルーツについてお話しするといいのですが、それぞれに
よって違いますので、今日は、飛騨歴史再発見風に、アレンジしてお話しています。
これからお話しすることは、一般的だと思われる話ですので、間違っている場合もありますことを
ご了承ください。

さて、その苗字が一般庶民にも許されたのはいつか。それは、明治6年(1875)の法律の改正に
よるものです。それまでは、地名だとか屋号で呼ばれていたものを一般的な苗字に改められました。
自分たちで自由につけてもいいことになったので、こんなに種類が増えたそうです。

ではどうしてこういった苗字が必要だったかですが、明治の世の中になって廃藩置県が始まり、
それまでの身分制度を見直すために行われたということがあります。

その種類ですが、日本は非常に種類が多くて、15万種類以上あるそうです。
ところが、お隣の韓国は285種類。
人口10億を越す中国でも3500種類しかないといいますから大変驚きです。
中国では、一族の姓、つまりその人の先祖を表わしていて、それは皇帝から授けられたものだそうです。
中国では、自分たちの一族の先祖を敬う意味からもその姓を名乗るため、その数が少ないといわれて
います。お隣の韓国でも同じような発想で、先祖を敬う事から、同じ姓を名乗っている事が多いようです。

また、中国の姓は、一字と決められています。原則、漢字一字で表わす風習になっているので、朱とか、
長とか、鄭とか、王とか一文字で表わしています。
日本では、奈良時代に二文字の制度があったので、基本的には二文字が多いということになっています。

さて、日本で一番多いのが鈴木ですが、その次が佐藤。斉藤というのが多いです。鈴木さんや佐藤さんは
大体表わす漢字が決まっていますが、漢字が多いのが斎藤さんですよね。とぎの「斎」という字を使う人も
いれば、なりという「斉」を使う人もいたり、また、旧漢字を使う人もいたりまちまちです。
これは、人名ソフトを開発している会社によれば基本的には4種類あるそうです。
ただ藤の字はだいたいどの方も同じですよね。この藤の字は、藤原氏から来ているといわれます。
ということは、“斎藤”さんは、伊勢神宮の役職“斎宮頭”+“藤”=“斎藤”なんだそうです。

また、伊藤さん、木藤さんといった、二文字目に藤がつく人や、藤原さん、藤垣さん、藤森さんといった
頭に藤が来る人。こういった人も藤原氏の末裔だそうです。

さて、では飛騨の場合はどうかといいますと、今までお話した○藤さんとか、藤○さんのほかに、圧倒的
大多数を占めるのが、地名によるものです。
飛騨は、明治時代に、全部で280もの村がありました。そこの出身という事で、地名をそのまま苗字と
した人が多いようです。

たとえば、私の知り合いの名前をちょっと利用させていただきますが、羽根さん=萩原町羽根。
林さん=宮川町林。谷村さん、谷さん、谷辺さん=神岡町谷。桑ケ谷さん=宮川町桑ケ谷。
御母衣さん=白川村御母衣。などとなっています。

また、先祖が住んでいた場所を表わしたもので、武士の出と思われる人。 峠の近く=峠さん、小峠さん。
鉱山に関係のある仕事か、岩にまつわる人で、武士の出と思われる人=大岩さん、岩西さん、岩佐さん、
岩垣さん。
明らかに武士の人、金森さん=金森氏、内島さん=内ヶ島氏(帰雲城主)、牛丸さん=向小島城主、
三木さん=三木家系、江馬さん、江間さん=江馬氏(高原城主)などとなっています。

皆さんも一度、ご自分の姓について、ご先祖について考えてみては如何でしょうか?

さて、今日も時間となりました。
来週は、「高山の煥章学校について」をお届けしたいと思います。
今日はこの曲でお別れです。曲は「松田聖子で 旅立ちはフリージア」ではまた来週、お会いしましょう!

徳積善太
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この記事へのコメント

まこちん。 さんのコメント

姓(かばね)が韓国でいう名前に当たるもの、
と考えるとわかりやすいです
たとえば足利、武田、佐竹なんて名字(苗字)は
本姓は「源(みなもと)」源氏の正統なんですね。この3つは全部所領地の地名で、
集まった時源さんばかりじゃややこしいので
「足利のナントカさん」とか呼んで区別したのが
いつの間にか名前として定着しちゃってます。

岐阜県で言うと、太平記にも出てくる
土岐氏、多治見氏(土岐氏の支流)なんかもそうです。

このように住んでいる所と名字には深い関係があり
飛騨において特徴的な一例としては「ハバ」「ハゲ」
の入った名字の方が多いことです。
いずれも段丘、特に河岸段丘のことを
この名称で呼ぶため、「幅さん」のほかに
「幅上さん」「幅下さん」といえば、崖の上や下に
住居を構えていた氏族と想像されます。
Posted on 2009年05月07日 15:12

rekisy さんのコメント

まこちんさま>いつもありがとうございます。
なるほど、源の正統が諸領地の名前で区別した・・・勉強になりました。

源さんばかりじゃ、確かに区別できないですよね。

飛騨の名前で「幅」が多いのが、そういう崖の名前から来ているのは知りませんでした。
河岸段丘だと、萩原近辺に多そうですね。
また、保木さんは、歩危(ほき)から来ているようですね。
Posted on 2009年05月07日 22:46

大岩と申します さんのコメント

”大岩”をキーワードにしてネットしていてここにたどり着きました。(笑)

大岩というお武家様はいたのでしょうかねえ? 私の祖先は不明ですが、祖父は比較的飛騨に近い(?)富山から出てきたそうです。

もし何か分かりましたら、また是非載せてくださいなー。

宜しく願います。^^
Posted on 2011年01月18日 16:35

rekisy さんのコメント

大岩と申しますさま>訪問ありがとうございます。
この番組をやっているヒッツFMの部長も大岩さんですが、大岩という苗字については調べたことないです。
お武家さまもみえたかどうか。地名に由来するようにも思いますね。
一度調べておきます。
Posted on 2011年01月18日 18:38

rekisy さんのコメント

大岩と申しますさま>先ほど、姓氏辞典で調べましたところ、「1142 大岩 約15,800 幕臣は桓武平氏。美作菅家党広戸氏支流。ほか常陸、伊勢、志摩に。 」
とありました。
http://www.myj7000.jp-biz.net/2000/1100f.htm

大岩という武士がいたようですよ。
Posted on 2011年01月30日 14:16

大岩と申します さんのコメント

有り難うございます! 追記してくれてたのですね!
実はそういう記述は私も見たことはあります。
ロマン感じます(笑)
何やら会津藩士などにも大岩って人はいたようです。

ですが、実は大岩姓はどうも、木を切るような職人的な仕事の人、もしくはそれを取りまとめた人の流れのようです(その流れの人が多い)。で、滋賀県や岐阜県にその流れの大岩さんが多いようなことが分かってきました。もしくは愛知県。
でも、肝心の自分の祖父の出身地の富山に流れ着かないので、私の大岩は、まったく別かもしれませんし、まだまだ分からないんですけどね(笑)

では、また寄らせていただきます!
Posted on 2011年05月17日 00:10

rekisyrekisy さんのコメント

大岩様>お久しぶりです。まだまだ謎の多い大岩姓ですが、今後も調べて行きたいですね。
今後もよろしくお願いいたします。
Posted on 2011年05月24日 00:15

匿名 さんのコメント

山本建造著、「日本起源の謎を解く」、飛騨の口碑は今でもあるのか?本の内容は正しい口碑なのか?

「稗田阿禮」:飛騨に住んでいて飛騨の昔のことを良く知っている阿礼さんが大和へ招かれて口述し、太安万侶が記録した。・・本当か?

飛騨王朝はあったのか?
阿禮とは、アテルイなど、古い東北人名と類似しているのか?
Posted on 2017年03月04日 13:10

rekisy さんのコメント

山本健造さんの著作物については、私はよくわかりません。

山本さんご自身が「夢見」によってお告げがあり書かれたものと認識しております。

「飛騨の口碑」というのは、伝承だと思いますが、詳しく確認をしておりません。

清見村の楢谷という場所が「稗田阿礼」が出生した場所として看板を建てられているのは存じています。しかし、それについても具体的にはよく知りません。

飛騨王朝・・・これは、『竹内文書』にも飛騨の地域名が出てきたり、「神岡」「籏鉾」など神に関した名称が飛騨に存在する事。また、「日抱宮」「伊太祁曾神社」が丹生川地区に多いことなどからも、決して否定はできませんが、史実や証拠があるかと言われると、神話の域を超えない話です。

阿弖流為(アテルイ)など、日本語の古語の様に聞こえますが、飛騨にも古語と思われる地名・場所名などが存在することは事実です。以前、アイヌ語かと思って調査したことはありますが、該当するものがなく、そういった言葉が何語なのか、今後の調査を必要とします。

回答になっておりませんが、私はそちらの超古代は専門ではありませんので、逆に教えていただきたいと思います。
Posted on 2017年03月04日 15:24

rekisy さんのコメント

匿名様

あれから色々と調べておりましたら、こんなサイトがございました。
あなたさまの疑問に参考になるのではと思いますのでこちらをご覧ください。

http://mysteryspot.main.jp/mysteryspot/hida/hida.htm
Posted on 2017年03月04日 21:34

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