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金森長近公の肖像画1
昨年、古川で行なわれました、「金森氏のまちづくり展」で、金森長近公の絵像を展示しました。
そのときは、次の2枚を展示しました。
それの1枚は、高山市の文化財になっている素玄寺に伝わる金森長近画像。

そしてもう一枚が、高山別院に伝わっている金森長近公画像です。

このいわれにつきましては、文化七年に金森市之進と言う人が高山別院に寄進したものです。
この市之進と言う人は、長近の兄政近の末裔の人で、尾張藩に仕官し、縁あって、当時尾張徳川家の
領地となっていた美濃の上有知の代官として文化2年に赴任しました。そのときに、美濃の小倉山城が
金森長近の作った城で、清泰寺が金森の菩提寺になっていることを知り、お参りしたところ、そこに長近公の
画像があることを知りました。そこで、泰県と言う人に模写させて、金森氏の縁故のある高山別院にこの
絵像を書かせ、寄贈したという次第です。
そのほかに、5枚の画像があると思われます。今日は2枚だけご紹介します。
一つ目は、高山市郷土館の画像。

これは、京都の大徳寺の金龍院(金森の菩提寺)にあったものを、明治末期に押上中将が
発見し、東大の古文書研鑽掛で模写させたものと伝わっています。
したがって、京都の大徳寺のものと、この郷土館のものは、同じ絵像であると思われます。
同時に長近公の妻の絵像も写され、高山市郷土館に伝わっています。
あとの三枚については、明日、お話します。
徳積善太
そのときは、次の2枚を展示しました。
それの1枚は、高山市の文化財になっている素玄寺に伝わる金森長近画像。

そしてもう一枚が、高山別院に伝わっている金森長近公画像です。

このいわれにつきましては、文化七年に金森市之進と言う人が高山別院に寄進したものです。
この市之進と言う人は、長近の兄政近の末裔の人で、尾張藩に仕官し、縁あって、当時尾張徳川家の
領地となっていた美濃の上有知の代官として文化2年に赴任しました。そのときに、美濃の小倉山城が
金森長近の作った城で、清泰寺が金森の菩提寺になっていることを知り、お参りしたところ、そこに長近公の
画像があることを知りました。そこで、泰県と言う人に模写させて、金森氏の縁故のある高山別院にこの
絵像を書かせ、寄贈したという次第です。
そのほかに、5枚の画像があると思われます。今日は2枚だけご紹介します。
一つ目は、高山市郷土館の画像。
これは、京都の大徳寺の金龍院(金森の菩提寺)にあったものを、明治末期に押上中将が
発見し、東大の古文書研鑽掛で模写させたものと伝わっています。
したがって、京都の大徳寺のものと、この郷土館のものは、同じ絵像であると思われます。
同時に長近公の妻の絵像も写され、高山市郷土館に伝わっています。
あとの三枚については、明日、お話します。
徳積善太