HOME › 飛騨の戦国時代(姉小路~三木~金森長近など) › 安養寺・安寧寺跡の探検14_渡辺家の墓地
安養寺・安寧寺跡の探検14_渡辺家の墓地
このところずっと安養寺・安寧寺跡を探検したことをレポートしてまいりましたが、
ようやくこれで最後となります。
前回お伝えした、安養寺や安寧寺を庇護してきていた江戸時代中期の名家 渡辺市左衛門家
の墓地が、この金毘羅神社(半田)の鳥居の左側に広がる岡の上にあります。
酒井先生にその場所に連れて行ってもらいました。
大変広い墓地で、たくさんの墓石があります。
中には結構新しいものもありますが、それでも明治時代のものです。
渡辺家の隆盛が見て取れる墓地です。
一番奥のところにある、経塚です。一番手前のところには渡辺紋 三品一が
あります。
酒井先生のお話によると、こうして隆盛を誇ってきた渡辺家もとうとう半田の本家は
跡目がなく絶えてしまったとのことでした。
栄枯盛衰とは言いますが、大変残念なことです。
これで、安養寺・安寧寺探検の記を終わります。
徳積善太
ようやくこれで最後となります。
前回お伝えした、安養寺や安寧寺を庇護してきていた江戸時代中期の名家 渡辺市左衛門家
の墓地が、この金毘羅神社(半田)の鳥居の左側に広がる岡の上にあります。
酒井先生にその場所に連れて行ってもらいました。
大変広い墓地で、たくさんの墓石があります。
中には結構新しいものもありますが、それでも明治時代のものです。
渡辺家の隆盛が見て取れる墓地です。
一番奥のところにある、経塚です。一番手前のところには渡辺紋 三品一が
あります。
酒井先生のお話によると、こうして隆盛を誇ってきた渡辺家もとうとう半田の本家は
跡目がなく絶えてしまったとのことでした。
栄枯盛衰とは言いますが、大変残念なことです。
これで、安養寺・安寧寺探検の記を終わります。
徳積善太