平湯大池について2
平湯大池について、平湯館さんにお尋ねしました。

「かつて、平湯大池は、農業用のため池として使っていて、池の西側には
水門や、稗田がありました。そこへ水を引くための用水路も整っていました。
現在は、小さな池の遺構が「深山桜庵」さんの玄関あたりに少し残っていますが、
平成18年の春に桜庵さんが造成を始めるまで、小さくなっていましたが池が残って
いました。
池の側には、平湯館の「蓬莱庵」という平屋建ての建物があって、夏の間だけ
避暑にこられ、料金を多くお支払いいただけるお客様に開放していました。
そこには、厨房設備もあって、特別な料理を提供していました。
ボートの残骸は、昭和40年頃までありましたが、木で朽ちていたので、そのうち
なくなりました。廃棄したかもしれません。
古い方でも、大池という呼び方はしていませんが、かつては大きな池だったかも
しれません。昭和40年ごろは、ため池と呼ばれていました。」
とのことでした。
深山桜庵の場所が、平湯大池であったことがわかりました。
徳積善太
「かつて、平湯大池は、農業用のため池として使っていて、池の西側には
水門や、稗田がありました。そこへ水を引くための用水路も整っていました。
現在は、小さな池の遺構が「深山桜庵」さんの玄関あたりに少し残っていますが、
平成18年の春に桜庵さんが造成を始めるまで、小さくなっていましたが池が残って
いました。
池の側には、平湯館の「蓬莱庵」という平屋建ての建物があって、夏の間だけ
避暑にこられ、料金を多くお支払いいただけるお客様に開放していました。
そこには、厨房設備もあって、特別な料理を提供していました。
ボートの残骸は、昭和40年頃までありましたが、木で朽ちていたので、そのうち
なくなりました。廃棄したかもしれません。
古い方でも、大池という呼び方はしていませんが、かつては大きな池だったかも
しれません。昭和40年ごろは、ため池と呼ばれていました。」
とのことでした。
深山桜庵の場所が、平湯大池であったことがわかりました。
徳積善太