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高山の銭湯について3

久しぶりに銭湯の話題。
高山の銭湯について3

高山市史をいろいろと紐解いてみると、いろんなことがわかりました。

「明治11年11月18日 城山で温泉試掘
和田忠次郎が城山の古城跡853,854字二之丸、881字城坂地内にて
井戸掘り中、湯気が出た。本格的に掘らせて欲しいと地主平瀬市兵衛の諒解
を得て、戸長役場に願書を出す。」
→城山に温泉が出ていれば、高山は温泉観光地になったことでしょう。

「大正3年 湯屋業を営むもの 8件あり」

「大正12年5月 霊泉発見者之碑  上野町の鹿の湯にある。大正12年5月長瀬重次が建立。
石碑は1.8m 慶長3年里人与左エ門が傷ついた鹿の浴せるのを見て霊泉なることを知り
湯治の湯を作ったのが鹿の湯の濫觴とあり。」

「大正15年7月1日 湯屋組合で回数券を発行」

「昭和4年1月4日 電気風呂。 国分寺通り廓前 富士の湯では、飛騨初の試みとして
中将電気風呂を導入。神経痛や婦人病に効くと宣伝した。」

「昭和5年3月4日 くすり湯 左京町の弘法湯は朝鮮人参と実母散を入れた湯を始めた。
             有楽町の梅の湯はカルシウム温泉を開始。」

「昭和6年  浴場18件。うち、12件が薬湯を併設」

「昭和7年4月 松泰寺の湯に自動車道ができた。 山喜久経営。」

「昭和8年 鉄道開通前に 花里垣内儀兵衛が計画発表。平湯、福地、一重ケ根より
温泉を高山まで引く計画。株式にして資金を集める計画あり。」
→とんでもない計画があったものですね。

まだまだ、調査中ですが、こんなにいろんなことがかかれていました。

4月の第1週の放送でお話したいと思っています。

徳積善太
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