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67年ぶりに会えて感激

4月8日付の中日新聞に、この前の再会のことが掲載されました。
67年ぶりに会えて感激
元農林学校生徒67年ぶり”再会”
写真が縁「会えて感激」

第二次世界大戦中の1943(昭和18)年、国の食糧増産農林学徒隊として、
当時の北海道富良野町で集団勤労奉仕をした益田農林学校(現益田清風高)と、
斐太実業学校(現飛騨高山高)の生徒だった長瀬茂樹さん(82)=下呂市金山
町=と、田口登志雄さん(82)=高山市丹生川町=が六日夕、約67年ぶりに
再会。当時の写真や新聞記事、日記を見せ合いながら想い出を語り合った。
(林泰雄、白山泉)

長瀬さんは益田農林の45人、田口さんは斐太実50人のそれぞれ生徒として、
43年五月八日から六月十七日まで、富良野町で田植や草取り、カラマツの植林
などに従事した。宿舎や作業地は別だったが、行き帰りの汽車は一緒だった。
当時、二人は十五歳で知らない者同志。結びつけたのは、雑誌社の依頼で一枚の
写真を見つけた製菓業長瀬公昭さん(48)=高山市上一之町。写真(田口さん
所有)は、両校が写る高山駅での壮行会の口径で、知人の長瀬茂樹さんに見せた
ところ、自分たちも写っていることが判明。日記や資料を持つ茂樹さん、写真を
何枚も持つ田口さんが、ともに「会いたい」と願い、長瀬公昭さんが橋渡しした。
下呂市で会った二人は、写真や新聞記事などを見ながら「丘のような山で草取り。
朝、作業を始め、帰ってくると昼だったね」「農地は幸作が困難な泥炭地だった」
などと語り合った。
また「(奉仕は)満州へ開拓のために行く下準備だろうかと思っていた」「当時、
自分は戦争に行く。怖くはないが、帰っては来られないとの決意を固めていた」
とも。
「会えて感激、あらためて会い、ゆっくり話をしたい」と二人。見守った長瀬公
昭さんは「「再会」というお二人の夢が実現して、本当に良かった」と胸をなで
下ろしていた。

(写真上、勤労奉仕をし、67年ぶりに再会した田口さん左と長瀬茂樹さん。
工法は橋渡しをした長瀬公昭さん=下呂市のホテル水明館で。
67年ぶりに会えて感激
写真下、勤労奉仕の帰りに立寄った靖国神社。斐太実、益田農の生徒達が行進
している。(田口さん所有))

67年ぶりに会えて感激
新聞に掲載されている写真と同じアングルで撮影したもの。

67年ぶりに会えて感激
到着したばかりの頃は、お二人ともご自分の話をされて何となくぎこちない
感じでした。

67年ぶりに会えて感激
資料や写真を見せ合うようになって、だんだんと熱が入ってきました。

67年ぶりに会えて感激
1時間もたつ頃には、もう二人の世界。気持は67年前にタイムスリップ。
そこにいるのは、二人のご老人ではなくて、二人の少年でした。
私などは、門外漢で、なかなか二人の世界に入っていけませんでした。

夢かなって、お二人から私のことを「神様に合せてもらった」などと、
云われ、大変恐縮でしたが、いいことをして良かったという気持になりました。

なお、今回のご縁をいただきました、本当の写真発見者 鈴木典子さんと、
富山の青青編集 出版社の 林原りかさんに御礼を申上げます。


徳積善太
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