4月16日放送分_祭りの運営方法
お詫び=完全に放送の曜日を間違えておりました。
ブログの放送原稿を楽しみにされている方、すいませんでした。
(4月16日放送分148回)
みなさんこんにちは。飛騨の歴史再発見のコーナーです。
この番組は、飛騨の生涯学習者第二号 わたくし、ながせきみあきがお届けして
まいります。
4月ももう第3週になりました。いつも4月と言うのは、進学や就職などで慌しい
ですね。
うちでも今年は娘が進学と言うことで、4月に入ってから引っ越しなどでかなり
バタバタしました。今年は、不景気と言うこともあって、大学進学のほうは、
国公立大学を目指す人達が、例年より3割ほど増加したそうです。
そのため、子供たちにとっては、国公立大学の門戸が狭くなり、逆に私立大学の
方が、料金が高い分だけ、例年よりは楽に入れたと言う傾向があったようです。
また、就職のほうは、就職率が大学卒で80%と、ここ数年でも最低の数字を
記録したそうです。企業のほうも、「新卒採用に限る」という企業が多くなった
ために、安い金額で大学に居残る「就職浪人」という人達がでてきたそうです。
大学側でも授業料を半分にして1年間浪人させるわけですから、また次の年は就職
浪人が出るような状況となってきています。
いずれにしても、高山あたりから大学に進学させますと、仕送りの費用も含めて
大体1年間で250万円くらいの計算となりますから、親御さんたちも大変です。
学歴社会と言う言葉が叫ばれてもう数十年になりますが、こういった学歴を求める
時代が終わったとは言っても、まだまだそういう意識は変わっていない。
何とか成らないだろうかと思う次第です。一方で、ある親御さんと話をしていました
ら、今は資格社会だと言う事を言っておられました。
大学時代にいくつの資格を取っているかによって、企業が書類選考段階で足きりを
する。だから、子供たちは専門学校に行ったり、勉強をするなどして資格を取る事に
専念しないと就職口さえ作れない。ということです。
私たちが大学に行っていた時よりも、余裕がなくなってきていると思いました。
何度か大学でお話をさせていただいたことがありますが、年々学生が余裕がなく
なって夢を持たない人がふえていることを実感しました。
さて、前置きが長くなりましたが、今日の放送に入りましょう。
今日のお話は、お祭りのシーズンですから祭りの話題をお届けしたいと思います。
春祭りと古川祭りの祭りの運営方法についてお話したいと思います。
今週は高山祭と古川祭りが行われていますね。先日の春祭りでは、平日ではありました
が14日・15日とたくさんのお客様で賑わいました。
今年は、上一之町の三番曳組が宮本と言うことで、14日に神明町の参道、15日に上一
之町通りに屋台が曳き揃えされました。

夜祭も神明町交差点から、陣屋前→本町→安川通り→上一之町通りと屋台が運行され
ました。

氏子区域外の人は、この曳行について、どうして毎年変わるのか、ご存じないと思い
ますので、ちょっとご説明をさせていただきますが、春祭りの場合は、宮本と言う
当番が毎年決められています。
屋台組は屋台のない組を含めて15あるんですが、これから神楽台組を除いた14の
屋台組で、順番に宮本を務めています。
もう一つ、神輿組というのがあって、こちらは、8つの神輿組が、順番に宮本を務めて
います。
この当番が当りますと、一年目は準加役といって、加役の手伝い。見習いみたいなもの
です。そして、2年目が加役。そして3年目は宮本として、大元締めをつとめるわけです。
当日二日間は、宮本の人達は、正式な神事ですとか、調印式などに出ておられるのが主
ですが、加役や準加役の方々は、行列の指図をする大締り方ですとか、動きのある役回
りが多いです。
そうやって3つの屋台組、3つの神輿組が順番に祭礼を司るのがこの宮本と言う役です。
このシステムですが、明治23年まではそれまで宮本を青龍台組と神楽台組がずっと務めて
いたのを、費用負担などの理由で、其れまでのシステムを改めて各屋台組が宮本を務める
現在のシステムになりました。
そういったこともあって、神楽台は、明治24年に一度だけ宮本を務めた事がありますが、
その次の回からは、宮本を辞退し、日枝神社の議会で神楽台組は宮本を務めなくてもよい
決まりになりました。
はっきりした理由は定かではありませんが、一般には、常に屋台の先導を司ると言う事や、
橋渡しの行事、獅子舞などの重要な神事に携わっているからだと聞いております。
宮本の旗は、行列の一番最後尾にいつも参加していますが、「祭礼は須らく先例によるべし」
ということが書かれています。

つまり、祭礼に関しての事は前年と同じように行いなさいということ=これが宮本運営の
コンセプトとなっているんですよ。
ちょっとここでブレイクしましょう。曲は「中村雅俊で 俺たちの旅」をお届けします。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
今日の飛騨の歴史再発見は、お祭りの運営方法のお話をしています。
さて、来週に迫った古川祭りですが、こちらの運営のシステムは、全く違います。
古川祭りには起こし太鼓と屋台の二つの主事があります。

起こし太鼓の方は、氏子区域内を4つに割って、それぞれ方位を表す青龍(東)、
朱雀(南)、玄武(北)、白虎(西)という名前がつけられています。
青龍には、殿町の青龍台組が所属。
朱雀には、向町の神楽台のみ、
白虎は、一之町の三番曳台組、鳳凰台組。ニ之町の三光台組、金亀台組。
三ノ町の清耀台組、白虎台組の6つの屋台組が所属。
玄武は、一之町の麒麟台組とニ之町の龍笛台組に闘鶏楽が入ったグループに
なっています。
毎年、三月の第一日曜日に抽選祭が行われ、その年の起し太鼓の運営を司る組が
決められます。
起し太鼓の主事になると、その年の起し太鼓の運行順はもとより、運営に関する
一切の仕切りをしなくてはいけません。主事になった皆さんは、主事が決まった
翌日から祭りに向けての準備を始められます。また、宮本組と言われる気多の
人達は、神社の神楽で奉仕しているだけで、付け太鼓だけの参加が許されていま
すが、この主事をすることからは除外されているそうです。
今年の起し太鼓主事は、厳粛な抽選によって朱雀組(向町)が抽選によって
選ばれました。
毎度の事ですが、朱雀組が太鼓の主事になると、起し太鼓は当然、向町中心に廻る
ルートが取られます。そうなると、町中へは打ち出しの時と終わりの方で廻って
来る事になりますので、夜遅くに一ニ三町の中を曳かれることになりそうです。
一方で屋台主事は、今年は金亀台組がその任にあたります。
屋台主事の責任者 田近さんにいろいろと裏話を教えていただきました。
屋台主事も、それぞれの屋台組が抽選を行うわけですが、屋台は9台ですが、古川
には10の屋台組があります。神楽台と三番曳組は、毎年屋台の順番が一番二番と
決まっていますので、除外され、実質的には8台の屋台組で抽選を行うそうです。
ただし、起し太鼓の主事と屋台主事の両方が当ってしまうとその屋台組は大変に
なりますから、なるべく当らないようにされていたそうです。
4年ほど前までは、抽選祭の際に、その年の起し太鼓の主事をやった組は除外され、
3つの組で抽選を行うわけですが、それまではだいたいどの辺が当りくじかわかった
らしいのです。どの組も両方同時にやると大変な事がわかっていたので、そこは
紳士的に暗黙の了解でなるべく重ならないように配慮がされていた。
ところが、これでは抽選でない、公正でないとの指摘があって、そういった暗黙の
了解がなくなってしまった。
そうしたところ、3年前に青龍台組が両方のクジを引いてしまったということが
あったそうです。起し太鼓の4つの組のうち、青龍と朱雀はそれぞれ青龍台組と
神楽台組という一つの屋台組が取り仕きっていますから、いくら人口が多いとは
いえ役のあたった人たちは大変だったそうです。
そういったことがあったので、今ではなるべく両方の役があたらないような配慮が、
お互いの屋台組同志、あるいは起し太鼓組同志で行われているそうですが、抽選祭
と言う儀式がある以上、厳粛に、公正に、いろいろと工夫をして行われているそうです。
また、起し太鼓の白虎組は今年の金亀台ほか6つの屋台組で回していますから、6年に
一回。玄武は麒麟台と龍笛台と闘鶏楽で回していますから3年に一度回ってくるという
システムになっているそうです。
屋台主事の仕事はといえば、屋台の運行を総て司るということです。
ただし、高山の屋台の運行システムと少し異なるのは、祭りの前日に調印式と言うのが
行われます。これは、今年の屋台の運行に関して、屋台主事が決めた事に対して、
「各組異義ございません。それに従います。」といった意味で記銘捺印の式が執り行われ
ます。これには、各屋台組総代と当番二人の3人が参加し、屋台主事が運行順、引き出し
の日時、曳き分れの日時などを全員の前で発表されます。
それに了解すると所定の用紙に屋台組の名前、出席者の名前を墨字で書き込み、捺印を
行うというものです。「何回出ても手が震える」と出席された方がおっしゃっていました
が、筆を持つ時にものすごく緊張するそうです。
そのため、祭り当日に天候不順などで屋台を曳きださないことが決まると、その日の
祭りはなしとなって、高山のように順道場を作ったり、そこで捺印したりと言うことは
ないようです。

実際に、夜祭の曳き別れを見たことがありますが、大通りで役員の方が整列して、その前
を曳き別れていく屋台が通り、軽く会釈をする程度で曳き別れが終っていました。
さて、本日も時間となりました。来週は、第4週ですから、匠の話 屋台の方向転換の方法
=戻し車についてお話したいと思います。
今日はこの曲でお別れです。曲は「荒井由美 あの日に帰りたい」ではまた来週お会いしましょう!
徳積善太
ブログの放送原稿を楽しみにされている方、すいませんでした。
(4月16日放送分148回)
みなさんこんにちは。飛騨の歴史再発見のコーナーです。
この番組は、飛騨の生涯学習者第二号 わたくし、ながせきみあきがお届けして
まいります。
4月ももう第3週になりました。いつも4月と言うのは、進学や就職などで慌しい
ですね。
うちでも今年は娘が進学と言うことで、4月に入ってから引っ越しなどでかなり
バタバタしました。今年は、不景気と言うこともあって、大学進学のほうは、
国公立大学を目指す人達が、例年より3割ほど増加したそうです。
そのため、子供たちにとっては、国公立大学の門戸が狭くなり、逆に私立大学の
方が、料金が高い分だけ、例年よりは楽に入れたと言う傾向があったようです。
また、就職のほうは、就職率が大学卒で80%と、ここ数年でも最低の数字を
記録したそうです。企業のほうも、「新卒採用に限る」という企業が多くなった
ために、安い金額で大学に居残る「就職浪人」という人達がでてきたそうです。
大学側でも授業料を半分にして1年間浪人させるわけですから、また次の年は就職
浪人が出るような状況となってきています。
いずれにしても、高山あたりから大学に進学させますと、仕送りの費用も含めて
大体1年間で250万円くらいの計算となりますから、親御さんたちも大変です。
学歴社会と言う言葉が叫ばれてもう数十年になりますが、こういった学歴を求める
時代が終わったとは言っても、まだまだそういう意識は変わっていない。
何とか成らないだろうかと思う次第です。一方で、ある親御さんと話をしていました
ら、今は資格社会だと言う事を言っておられました。
大学時代にいくつの資格を取っているかによって、企業が書類選考段階で足きりを
する。だから、子供たちは専門学校に行ったり、勉強をするなどして資格を取る事に
専念しないと就職口さえ作れない。ということです。
私たちが大学に行っていた時よりも、余裕がなくなってきていると思いました。
何度か大学でお話をさせていただいたことがありますが、年々学生が余裕がなく
なって夢を持たない人がふえていることを実感しました。
さて、前置きが長くなりましたが、今日の放送に入りましょう。
今日のお話は、お祭りのシーズンですから祭りの話題をお届けしたいと思います。
春祭りと古川祭りの祭りの運営方法についてお話したいと思います。
今週は高山祭と古川祭りが行われていますね。先日の春祭りでは、平日ではありました
が14日・15日とたくさんのお客様で賑わいました。
今年は、上一之町の三番曳組が宮本と言うことで、14日に神明町の参道、15日に上一
之町通りに屋台が曳き揃えされました。
夜祭も神明町交差点から、陣屋前→本町→安川通り→上一之町通りと屋台が運行され
ました。
氏子区域外の人は、この曳行について、どうして毎年変わるのか、ご存じないと思い
ますので、ちょっとご説明をさせていただきますが、春祭りの場合は、宮本と言う
当番が毎年決められています。
屋台組は屋台のない組を含めて15あるんですが、これから神楽台組を除いた14の
屋台組で、順番に宮本を務めています。
もう一つ、神輿組というのがあって、こちらは、8つの神輿組が、順番に宮本を務めて
います。
この当番が当りますと、一年目は準加役といって、加役の手伝い。見習いみたいなもの
です。そして、2年目が加役。そして3年目は宮本として、大元締めをつとめるわけです。
当日二日間は、宮本の人達は、正式な神事ですとか、調印式などに出ておられるのが主
ですが、加役や準加役の方々は、行列の指図をする大締り方ですとか、動きのある役回
りが多いです。
そうやって3つの屋台組、3つの神輿組が順番に祭礼を司るのがこの宮本と言う役です。
このシステムですが、明治23年まではそれまで宮本を青龍台組と神楽台組がずっと務めて
いたのを、費用負担などの理由で、其れまでのシステムを改めて各屋台組が宮本を務める
現在のシステムになりました。
そういったこともあって、神楽台は、明治24年に一度だけ宮本を務めた事がありますが、
その次の回からは、宮本を辞退し、日枝神社の議会で神楽台組は宮本を務めなくてもよい
決まりになりました。
はっきりした理由は定かではありませんが、一般には、常に屋台の先導を司ると言う事や、
橋渡しの行事、獅子舞などの重要な神事に携わっているからだと聞いております。
宮本の旗は、行列の一番最後尾にいつも参加していますが、「祭礼は須らく先例によるべし」
ということが書かれています。
つまり、祭礼に関しての事は前年と同じように行いなさいということ=これが宮本運営の
コンセプトとなっているんですよ。
ちょっとここでブレイクしましょう。曲は「中村雅俊で 俺たちの旅」をお届けします。
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
今日の飛騨の歴史再発見は、お祭りの運営方法のお話をしています。
さて、来週に迫った古川祭りですが、こちらの運営のシステムは、全く違います。
古川祭りには起こし太鼓と屋台の二つの主事があります。
起こし太鼓の方は、氏子区域内を4つに割って、それぞれ方位を表す青龍(東)、
朱雀(南)、玄武(北)、白虎(西)という名前がつけられています。
青龍には、殿町の青龍台組が所属。
朱雀には、向町の神楽台のみ、
白虎は、一之町の三番曳台組、鳳凰台組。ニ之町の三光台組、金亀台組。
三ノ町の清耀台組、白虎台組の6つの屋台組が所属。
玄武は、一之町の麒麟台組とニ之町の龍笛台組に闘鶏楽が入ったグループに
なっています。
毎年、三月の第一日曜日に抽選祭が行われ、その年の起し太鼓の運営を司る組が
決められます。
起し太鼓の主事になると、その年の起し太鼓の運行順はもとより、運営に関する
一切の仕切りをしなくてはいけません。主事になった皆さんは、主事が決まった
翌日から祭りに向けての準備を始められます。また、宮本組と言われる気多の
人達は、神社の神楽で奉仕しているだけで、付け太鼓だけの参加が許されていま
すが、この主事をすることからは除外されているそうです。
今年の起し太鼓主事は、厳粛な抽選によって朱雀組(向町)が抽選によって
選ばれました。
毎度の事ですが、朱雀組が太鼓の主事になると、起し太鼓は当然、向町中心に廻る
ルートが取られます。そうなると、町中へは打ち出しの時と終わりの方で廻って
来る事になりますので、夜遅くに一ニ三町の中を曳かれることになりそうです。
一方で屋台主事は、今年は金亀台組がその任にあたります。
屋台主事の責任者 田近さんにいろいろと裏話を教えていただきました。
屋台主事も、それぞれの屋台組が抽選を行うわけですが、屋台は9台ですが、古川
には10の屋台組があります。神楽台と三番曳組は、毎年屋台の順番が一番二番と
決まっていますので、除外され、実質的には8台の屋台組で抽選を行うそうです。
ただし、起し太鼓の主事と屋台主事の両方が当ってしまうとその屋台組は大変に
なりますから、なるべく当らないようにされていたそうです。
4年ほど前までは、抽選祭の際に、その年の起し太鼓の主事をやった組は除外され、
3つの組で抽選を行うわけですが、それまではだいたいどの辺が当りくじかわかった
らしいのです。どの組も両方同時にやると大変な事がわかっていたので、そこは
紳士的に暗黙の了解でなるべく重ならないように配慮がされていた。
ところが、これでは抽選でない、公正でないとの指摘があって、そういった暗黙の
了解がなくなってしまった。
そうしたところ、3年前に青龍台組が両方のクジを引いてしまったということが
あったそうです。起し太鼓の4つの組のうち、青龍と朱雀はそれぞれ青龍台組と
神楽台組という一つの屋台組が取り仕きっていますから、いくら人口が多いとは
いえ役のあたった人たちは大変だったそうです。
そういったことがあったので、今ではなるべく両方の役があたらないような配慮が、
お互いの屋台組同志、あるいは起し太鼓組同志で行われているそうですが、抽選祭
と言う儀式がある以上、厳粛に、公正に、いろいろと工夫をして行われているそうです。
また、起し太鼓の白虎組は今年の金亀台ほか6つの屋台組で回していますから、6年に
一回。玄武は麒麟台と龍笛台と闘鶏楽で回していますから3年に一度回ってくるという
システムになっているそうです。
屋台主事の仕事はといえば、屋台の運行を総て司るということです。
ただし、高山の屋台の運行システムと少し異なるのは、祭りの前日に調印式と言うのが
行われます。これは、今年の屋台の運行に関して、屋台主事が決めた事に対して、
「各組異義ございません。それに従います。」といった意味で記銘捺印の式が執り行われ
ます。これには、各屋台組総代と当番二人の3人が参加し、屋台主事が運行順、引き出し
の日時、曳き分れの日時などを全員の前で発表されます。
それに了解すると所定の用紙に屋台組の名前、出席者の名前を墨字で書き込み、捺印を
行うというものです。「何回出ても手が震える」と出席された方がおっしゃっていました
が、筆を持つ時にものすごく緊張するそうです。
そのため、祭り当日に天候不順などで屋台を曳きださないことが決まると、その日の
祭りはなしとなって、高山のように順道場を作ったり、そこで捺印したりと言うことは
ないようです。
実際に、夜祭の曳き別れを見たことがありますが、大通りで役員の方が整列して、その前
を曳き別れていく屋台が通り、軽く会釈をする程度で曳き別れが終っていました。
さて、本日も時間となりました。来週は、第4週ですから、匠の話 屋台の方向転換の方法
=戻し車についてお話したいと思います。
今日はこの曲でお別れです。曲は「荒井由美 あの日に帰りたい」ではまた来週お会いしましょう!
徳積善太