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8月13日放送分_姉小路氏ゆかりの地

(8月13日放送分 第163回)みなさんこんにちは、飛騨の歴史再発見のコーナーです。
この番組は、飛騨の生涯学習者第二号 わたくしながせきみあきがお届けしてまいり
ます。
 この放送でも再三お伝えしておりますが、9月4日から、飛騨市美術館におきまして、
応永飛騨の乱600年祭記念展示会を行います。現在、その準備が佳境に入ってきており
ますが、おそらく史上初めてではないかと思えるくらいたくさんの展示物をご紹介する
事ができると思います。先日は、姉小路家とほぼ同時期に古川入りしたとされる後藤家
について、いろいろと調べておりました。今までは、姉小路家来四天王の一つとされて
きましたが、実は姉小路氏と肩を並べるほどの公家だったことがわかりました。

その家では長い間分家を作らず、跡取りが元服すると、必ず、関の鍛冶に依頼して刀を
作らせたそうです。そのため、今では分散していますが、関係あるお宅に、室町時代の
刀が残されていました。今回の調査では、10以上の刀剣が発見されましたが、その一部
を展示させていただけることになりました。

また、飛騨の国司として有名な姉小路基綱。今まで出版された本には白黒の絵像しか
掲載されていませんでしたが、カラーの原本を展示させていただきます。
これは、江戸時代後期に高山の国学者 田中大秀が京都の絵師に造らせたものですが、
本邦初公開となります。
8月13日放送分_姉小路氏ゆかりの地
 その他にも、沢山の初公開品がございます。9月の放送で、その辺は詳しくお話し
していきたいと思いますが、過去に類を見ない、展示会となりそうです。
どうぞ、ご期待いただきたいと思います。

さて、本日の放送に入りましょう。
今日の放送は、「姉小路氏と廣瀬氏ゆかりの地について」先週の続きをお話ししたい
と思います。

先週のお話しは、国府地区を中心に、廣瀬氏のゆかりの地についてお話ししました。
今週は姉小路氏ゆかりの地についてお話します。ただし、予めお断りしておきますが、
お城につきましては、来週の放送でお話したいと思います。

まず、姉小路氏にゆかりの建物についてお話しましょう。

古川町を北進すると、JR高山本線の飛騨古川駅の次は「杉崎」という場所です。
この杉崎駅の周辺は、姉小路氏のゆかりの場所だらけです。杉崎駅の裏辺り一帯は
「柳の御所」と呼ばれる場所で、ここに姉小路小島氏の舘があったとされています。
現在も古地図で確認すると、字名に「柳の御所」という場所を確認できます。
そこの少し南に、大歳神社という神社がありますが、この神社は、姉小路家・後藤家
のゆかりの神社でした。現在この神社の入口は、旧国道のほうを向いていますが、
かつて、JRが通る前は、入口は反対の東側にあったそうです。

そして、この杉崎駅のすぐ北側には、「細江の歌塚」があります。
この石碑は、明治時代になって、田中大秀の門人たちによって、先生である大秀が、
存命中に建造できなかった姉小路基綱と濟継の和歌を記した石碑を建立したと場所です。

その石碑の北側には、踏切を挟んで西光寺があります。
そこは後藤家の土地に建てられた後藤家の菩提寺だそうです。
そして、その西光寺の北側に、杉崎の町並みがあります。かつてここは、城に一番近い
ほうから、一之町、二之町、三之町があったというお話でした。今では車が一台やっと
通れる通りですが、昔の街並みの幅を残している場所です。

そこから、神原峠の方へ行きますと、左手に寿楽寺というお寺があります。
ここには、姉小路基綱の位牌があります。そして、最近分かったのですが、谷の信行寺
の裏山に当る場所、本堂山といいますが、ここの上に祀ってあった、観音様がこのお寺
に現存するそうです。そして、この観音様が姉小路尹綱が奉納したと言われる伝説が
あるそうです。

その寿楽寺の真裏に、高田神社があります。高田神社の入り口には、「姉小路家顕彰碑」
という大きな石碑が立っています。地元の皆さんによって昭和62年4月に建てられた顕彰碑
です。その顕彰碑の裏側には、「姉小路奥津城跡」の石碑があります。

そもそも、ここに顕彰碑を建てられたのは、姉小路氏の居館「十楽館」という建物が
あったとの伝承があるからです。その「十楽館跡」の石碑が高田神社の左手境内に
あります。

ちょっとここでブレイクしましょう。
曲は「キャンディーズ 暑中お見舞い申し上げます」をお届けします。
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本日の飛騨の歴史再発見は、姉小路氏ゆかりの地のお話をしています。

 この顕彰碑の裏側にも書いてありますが、この杉崎の地には、京都にちなんだ地名
があります。小島城跡を東山にたとえ、北野、嵯峨、賀茂川という地名をつけたとの
こと。現在も古地図や小字名にその名前を確認することができます。この高田神社の
西側には、家来の田近家があった石垣が今も残されています。

 さて、もう少し北に行ってみましょう。
JR高山線の杉崎駅の次は細江ですが、この細江という場所は、飛騨八所・飛騨八景
として有名な景勝地でした。姉小路基綱がよく和歌にしたためていたこともあり、
江戸時代に入って、『飛州志』を編纂した代官長谷川忠崇ですとか、高山の国学者
田中大秀が飛騨八所の和歌を撰した場所です。

長谷川忠崇は、この八所に石碑を建立していますが、現存するものは、この細江と
小坂町のあさんずだけです。細江の名を記した石碑は、現在の古川西小学校の東角。
ちょうど歩道橋の下あたりに看板も何もなく据えられています。

 西小学校から、東の方へ行くと、諏訪神社がありますが、ここにも姉小路氏一族
の墓と称されるお墓があります。明治期に細江村村長さんの発案で建てられた石碑
があります。揮ごうは高山日枝神社の社人富田豊彦が書いています。

 その諏訪神社の左手一帯の地名は、岡前といいます。現在の字は岡と前の漢字を
あてていますが、これを御構えとすると、姉小路一族の建物があったとされる場所に
なります。証拠はありませんが、神岡の江馬の舘のような建物がこの辺にあったのでは
ないかとされています。
現在も空堀の一部が確認でき、地元の方にご案内いただきました。

また、岡前と諏訪神社からは晴れた日には御岳が真正面に見え、まさに絶景を楽しむ
ことができます。今でも景色のいい場所には、家を建てたいと思いますが、ここに
住んだのではないでしょうか。

 今度は、もう少し北の方に目を向けてみましょう。
袈裟丸から41号線をいきますと、国道361号線と別れるところがあります。その正面に
みえる山の向こう側。そこが宮川町小谷です。ここには、姉小路氏の家来が逃げ込んだ
と伝承があって、応永飛騨の乱の戦いで小谷城が落城したとする説があります。
個人で管理されているお宮ですが、『姉小路宮』というお社があります。この場所は
新しい場所ですが、実は古宮という場所から、江戸時代末期の安政年間に一つの石像が
発見されました。そして、昭和47年に同じ場所から「姉小路氏」と彫られた石板が
見つかり、くぼみがあったので、安政に発見された像と合せた所、ぴったりと一致
しました。それ以来、姉小路宮を建造され、現在もお祀りがされています。
8月13日放送分_姉小路氏ゆかりの地
少し戻って、袈裟丸北の鷹狩橋を渡り、信包方面に行くと、向善寺があります。
この寺は、大正時代に二つの寺が合併しましたが、合併する前の善行寺は、姉小路氏の
家来が開基のお寺です。ここには、姉小路基綱の木像が安置されています。
8月13日放送分_姉小路氏ゆかりの地
そのお寺の正面に見える場所が「城見寺城跡」と呼ばれる城跡です。
実は、地元の方しかご存知ないものがここにあります。それは「小鷹利氏の墓」と
刻まれた墓碑です。かなり大きなもので2mくらいの高さがあります。小鷹利氏の
末裔の方によって、明治初年に建立されています。私も見た時にはたいへん驚きました。
8月13日放送分_姉小路氏ゆかりの地
 このあたりには、小鷹利城と向小島城がありますが、お城の方については、来週
お話したいと思います。

ちょっと、南に目を向けますが、古川消防署から畝畑に抜ける新しい道がありますが、
山裾を大きくカーブしています。じつはこの山の上が百足城というお城があった場所
なのですが、そのカーブが右に大きく曲がっていくところの左手に広がるのが高野と
いう場所です。この高野には、五社神社があります。五社神社は、現在は蛤城のあった
山の下にありますが、この神社も姉小路ゆかりの場所と伝えられています。
そして、高野を上の方に上がっていくと、かつてここに古川スキー場がありましたが、
その手前の所が、字光専寺という場所があります。岡村利平さんは、光専寺は姉小路氏
ゆかりの寺院ではなかったかと「飛騨史料」に述べられています。

 今まであまり、姉小路氏に関しての研究がされていませんでしたので、こういった
場所が紹介される事はありませんでしたが、今でも古川にたくさんの伝承の地がある
ということをお分かりいただけましたでしょうか。

来週の放送は、今日のつづきで、今度は「古川盆地の古城について」お話したいと
思います。どうぞお楽しみになさって下さい。

今日はこの曲でお別れです。「ゴダイゴで銀河鉄道999」
ではまた来週お会いしましょう。

徳積善太
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