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姉小路氏ゆかりの地_細江歌塚

古川町の杉崎地区には細江歌塚と云う石碑があります。

姉小路氏ゆかりの地_細江歌塚
細江歌塚。

これは、高山の国学者 田中大秀が長年にわたり姉小路基綱を顕彰し、その
顕彰碑を建てようと計画しました。ところが、ゆかりの墓碑を探したのですが
見つからず、また、時代も天保ということもあり、飢饉などで人々が苦しんで
いるときに、そういった顕彰碑の設立をはばかられました。

ところが、大秀は志半ばで亡くなり、明治20年になって、大秀の門下の方と
有志によって、この石碑が建造されたのでした。そのことが看板に書かれています。

姉小路氏ゆかりの地_細江歌塚
「市指定 史跡
細江歌塚
昭和46年8月2日指定

天保七年(1836)、高山の国学者田中大秀は、飛騨国姉小路基綱、
同済継の功績を讃えるため、姉小路ゆかりの地に
碑の建設を計画したが、志なかばで没した。
その後、大秀の流れをくむ「杉の二本社」車中が中心となり、
命じ二十年(一八八七)に建立したものである。
 
不るさとに乃こる心はこころにて
      みはなほひなのみをなけくかな。
        従二位権中納言 藤原基綱卿
久もをわけにこりをいてしこころもや
     於なしはちすのつゆの月かけ
         参議正三位 藤原済継卿
(碑表) 正二位権中納言藤原実愛書
(碑裏) 荏野田中大秀文 門人 蒲八十村書
      平成十八年十月
             飛騨市教育委員会」

徳積善太
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