祐念坊の方便法身尊形
今までその所在が明らかになっていなかった、飛騨市宮川町西忍の祐念坊
にあった開基仏の「方便法身尊形」を見つけることができました。

ある個人宅にそれは大切に保管されていました。
何でも、このお宅は、江戸時代の初期に祐念坊が火災にあい、その時に
建物があった場所が、現在の宮川町西忍の消防署のあたりだったそうです。
その後、90年ほど無住となり、近くのお宅に、道場が移され、しばらくはそこで
読経がなされていたそうです。
そのお宅では、祐念坊の道場が高牧の方に再建されたときに、方便法身尊形を
お寺のほうに返されました。
その後、安政の大地震にて、寺院が崩壊し、現在地に祐念坊が再建されました。

先々代のお坊さんが、「この寺も間もなく後継ぎがいなくて無住になる。この
本尊はもともとお宅にあったものだから、また預かってほしい」ということで、
預かられたということでした。

残念ながら、裏書きの文字が見えませんが、富安郷と書いてあるのか、何と
書いてあるのかが非常に興味の持たれるところです。
徳積善太
にあった開基仏の「方便法身尊形」を見つけることができました。

ある個人宅にそれは大切に保管されていました。
何でも、このお宅は、江戸時代の初期に祐念坊が火災にあい、その時に
建物があった場所が、現在の宮川町西忍の消防署のあたりだったそうです。
その後、90年ほど無住となり、近くのお宅に、道場が移され、しばらくはそこで
読経がなされていたそうです。
そのお宅では、祐念坊の道場が高牧の方に再建されたときに、方便法身尊形を
お寺のほうに返されました。
その後、安政の大地震にて、寺院が崩壊し、現在地に祐念坊が再建されました。

先々代のお坊さんが、「この寺も間もなく後継ぎがいなくて無住になる。この
本尊はもともとお宅にあったものだから、また預かってほしい」ということで、
預かられたということでした。

残念ながら、裏書きの文字が見えませんが、富安郷と書いてあるのか、何と
書いてあるのかが非常に興味の持たれるところです。
徳積善太