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和漢三才図会_飛騨

先日、『和漢三才図会』の本のことをご紹介しましたが、最近は便利ですね。
ネットで全巻を見ることができます。

国立国会図書館のページ

そのページから、「飛騨」のページを出してみるとこのような感じになっています。

和漢三才図会_飛騨

和漢三才図会_飛騨

これではよく見えないので、解読するとこんな文章になっています。

「飛騨            東山道
一ノ宮水無大明神
四郡 三万八千七百六十四石余

大原府 益田 荒城 天野  本為三郡今加天野為四郡

風土記ニ云此ノ国本美濃ノ内也往昔江州大津ニ王宮ヲ造リ時自此ノ郡良材ヲ多ク出シ而モ馬駄ニ負ヒテ
来ル其速ナル飛ブガ如シ因テ改テ飛駄ノ国ト称ス
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
△高山 東江戸ニ至百十一里内十九里当国内下原境目同東山道八十六里内十三里
当国内自和境也高山寅信州松本ニ至ル二十里寅方信州上田ニ至ル十九里半亥子方
越中黒川至二十三里
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
当国神社仏閣名所

水無大明神 在天野郡
 祭神 御歳神 和州葛城郡御歳神與此同
 大乙貴尊之女貴照光姫命之母高降姫也
 神階  貞観十五年四月従四位上

荏名明神 在大原郡

八幡宮  在高山 大永年中石清水ノ神ヲ勧請ス

明神社  在益田郡松森村

正福寺  在川根    曹洞

浄土寺  在高山    浄土

 永保年中草創建保年中源空弟子再興
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
爾布川 位山 朝日原 清水原 飛騨細江
  以上の名所未だ分明ナラズ当国ハ邊地ニテ往還ノ順路ナラザレバ也

  飛騨人の真木ながすてふ爾布の川
      ことばかよへと船ぞかよはぬ

飛騨ノ匠 昔当国ニ多ク工匠有テ宮殿寺院ヲ造ル。今ニ迄イタリ飛騨ノ工ト
称ス。(俗飛騨工者以一人名為誤也)職原抄大全ニ云、木工寮ハ大工之作ナス
所ヲ皆之ヲ掌ル。古へ飛騨ノ国ニ大工多ク京都ニ参リ木工ノ頭ヲ奉行ス。
之ヲ飛騨ノ工ト曰フ也。

  飛騨のたくみ打すみ縄にあらねとも
      只一すしに君をこそおもへ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
飛騨国土産

綿 煙硝 銀 銅(あかがね) 椹(さわらき)
欅(けやき)土井 楊枝ノ木  鵅(ハイタカ)
搗栗(かちくり) 鮎(あゆ)古川 紬」



大野郡と大原や、天野郡と混同されており、正確性には欠けますが、遠隔の地から
どうやってこういった情報を仕入れたんでしょうか。

また、正福寺とか浄土寺とかどこの寺院をさし示しているのでしょうか。

こういった部分が非常に興味がありますね。

徳積善太
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この記事へのコメント

ひろちゃん さんのコメント

書かれたのが正徳2年(1712年)のようですが、荏名明神が書かれていますね。
飛州誌(亨保2年・1727年)
飛騨国中案内(延亨3年・1746年)
の両署には荏名明神の記載がありません。
謎ですね・・・
Posted on 2010年12月02日 15:24

ひろちゃん さんのコメント

書かれたのが正徳2年(1712年)のようですが、荏名明神が書かれていますね。
飛州誌(亨保2年・1727年)
飛騨国中案内(延亨3年・1746年)
の両署には荏名明神の記載がありません。
謎ですね・・・
Posted on 2010年12月02日 15:26

rekisy さんのコメント

ひろちゃんさん>お久しぶりです。
そう言われれば、そうですね。荏名明神の記述がここにあるのも面白いですね。

確か江戸時代には、この明神様は出産の神様だったような。名称も異なったのではないでしょうか。
Posted on 2010年12月03日 16:01

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