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江馬修(えまなかし)37回忌

千葉県在住の某氏より、以下の情報の提供を受けました。
転載のお許しを得ましたので、本ブログにて紹介いたします。

江馬修(えまなかし)氏は、飛騨人物事典によれば
江馬修(えまなかし)37回忌
「明治22(1889)12/12~昭和50(1975)1/23)小説家、高山市空町生まれ。
地役人江馬弥平の4男。斐太中学を中退し状況。神田区役所に勤める傍ら田山
花袋の門に入り、自然主義文学に取り組んだ。明治44年に処女作の短編『酒』
で文壇デビュー。大正五年ヒューマニズムを基調とした長編『受難者」がベスト
セラー。関東大震災を体験して社会主義に関心を持ち、マルクス主義に入って行き、
大正15年に日本プロレタリア作家同盟参加、中央委員を務め、全日本無産者芸術連盟
気管支『戦旗』編集委員となった。のちに、思想弾圧が強まったため飛騨へ帰り、
雑誌『ひだびと」の編集に携わる傍ら、代表作となる長編『山の民」を執筆。
江馬修(えまなかし)37回忌
昭和16年には角竹喜登らと飛騨文化連盟を結成。戦後は再び上京し「人民文学」の
創刊に参加。「アカハタ」に『本郷村善九郎』などを発表。」


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「1月23日は、「江馬修忌」でした。

小雪の舞う、1月16日に、千葉市内の寺院にて、江馬修忌の法要が行われました。
当日は、ご遺族はじめ、親戚・縁故者の参列があり、併せて江馬弥平をはじめと
する先祖代々の供養の法要も営まれました。
江馬修(えまなかし)37回忌
江馬は、昭和50年1月23日に、85歳で東京都内の仮寓にて亡くなりましたので、37
回忌法要でした。

江馬の代表作とされる、飛騨の明治維新期の動向を主題とした歴史小説『山の民
』の冒頭には、版により表現はまちまちですが、「慶応四年正月二十三日、」と
あります。その日付は、命日と同じであり、不思議なものを感じるのは私だけで
しょうか。(江馬の死因は、老衰と脳軟化症とされています。江馬の最後のコト
バは、「たまご」であったようですが、直接の死因は、窒息死だったのではない
でしょうか。ご遺族によれば、江馬は、食事中に喉へものが詰まった時には、必
ずというほど生卵を所望したそうです。)

さて、当日は、「お華束(おけそく)」が供えられ、おときの席では、ぎせい豆
腐、こも豆腐、姫竹・ゼンマイ・蕗・ナツメの煮物、品漬け・白菜のきり漬けな
ど、江馬家の故地である飛騨を感じるものをはじめ、ナスの煮物、日干し鮎の炊
き込みご飯(ナスと鮎は、江馬の好物であった)などが、饗せられ、故人や先祖
・親戚、飛騨のことなどの話が展開されました。(下略)」




徳積善太 転記


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