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5月27日放送分_屋台の話_八幡神楽台

(5月27日放送分 第196回)
みなさんこんにちは。飛騨の歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは飛騨の生涯学習者第二号、わたくしながせきみあきがお届けしてまいります。

高山の観光もGWにはたくさんの人に来ていただいて大変にぎわいましたが、GW過ぎ
には、土日は何とかお客様でにぎわっていますが、平日ががらんとしていますね。

先日、旅館組合青年部の方とお話していましたら、以前は、オンシーズンとオフシーズン
というのがはっきりしていて、単純に冬場はオフシーズン、4月~11月まではオンシーズン
という事で料金体系を変えて経営がなされていたとのことですが、最近は、お客様の入込に
合わせて、オンシーズンとオフシーズンを設定しているとのことでした。

つまり、GWやお盆などお客様が集中する時期をオンシーズン価格とされているのですが、
それ以外の時期は、かつてのオンシーズンの時期でもオフシーズン価格を適用するといった
経営に変ってきているとのことです。

最近では、インターネットで予約されるお客様が多いので、それこそオンオフを旅館の空き室
状況を見ながら、毎日変化させる。
空きが出てしまえば、旅館としては収入がないわけですから、価格をダンピングして集客を
図る。そうすると、大型旅館が価格を安く設定するわけですから、小さな規模の旅館では当然、
対応が厳しくなる。

その繰り返しで、ホテル・旅館業界では価格破壊が進んでいて、競争に一層拍車がかかっている
と云う事でした。

観光客の皆さんには、特に若い人たちはこういったインターネットでの予約をされる方が増えて
いて、複数の旅館を同時に予約し、サービスをチェックしながら、キャンセル料がかからない時
に、1つの旅館を決定して他をキャンセルしてしまう。
そうやって、宿泊するホテル・旅館を決定する方が増えているそうです。

旅館側にとっては、予約されているものがある日突然、キャンセルされるわけですから、今まで
のように旅行代理店が対応していた時代の予約とは異なり、個々のお客様への対応が必要となり
ます。
そういう点では、インターネットの登場によって、旅館側もそういう対応をしていない旅館ほど、
経営が厳しくなると云う現状があるということでした。どの業界も大変ですね。

さて、本日の放送に移りましょう。本日の放送は、第四週目ですので、屋台の話題をお届けしたい
と思います。

昨年の7月頃から、毎月第四週目には、屋台のお話をして参りました。

高山の祭屋台のみならず、飛騨にある屋台についてお話ししようと思いましたが、現在、飛騨には
60台以上の祭屋台が存在しますし、無くなった屋台も含めるとそれ以上になります。
その屋台について大体2台位づつ、ご紹介しております。

そんなにあるかと言われる方の為に、ちょっとご紹介しますと、
・春の高山祭の屋台が、現存が12台、なくなったものが3台、造られなかったものが1台あります。

・秋の高山祭が現存が11台、なくなったものが4台、屋台は有りませんが、屋台組としてはこの
ほかに3台分あります。

・古川祭の屋台が、現存が9台、なくなったものが1台。

・飛騨高山祭の森にある屋台が8台あります。

・それに平成の屋台が2台。

・このほかに、神楽台として現存するものが東山白山神社神楽台、飛騨総社神楽台、清見町三日町
白山神社や愛宕神明神社などを初めとしてだいたい8台位ありますし、

・高山の屋台が売られていった屋台が金山町下原八幡神社に1台現存します。

・また、高山の屋台を模して造られたものが、和良村に現存します。

いま申上げたものを合計するだけでも、67台という数になります。

私も、まだ確認していないものも有りますが、明治時代にあちこちで神楽台の建造がなされて
居ります。現在は屋台がなくても古記録などを確認すると、屋台が有った事が記されていたり、
また屋台を建造しようとしましたが結局は資金繰りがつかず建造されなかかったという例も
有りますので、こうやって調べてみると結構新しいことが分かったりします。

 この67台を毎月一台づつご紹介すると、延べで5年以上かかります。
そのため、だいたい2台づつ位ご紹介させていただいています。

昨年の7月から3月まで9カ月かかって、15台の屋台をご紹介してまいりました。

計算が合いませんが、私が詳しく調べているものについては、ちょっと長めにお話しさせて
いただきました。

今月からは、秋祭りの屋台を紹介してまいります。

あれ、もう前半の時間を使ってしまいましたので、後半でお話してまいりますね。

ちょっとここでブレイクしましょう 
曲は 「イルカ サラダの国から来た娘」をお届けします。
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本日の飛騨の歴史再発見は、秋祭りの屋台の話をさせていただきます。

さて、秋祭りの屋台のトップバッターは、神楽台です。かつてこの屋台は、金森左京が大太鼓と
獅子頭を寄進したのが神楽台の初めと言われています。
時代的には江戸時代中期の話で、これが事実であれば大変古い話です。

実は、現在も左京町という町名が八幡神社の区域の中にありますが、かつてここには、
金森左京の広大な屋敷が広がっていました。
中央部分が跡地として現在も残っており、桜山八幡宮のお旅所となっています。
桜山八幡神社のお祭りの時に江名子側沿いに、能舞台のような建物の前に、各屋台組の高張提灯
が掲げられる場所が有ります。そこが、お旅所です。

金森左京は、現在の神岡町に屋敷を構えていましたが、高山にも屋敷を持っていました。
4年前、福井で金森氏の展示会が行われた時に、桜山八幡宮所蔵の金森左京屋敷跡絵図を見せて
いただきましたが、相当広い敷地の建物が、かつてこの場所にあったとされております。

さて、神楽台に話を戻しましょう。神楽台の屋台蔵は、唯一桜山八幡神社の境内にあります。
現在の屋台組は、桜町と八幡町にまたがっています。
ところが、かつて神楽台を寄進したのは、新町の人たちだったと言われています。

享保三年に、氏子の有力者 風井屋長右衛門が現在の日下部民芸館の所に住んでいましたが、
「剣かたばみ」の紋を付けた神楽台を寄進したという記録が「紙魚のやとり」に見られます。

現在の屋台は、文化十二年(1815)に高山の国学者田中大秀の設計交渉によって改造したのが
出張りの周囲に匂欄をつけたもので、囃子方が外から乗り降りできるようになっていました。
これが高山の神楽台の始まりだとされています。

組内の資料には、この年に工匠風井屋長右衛門、忍屋某、塗り師輪島屋喜兵衛、彫刻浅井一之
となっています。
しかし、文化12年には浅井一之は生れていないので、謎とされています。
『屋台雑考』を書いた長倉先生によれば、この形になったのは、「江戸時代末期の嘉永から
安政年間ではないか」とのことです。

『屋台雑考』には、明治の改修前の神楽台の貴重な写真が掲載されていますが、現在の屋台の
ように中段がなく、下段の台の上に囃子方が乗っている高さが非常に低いものです。
それでも写真には、笛方が3人、大太鼓が2人、締め太鼓が1人と大人が6人以上乗っている
ところをみると、重心の低い安定した屋台であった事が伺えます。

この江戸末期改修の時に造られたのが、現在の三輪車の形態で、外車。下段には白彫りの獅子。
大枠の上には金色の鳳凰と金幣を三本建てたスタイルになっていました。
この屋台を明治36年(1903)まで曳いたようです。

明治36年の祭礼後、村山民次郎が工匠となり、大改修を行いました。
下段はそのままとし、中段に伊達柱を立て、中の間には緋羅紗に桜と鳩の刺繍の幕を吊り
ました。これが現在も曳かれている屋台です。

太鼓枠の上にある金幣は、それぞれ、天照大御神、八幡神社、春日神社の3つの神を象徴して
いるそうです。

こちらに伝わっている獅子舞の曲は、道行き、1つあげ、2つあげ、おちゃえ、高い山、場ならし、
はち、大神楽、三文獅子などがあります。
従来、八幡神社と山口の八幡神社が関係が有るとのことで、そちらから伝承されたという話に
なって居りますが、調べてみると、山口も江名子獅子を伝承しています。
いわゆる高山市の無形民俗文化財になっている徳兵衛獅子と山口に伝承されている松原獅子と
呼ばれているものは、どちらも江名子獅子の形態で、同じものと思われます。
この獅子の話については、一度時間を取ってお話したいと思います。

さて、この獅子舞の形態の中で、大変珍しい名称の「三文獅子」というものが不思議で、
調べてみました。
これは、いわゆる高山に伝わる獅子舞の中で、「小かぐら」と呼ばれるものが変化したもので、
地元の方は「銭もらい」ともおっしゃっていました。
広い氏子の区域を廻る時に、何件もの家を全部回していたのではとても時間が足らない。
そこで、短い曲を少しづつ廻すことで、各家でお払いをしてその代償を受け取る。
そういったものでした。
名称の「三文」というところに、お金をもらうためのものである証拠が有ります。

さて本日も時間となりました、来月は、下一之町の屋台から順番にお話ししたいと思います。

来週は、高山の伝説となっている「味噌買い橋の伝説の謎」についてお話します。
どうぞお楽しみに。
今日はこの曲でお別れです。「甲斐バンド HERO」それではまた来週、お会いしましょう!

徳積善太
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