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6月3日放送分_味噌買い橋の話は本当か?

(6月3日放送分 第197回)
みなさんこんにちは。飛騨の歴史再発見のコーナーです。このコーナーは飛騨の生涯
学習者第二号、わたくしながせきみあきがお届けしてまいります。

GWの後には、神岡などで29度を記録し、大変暑い日が続きましたね。
このままだと今年の夏もですが、5月も昨年同様、かなり熱くなるのではないかと
心配しました。

ところが、5月の第三週あたりから、雨の日が多くなって今度は逆に肌寒い日が
続きました。こうして、気温の変化が激しくなったりしますと、体調を悪くされる
お年寄りが増えてきます。
また、湿度が高くなったりしますと、膝に持病を持っておられる方は、激痛では
ないんでしょうが、膝がずきずきと痛んだりします。
どうぞ、お風呂に入るなどして体調管理には十分に気を付けていただきたいと思います。

いま、フェイスブックというインターネットのソフトが有るんですが、最近、そちらや
ツイッターというソフトを利用させていただいています。
フェイスブックというのは、MIXIやツイッターや、チャット、ブログという機能がついた
ものです。
あまりこういったものを御存じない方の為にちょっと説明しますと、昔、壁新聞というの
がありましたよね。あれのインターネット版だと思ってください。

自分の周りで起きた事を写真付きで掲示板にはりつけますと、それをメンバーになっている
人が見て、コメントを入れる。
そうすると、その他のメンバーがまた見てコメントをするというようなものです。
これがツイッターやブログの機能です。

また、会員の人がその壁新聞に接続している間は、他の人と会話が出来ます。
会話と言っても、パソコン上の会話ですから、声で会話するんじゃなくて、文字で会話
します。これがチャットというものです。

そして、友達の紹介機能があって、友達の友達はまた友達といった具合に、自分の知り合い
を増やすことが出来ます。もちろん、気に入らない人が有ったら、友達登録をしなければ
いいので、そういう方も時々います。そうやって使えるのがMIXIと同じ機能です。

そうやって、1つの話題についていろいろと会話したり議論したりするシステムです。
そちらのほうでは、最近、高山や飛騨の人たちで造っているグループがあって、ここ
1カ月ほどで会員数が150人を超えました。
ほんと、若い方が会話をされていますが、東京に勤めておられる方や、海外におられる方が
飛騨を心配して話されることも有ります。とても勉強になりますので、是非、やってみて
下さい。私も実名で登録しておりますので、もし興味がありましたら、私に友達申請して
ください。いろいろとお教えいたしますよ。

さて、本日の放送に入りましょう。
本日の放送は、先週予告をしましたように、「味噌買い橋」のお話をしたいと思います。

皆さん、「味噌買い橋」って物語をご存知でしょうか?
地元の伝承では、これは実在する橋で、宮川の中橋の下の所にある「筏橋」がそれだという
ことですよね。ご存じない方の為に、ちょっとそのお話を紹介してみましょう。
6月3日放送分_味噌買い橋の話は本当か?
「丹生川村の沢上という所に、長吉と云う信心深い正直な炭焼きがいた。ある夜、枕元へ
仙人のような老人があらわれて、高山町へ行って味噌買い橋の上に立っていて見よ。大そう
よい事を聞くから。と言ったかと思うと目が覚めた。
夢であったから長吉は早速炭を売りながら高山に出て、味噌買い橋の上に立っていたが、
丸一日たってしもうたが何もよいことは聞かない。
二日も三日もよいこととは聞けない。
五日目に味噌売橋の側の豆腐屋の主人がふしぎに思って「なぜ毎日立っているのか」と
尋ねると、長吉は夢の話をしました。

豆腐屋の主人は笑いだして「つまらない夢なんかあてにしなさるな。私もこの間夢を見たよ。
老人があらわれて、なんでも乗鞍の麓の沢上とかいう村に、長吉と云う男がいる。その家の
側の杉の木の根を掘れ。宝物が出るよ。というたが、俺は乗鞍の沢上なんて村はどこにある
か知らないし、もし知っていたとても、そんなばかげた夢を信ずる気にはなれん。
悪いことは言わない。お前もいい加減にしてお帰んなさい。」というた。

それをきいた長吉は、これこそ夢の話に違いないと身も心もおどる思いで、お礼もそこそこに
急いで、とぶように村へ帰って行き、帰るなり木の根を掘ってみると、出た出た。
金銀のお金やいろいろの宝物がざくざくと出たから、其のお陰で長者となって、村の人々は
福とく長者というた。」というような物語です。

これは、坊方の亡き母ナヨさんの話として、澤田四郎と云う人が「続飛騨探訪日誌」という
附録に「丹生川昔話集」収載の「夢と夢」というお話の全容です。

どこかできいたことのあるお話だと思います。ちょっとここでブレイクしましょう。
曲は「稲垣純一 ドラマティックレイン」をお届けします。
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本日の飛騨の歴史再発見は「味噌買い橋のお話し」についてお話しています。

ただ、調べてみますと、同じような話が実は全国に分布しているようで、「日本昔話大成」
という、全国の説話を収録した本には、多くはありませんが、全国に同じような話が十数話
存在するそうです。

そもそも、この話が有名になったのは、昭和14年の2月と4月に民俗学者柳田國男が
「民間伝承」という雑誌誌上に、「味噌買い橋 伝説か昔話か」という論考を発表
したことによります。
柳田國男全集には、13巻の630ページに「味噌買橋」という題名でその論考が出ています。

先ほどご紹介した澤田四郎という人の附録を読んで、高山に「味噌買橋」という橋があった
かどうか、いろんな本を読んだが、古老などに聞いて確認してほしい。としています。

というのは、G.L.Gommeの著書「Folklore as an Historical Science」という本の中にある話
は、先ほどお話しした正直な炭焼きを a pedlar(行商人)に。豆腐屋をただの一市民に。
高山の味噌買橋をLondon Bridgeに取りかえれば、九分五厘まで同じ話であるという疑問を
持ったからでした。

どうして、イギリスと高山に同じような話があるのか。

そう思った柳田先生は、その信憑性を確かめるために高山の人たちに対して、呼び掛けた
のでした。
その後、先生の研究は進み、同じような話が、西ドイツにも存在することがわかりました。
こちらの話では、炭焼き男が幸運の賎の男であり、16世紀に現存していたエンゲル家の主人
の話として。橋の方はコブレンツの橋という風に紹介されています。

ただし、編集委員のヨハンネスボルテという人が、これに反論し
「同じ話は西暦1500年もずっと以前に存在する。」と指摘しました。

またその後の調べでは、十世紀終わりの頃のアラビア人の記述などにも見られると云う事で、
この話の起こりは相当古いと考えられる。話の要点が、幸運がつい眼のさきにあるんだと
いうことからアジア大陸系の話であると云う事と、欧州の翻訳では、全て橋の話になって
いると云う事を指摘されています。

さて、地元高山でもこのことを研究された方が有りました。
平成3年の飛騨春秋に伊藤浩子さんが書かれて居りますが、この物語について、地元の本
では、先にご紹介した「続飛騨探訪日誌」のほかに、昭和16年に「代情山彦著作集」に。
昭和37年に中一国語の教科書に、柳田國男氏によってとりあげられたことがわかります。

ところで、この味噌買い橋は誰が書いたかですが、伊藤さんは、そもそもこの「丹生川昔話
集」の「夢と夢」という話が松岡浅右衛門・つぎ・みか子の三人によって集められたもので、
昭和14年以前にあった話であることをつきとめられました。

ただし、西小学校が昭和8年に出版された「飛騨の伝説と民謡」というものには収録されて
いないと云う事がわかりました。

その中で、「小糸坂」「陣屋稲荷」の話が、元高山市郷土館市史編纂委員だった小林幹先生
が、「あれは私が作った小説である」とされていて、ひょっとしたらという疑問を持たれ
ました。

昭和45年に「美濃と飛騨の昔話」を書かれた畑中裕作先生が生前お手紙で、
「味噌買い橋の話は、小林幹さんが昭和5年か6年頃に西校で出した郷土教育に関する研究物
の1つとして書かれたものが世に広まりました。…私は(「美濃と飛騨の昔話」にある」)
「味噌買い橋」を書いた時に、小林幹さんの西校郷土教育研究時代に書かれたものを参考に
しました」ということをつきとめられました。

小林先生は、グリム童話を参考にこのお話をまとめられたようで、伊藤さんが高山図書館で
借りてせっせと読んだ「世界童話体系」という大正13年~昭和2年頃の本の裏書に、「小林幹
蔵書」というサインが書かれてあったとのことでした。
今もそれは、高山市図書館に保管されているようです。

 今も美しい宮川の流れにかかる筏橋。私たちが子供の時から教えられてきた「味噌買い橋」
という名前は実は作り話で、イギリスの物語をさも高山の話の様に、昭和の初めに造られた
物語でした。
それが、一時期は中学校の教科書に載ったと云う事ですから、大変素敵なお話として人々の
心にとどめられたんですね。

今日のお話は、伊藤浩子さん、童話研究家の岩崎さんにご協力いただきました。
ありがとうございます。

さて、本日も時間となりました。来週は、第2週の放送となりますので「井波と高山の関係」
をお届けしたいと思います。本日はこの曲でお別れです。
曲は「原由子 あじさいの歌」をお届けします。また来週、お会いしましょう!

徳積善太
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