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万人講の石碑3_大原騒動義民供養碑

万人講には、大原騒動の供養碑が建てられています。

角竹先生の記述からの抜き出しです。


(2)大原騒動義民供養碑
万人講の石碑3_大原騒動義民供養碑
寛政八年(159年前)小八賀郷大谷村(今の大野郡丹生川村大字大谷)久治(今は
荒川姓)が、高山東山雲龍寺存妙和尚と相協り、施主は久治一人でこの大きな碑を
建てた。

表面「南無三世諸佛」の文書は笠ヶ岳の開山として且能書の評ある東山宗猷寺南裔
和尚の書と「紙魚のやとり」に見えて居る。
台石に明治二十九年洪水倒溝五世孫甚三郎修築と銘してあるので、寛政八年に建てた
碑が洪水で倒れ損したのを、五世孫の荒川甚三郎氏が修築したことがわかる。

 大原騒動は安永年間に起こった「安永騒動」と天明年間に起こった「天明騒動」と
前後十数年間に亘る永井騒動で時の老中へ駕籠訴したもの=片野村伝七・江名子村
孫次郎・牧ヶ洞村善十郎・金桶村甚蔵・山本村彦兵衛・舟津町村太郎兵衛・時の勘定
奉行邸へ駆込願をしたもの前原村藤右衛門六人は江戸で打首、桐生万人講にて獄門に
処せられた(注 片野村伝七は江戸で死亡)

宮村大集合の罪では神主二人・百姓二人が、この地で磔に処せられた。

安永騒動だけでも磔四人・獄門十七人・打首三人・遠島十七人・追放十四人・たたき払
五人・押込三人・過料九千九十一人の多きに上った。
天明騒動では百姓側に三人の死刑者を出した。これ等の犠牲者の諸霊を供養する碑
なのである。」


徳積善太
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