万人講の石碑4_餓死者供養碑と妙典碑
角竹先生の記述より抜粋です。
「(3)餓死者供養碑

金森時代、延宝三年(280年前)の飛騨大ききんに餓死したもの一万余(高山城下五万と書いた
本もある)をこの地に埋めたのを、高山の座頭色の都(しきのいち)が天和年間に供養して、この
碑を建てたのである。
延享三年上村満義著の「飛騨国中案内」活字本には色の都と仮名付してある。惜しいことには
碑面風化し、僅かに数文字を読得る程度である。
(4)書写大乗妙典(年号なし、由来未詳)

」
この大乗妙典碑は、記載がありませんが、経塚の一つではないかと思われます。
徳積善太
「(3)餓死者供養碑

金森時代、延宝三年(280年前)の飛騨大ききんに餓死したもの一万余(高山城下五万と書いた
本もある)をこの地に埋めたのを、高山の座頭色の都(しきのいち)が天和年間に供養して、この
碑を建てたのである。
延享三年上村満義著の「飛騨国中案内」活字本には色の都と仮名付してある。惜しいことには
碑面風化し、僅かに数文字を読得る程度である。
(4)書写大乗妙典(年号なし、由来未詳)

」
この大乗妙典碑は、記載がありませんが、経塚の一つではないかと思われます。
徳積善太