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7月6日放送分_白川郷と五箇山の合掌造りの違い

(7月6日放送分 第251回)みなさんこんにちは。飛騨の歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは飛騨の生涯学習者第二号、わたくしながせきみあきがお届けしてまいります。

みなさんには2週間ぶりの放送になりますが、いかがお過ごしでしょうか。
この2週間、政局は大荒れして、いよいよ消費税が増税されることが決まりましたね。民主党からは
57人の造反議員が出て、分裂状態になりました。以前、消費税法案が可決されるときに自民党が
強引に消費税の導入を決定しましたが、あの時には、最終的に強行採決に向かい、大紛糾の中で
可決されました。

その時に将来、消費税を増額するのではという懸念がありましたが、いよいよそれが実現化して
しまいました。
ただし、欧米の各国に比べて日本の消費税はまだまだ安いという現実があります。
今回の民主党の方針は、将来的に増税をすることで、現在の日本の福祉制度などを見直そうと
いうものでしたが、増大し続ける経費をもっと見直さないといけない。原子力などのエネルギー問題も
ある。そういったことが目的の増税ですが、私は、増え続ける日本の借金を減らそうという方向も
考えて頂かないと、将来、私たちの子孫に莫大なツケを残すことだけは避けて頂きたいと思います。

さて。私はこの2週間、大変忙しい日を過ごしておりました。
今度、7月22日に行うイベントの準備と、9月に行います、飛騨高山まちなみコンサートと飛騨高山
ストリートジャズフェスティバルの準備をしておりました。
何とか関係各方面のご協力で、3つのイベントも実現に向けて動き出しました。
これからまたこの放送でもお知らせしていこうと思いますので、よろしくお願いいたします。

そのイベントについて、現在目前に迫っているものについてちょっとお知らせしたいと思います。
7月6日放送分_白川郷と五箇山の合掌造りの違い
7月22日に国府町で歴史関係のイベント「戦国の山城フォーラム -国府の山城の謎に迫るー」
が行われます。
丸一日かけて三部構成で行われますが、朝9時に国府支所前に集合して廣瀬城を全国の城郭研究家
 中井均先生と一緒に登ります。昼食を済ませてから1時半より城郭研究家の佐伯哲也先生と元高山市
郷土館長 田中彰先生の研究発表があり、そのあと基調講演として中井均先生の講演があります。
テーマはそれぞれ、
佐伯先生が「飛騨の山城の時代的変遷」
田中先生が「飛騨における武士団の集約と飛騨国統一」
中井先生が「飛騨の山城―その魅力を語るー」というテーマでお話をされます。
ここまでは入場無料です。

そのあと5時から、会場を鴻野旅館に移して会費制による懇親会が開催されます。
ただいま、参加者を募集しておりますので、お申し込みは国府支所 72-3111反中さんまでお電話で
お申し込みください。
もう一度申上げます。7月22日午前9時より廣瀬城巡り。午後1時半より講演会。午後5時より講師を囲
んでの懇親会です。山城に付いて興味のある方、戦国時代に興味のある方は72-3111まで、是非
お申込みいただきたいと思います。

さて、本日の放送に入りましょう。
本日の放送は、先週予告をしましたように「白川郷と五箇山の合掌造りの違い」についてお話したいと
思います。
最近、白川郷のGS暮らしっくという勉強会のお手伝いをさせていただいております。

これは、白川郷と五箇山地区が世界遺産に登録されたのを契機に、今一度、合掌造りや山間部の生活を
見直そうという目的で、開催されている勉強会です。
このGSというのは、五箇山の「G」と白川村の「S」をとり、「クラシック」という言葉に「暮らし」という言葉を
かけて作られました。運営は白川郷と五箇山と交互に行われ、ほぼ毎月勉強会を開催するということを
行ってこられました。

先日5月28日の49回目の時に、元高山郷土館張の田中先生にご講演いただき、そのあとシンポジウムを
行いました。
その時のテーマは「白川郷と五箇山の合掌造りの違い」について。
五箇山の合掌造りをずっと守ってこられた屋根の葺き師の小林亀清さんと、白川郷の案内人の上手重一
さん、田中先生、そして私の4人がパネラーで、白川村教育委員会の松本さんがコーディネーターという
形でお話をさせていただきました。

本日は、その時にお話しされた内容について、お話したいと思います。

まず、田中先生の講演の方は、高山にある観光文化施設「飛騨の里」にある建物を取り上げながら、
合掌造りの違いについてお話しされました。

飛騨の里には、飛騨各地から移築された板葺の建物や合掌造りの建物があります。
その中で、萱ぶきの建物について、手を合わせたような形の切妻式の物や、その妻側の所に庇のような
屋根のついている入母屋式の建物についての違いについてその構造についての違いをお話しされました。
詳しくは後半でお話したいと思います。

ちょっとここでブレイクしましょう。曲は「     」をお届けします。
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本日の飛騨の歴史再発見は、古川の屋台「白川郷と五箇山の合掌造りの違い」についてお話しています。

田中先生のお話しの中で、大変勉強になったのは、飛騨の国には三種類の民家の形があったということ
です。これは藤田元春という 民俗建築家が昭和の初めに飛騨に入り日本民家史の本を作りました。
一つは板屋。低い勾配の屋根をもつ高山型の民家。
2)こうがい棟。入母屋造り。北飛騨のいまは飛騨市になっていますが古川と河合村・宮川村と荘川地域
には典型的な入母屋の建物がありました。
そして3つ目には、切妻を3つめに上げています。

藤田さんは旅をして、荘川の岩瀬にありますしもたけに有った若山家を見ています。これは飛騨の里に
移されている国の重文です。
また白川の大家族で有名なのは御母衣の遠山家も見ております。
藤田先生の記録を抜粋したポイントは、飛騨には3つの種類があるという事でした。


また、合掌造りと一言で言っても、その構造上は、4つのタイプがあるという事です。
その4つとは、上屋(じょうや)造り、下屋(げや)造り、新上屋(しんじょうや)造り、入母屋造りの4つです。
先生は実際の合掌造りのスライドを見せながらご説明されました。
先生は、高山の飛騨の里、白川郷、白川村の民家園、五箇山の建物を比較しながらお話をされました。

チョウナ梁、=五箇山ではチョンナ梁といいますが、自然の曲がった木をそのまま建物の梁に使ったもの
があります。その加工の仕方によって上屋・下屋。新上屋づくりというタイプに分かれるそうです。

がわの柱とテッポウ梁などの梁り方の構造の違いがあります。
言葉で説明するのはちょっと難しいのですが、どこが違うかというと、チョウナ梁の一層目が床の水平ライン
と繋がっていない。従って、チョウナ梁で受けているという所が違います。
げあ桁とか上屋桁とそういう2つの段差があるものが2本あります。下屋柱、上屋柱がなくて、側柱だけに
なっている。チョウナ梁で上の方を支えています。

つまり、上の屋根を構成する斜めの部分が、下の建物の柱の上に直接乗っているか、それともチョウナ梁
が柱の上に乗っているかによって上屋・下屋が区分されます。

また、上屋は駒尻が上の方に乗り一層の床に乗ります。新上屋の方は、側柱の上に側桁があって、
その上に乗るという構造の違いがあります。

これは、側柱に屋根が乗ることによって空間がものすごく大きくなります。
新上屋の場合は、高さが高く確保できて、一層二層目の空間が非常に大きいということがあります。

ちょっと言葉で説明しにくいのですが、そのような構造の違いがあるというお話を講演会でされました。



さて、その後のシンポジウムでは、「白川郷と五箇山の合掌造りの違い」について、シンポジウムで具体的に議
論しました。一番の違いは、入口の違い。白川郷では平入りと言って、いわゆる屋根の庇に当る部分から
家の中に出入りするのに対し、五箇山では妻入りと言って、屋根の合掌の高い側から入るような仕組みの
入口が多いです。

これについて、私は白川郷の上出さんと以前議論をしていた時に、高山の三町の建物に江戸時代の建築
基準法があって、建物を建てる時には陣屋の門の高さよりも屋根を高くしてはいけないという決まりがあり
ました、そのため、白川郷でも同じように妻入りとすると高くなりすぎるので、平入りにしたんじゃないか
と田中先生に投げかけた所、

「町家と農家ではその基準は異なると思う、士農工商という身分制度で上人は一番下であったために、
そういう規制があったが、農家の場合は、例えば庄屋さんなど、比較的認められた部分もあったと思われる。」
というお話でした。

また、小林さんからは、この家ノ向きというのは地形による。たいてい道路側には、お客さんを宿泊される
部屋を造り、裏側のじめじめした場所は個人が利用する物として処理された。という興味深い話を
いただきました。




また、屋根の葺き方ですが、白川郷では、結の制度を利用して、片方の屋根を一度に葺き替え、近所に
手伝いに出たときは何時間手伝ったとか、何把の萱を貸したとかいうことがあった。
そのため、借りたら借りた分だけ労働や、萱を何把と言った具合でおかえしする制度があった。
その頼もしのような貸し借りで、借りた分を返すという事が行われていた。

一方で、五箇山では1/3づつ3年づつで葺くので、全体をやると18年かかる。
そうやって少しづつ萱を集めながら、少しづつ葺いて行ったと。そして、葺き終わった萱は、田んぼの肥料に
したということがあった。
最近では、効率が悪いので一度に葺くが、以前は少しづつだったなどと言う葺き方の違いなどについて
も、お話しされ、勉強になりました。


さて、本日も時間となりました。
来週の放送は、最近発見されました「牧戸城の謎」についてお話したいと思います。
どうぞお楽しみに。
それでは本日はこの曲でお別れしましょう。曲の方は「      」をお届けします。
それではまた来週、お会いしましょう。

徳積善太
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