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8月17日放送分_古川の山城について

(8月17日放送分 第257回)
みなさんこんにちは。飛騨の歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは飛騨の生涯学習者第二号、わたくしながせきみあきがお届けしてまいります。

あれだけ暑かった高山も、立秋の頃を過ぎたら、何となく涼しくなりました。
朝晩の気温も15度から19度と大変涼しくなっているようです。お盆休みで高山に帰省された皆さん
は、都会に比べて大変涼しいので、夜寝やすいと言っておられましたが、窓を開けたまま寝ていた
ので、逆に夏風邪を引かれる方もおられたようです。
どうぞ皆さんも体調管理に気を付けて下さい。

今年の夏休みは、暑すぎたせいか、ちょっと高山に来られる観光客の方も少なかったのではと思います。
8月の初めに、テレビで今年の夏休みの傾向について報道しておりましたが、それによりますと、今年の
夏休みは6割の方が何処も行かずに自宅で過ごすという方が多いとのことでした。
しかも、外出をしたとしても、近郊の観光地などでキャンプやBBQなどをして過ごされたり、丁度オリンピック
をやっておりますから自宅で観戦するという方もおられたようです。
今年のロンドンオリンピックは、日本からみると丁度地球の裏側になりますので、時差が8時間あります。
すでにご存じのとおり、生放送を見ようとすると深夜の一時頃から明け方にかけて放映されることが多かった
ですから、私も寝不足になりました。

しかし、今年のオリンピックは大変面白かったですね。やはり上の方に行くと、技術的な差はほとんど見られず、
結果的に、克ちたいという気持ちがどれだけ強いかということで、金メダルか銀メダルかが別れたように
思います。
男子のフェンシングの試合などは、残り一秒と云うところでおいついて、延長戦になり、最終的には決勝戦に
進出を決めたなどと云う試合も有りました。相手に勝つという事は、まず自分に勝って、気持ちを前面に出して、
最後まであきらめないという事が大事なことなんだと思いました。
私は、普段の生活にもこういう気持ちが大切だという事を今年のオリンピックの放送を見て学びました。

さて、本日の放送に入りましょう。
本日の放送は、第三週目ですので古川の話しをしたいと思います。実は私も観光業者の一人ですので、
この夏のお盆の時期は大変忙しい日を過ごして居ります。
おまけに、今年はイベントでの出演をたくさんいただいたので、出演するために練習をしたりと、なかなか
時間が無くて、テーマを決めておりませんでした。
丁度、先々週の放送で、国府の山城フォーラムというイベントを行いましたので、今日のテーマも山城に
したいと思います。


国府の山城フォーラムの席上で、城郭研究家の佐伯哲也先生が飛騨の山城の数についてお話しされました。
先生の話しでは、「確定しているわけではないが、飛騨の山城は100~154あると言われています。」と
おっしゃっていました。
研究会が終了後に、会場の方から、「そんな数の山城があるとは聞いたことが無いが、どこにどれだけあるん
ですか?」という質問がありました。佐伯先生のお話では、「北飛騨の方にかなり確認されている」とのお話
でしたので、ちょっと調べてみました。

ちょっと前のデータですが、平成7年(2005)に岐阜県が悉皆調査というのを行って、岐阜県中世城館跡総合
調査報告書というのが出されました。岐阜県と云う位ですから、飛騨だけではないのですが、その中には
次のような数の城館跡が報告されています。

まず旧高山市地域は22。
合併後の周辺部が51(内訳は、丹生川11清見3荘川3宮村7久々野5朝日8高根5国府18上宝9。
飛騨市は39(内訳は宮川2、河合2、古川17、神岡18)
下呂市は31(萩原14、小坂5、馬瀬2、下呂4、金山6)
白川は2などとなっています。合計すると145と云うことになります。

また、この悉皆調査が為された時に、地元の伝承は残っているけれども確認できていないあるいは確認
されなかった山城を含めると
飛騨市6(宮川町3 河合町1 神岡町2)
下呂市2、
高山市35(朝日町5 高根町2 国府町24 上宝1 丹生川町2 清見町1)
白川村1などと云う数字になり、合計しますと44もありますから、先ほどの数字と合わせると189と云う数字
になります。後半では、まずこの数についてお話したいと思います。

ちょっとここでブレイクしましょう。曲の方は「松田聖子 青いサンゴ礁」をお届けします。
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本日の飛騨の歴史再発見は、古川の山城についてお話しています。

先ほど、飛騨の山城や城館跡の総数が189というお話をしました。ただし、この悉皆調査には城館も含まれて
いますので、山城の実数ではありません。
また、この悉皆調査が行われて以降も数件の山城が発見されていることになりますし、城館跡の数を差し引い
たり、平成7年以降に発見された城の数を合わせると、冒頭に申し上げたように今日現在の山城の総数は
154と云う数字になります。

さて、其の154のうち、その大半を占めるのが飛騨市地域で、なかでも古川盆地は国府町もあるわけですから、
相当数の数になります。
先ほどの数字をもう一度整理してみますと飛騨市は確認されているものが39あり、そこに未確認の物を含めると
全部で45になります。(内訳は宮川5、河合3、古川17、神岡20)となりますから、古川盆地分としては17と
なります。
8月17日放送分_古川の山城について
また、そこに国府地域を加えますと42という数字になりますので、古川盆地総数では、59と云うことになります。

今わかっている範囲内でお話をしますと、中世の山城が作られるようになったのが、現存しているもので
一番古いものでも、源平合戦の頃ですから、西暦1000年~1100年の時代。
現在、大河ドラマで平清盛をやっていますが、丁度この頃です。
飛騨の城では、高山の三仏寺城、石浦の石光山砦がその頃の城として知られています。

しかし、古川盆地において確認される山城は、それよりも時代がずっと下がり、西暦1400年代から1500年代
のものばかりです。
これだけ限られた地域に、59ものお城があったという事は、ほとんどの部落に一つあったと考えてもよさそうな
位のもので、それぞれの部落にそれぞれの豪族がいたかというと何とも言えません。

あるものは、知行地のエリア=なわばりの端の砦として。またあるものは、其の部落の人たちが有事の際に
逃げ隠れた山城としてどうも機能していたのではと見るのが正しいようです。

先日開催された「戦国の山城フォーラム」において、この古川のエリアでは、古川町の北部に姉小路氏一族
が国司として任命されて飛騨に補任されてきたということがお話にありました。
姉小路氏というのは、京都の公卿の一族で、大体1300年代に京都の朝廷から国司を任命されて飛騨の地に
来たということになっております。

ただし、この頃は、ちょうど後醍醐天皇によって南朝が開かれ、また、足利尊氏によって北朝が開かれ、天皇家を
二分する状態になっていました。
従って、南朝の朝廷から国司を任命された姉小路氏でしたが、北朝にとっては、全く関係のない人だったわけ
です。2つの政府があるわけですから、非常にややこしい、国情としては非常に不安定な状態だったわけです。

そこに今度は、応永18年(1411)に起こった、応永飛騨の乱を境にして、北朝から任命された京極氏がこの
飛騨の地に入ってきます。その一族だった人が、多賀氏であったり、益田地方を知行した三木氏であったり
したわけです。
おそらくこの頃には、姉小路氏も北朝方となっていたと思われますが、国司が知行していた場所に、北朝方の
安国寺が作られたり、北朝方の武将が入りこんできたりして、非常に飛騨と云うところは知行地が分断された
状態になりました。
おまけに、貴族や武家の間で、領地を勝手にお寺に寄進したりするものですから、今度は寺院の領地と云う
ものまで増えてきました。

したがって、国府町のあたりでは、山科家という公家が知行していた場所ができたりしました。
ところが、遠隔地の為に京都からコントロールできませんから、永年の間にそこを管理している人が所領を押領
したりして、所有者がだんだんわからなくなってきました。

京都では領地を取られてしまうと、年貢が入ってこないわけですから、こんな飛騨の山奥の地でも何とか自分の
ものとして取り返したいという公家が訴訟を幕府におこしました。
そのため、幕府では、この山奥の知行地を一度調べなければいけないと言って、家来を遣わして所領を確認
させました。
ところがすでにこの地域は、所有者が管理地を取られてしまっていたり小さな豪族がぐっちゃぐちゃの状態に
なっていたというわけです。
その時に、この山城が縄張りをはっきりさせるために沢山造られたというわけです。

此の話をしだすとどんどん長くなりますので、これくらいにしますが、古川盆地にはそういった小さな豪族や
公家の所領地が沢山出来たために、古川盆地には59もの山城が現存するというお話でした。

さて本日も時間となりました。
来週の放送は、第4週目ですので古川の祭屋台の話し。今回は三之町の清曜台についてお話したいと思います。
どうぞお楽しみに。
さて本日はこの曲でお別れです。曲は「サザンオールスターズ 匂艶The Night Club」をお届けします。
それではまた来週お会いしましょう!

徳積善太
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