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10月5日放送分_今年の秋祭りについて

(10月5日放送分 第263回)みなさんこんにちは。飛騨の歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは飛騨の生涯学習者第二号、わたくしながせきみあきがお届けしてまいります。

さて、岐阜清流国体、始まりましたね。
高山会場では、バスケットとハンドボールとアーチェリー。
飛騨市会場では、ハンドボールとサッカーとラグビー。
下呂市会場ではハンドボールとソフトボール、白川村ではウォークラリーが行われました。
連日、熱い戦いが繰り広げられた様ですが、岐阜での開催が40年ぶりと言う事もあって、結構
盛り上がったようです。

9月28日、29日には、歓迎イベントと称して、納涼盆踊り、高山商工会議所青年部のYEG祭り。
そして、翌日には一番街などの商店街がおもてなしの祭りなど、付随した沢山のイベントが繰り
広げられました。文字通り、飛騨は国体一色になりましたが、多くのお客様でにぎわったようです。

もともと国体の正式名称は、国民体育大会です。
これは戦後、日本人が食糧難で子供たちも含めて国民の健康をそこねないように、開かれた
体育祭です。1946年の開催以来、毎年各県の持ち回りで開催されてきました。
現在の様に冬季大会と夏季大会が同一県で開催されるようになったのは。1964年の新潟開催から
だそうで、それまではそれぞれの競技で、天皇杯、皇后杯など別々に開催されていたようです。

今回の岐阜清流国体では、岐阜県の国体事務局によりますと、選手総数が21412人、本部団が
1110人、合計で22522人の方が競技者として参加されているようです。
また、運営ボランティア 手話 選手団サポートボランティアとして県の登録では約5800名市町村
の登録では約9600名、合計15000人程の皆さんが、参加されたそうです。
沢山の人の力によって開催されているんですね。 

旅館組合の方とお話ししていましたら、全国の国体イベントは、 部の県で開催されていないと言う
事でした。実は全国に43都道府県ありますが、この国体イベントが開かれているのは、わずか17県で、
其の他の県では、開催が出来ない、あるいは、開催を拒否しているというお話でした。
イベントが長期間にわたる為、宿泊施設がなかったり、費用もかかると言う事もあって敬遠されている
と言うのが実情のようです。

経済的にも、高山地域は応援のお客さんが観光を兼ねてきておられる事もあって、飲食店なども大変
にぎわっており、国体さまさまですが、先日、下呂市の方に参りましたら、下呂温泉ではそんなに経済的
な効果がみられていません。
一部の旅館に集中して宿泊されている様で、国体のお客様が入っていない旅館はガラガラ。
お土産店も閑散とした状態でした。国体の経済効果については、その地域地域で異なるようですね。

さて、本日の放送に入りましょう。
本日の放送は、先週予告をしましたように、秋の高山祭りも近いので、久しぶりに高山のお祭の話しを
したいと思います。

先日、ソーシャルネットワークのフェイスブックで仲良くなった秋祭りの氏子の方とチャットをして情報交換
をしました。今年の秋祭りのお話しをしたいので、何か特筆すべき事はありますか?とお尋ねしました。

そうしましたら、「今年の秋祭は、下一之町の金鳳台が、平成の大修理の為に今年は休台で、引出され
ない事。また、春祭りの石橋台が、現在屋台蔵修理中とのことで、有料にはなりますが、屋台会館の方で、
ご覧いただけるとのことでした。
一台ではありますが、春と秋の祭屋台が同時に見られるという事もそうないことですから、観光客の皆さん
には、是非屋台をご覧いただきたい」とのお話でした。
10月5日放送分_今年の秋祭りについて
また、見どころとしては「秋祭りなら『布袋台』からくりですね(^^)
唐子が綾を渡って行くのは、何度見てもちょっとハラハラ、ドキドキしますね。それから、9日午後には、
神楽台、鳳凰台、行神台、鳩峰車が大新町を曵き廻します。日中に曵き回しがみれるのはこの時だけです。」
とのことでした。

この9日の屋台引き回しについては、私も知らなかったのですが、氏子の方にお聞きしますと、昭和40年頃
から、大新町5丁目の方も氏子なのに、屋台も来ないと言う事で、屋台組の方が気をきかせて神楽台、鳳凰台
と他の2台の屋台を引いて行き、丁度、神様の行列がそちら方面を回られると言う事で、屋台を並べる様に
なったようです。
他の2台の屋台は、7日の抽選祭で決められるようですが、毎年、順番に何処が行くか決まっている」そうです。
ちょっとここでブレイクしましょう。曲の方は「      」をお届けします。
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本日の放送は、秋の高山祭りについてお届けしております。

以前、春祭りの時にもお話ししましたが、春と秋とで異なる事があります。
「たとえば、春祭りは夜祭(よまつり)と呼び、秋祭は宵祭(よいまつり)と呼んだり、御巡幸と御神幸で言い方が
違ってたりします。
また、春は1ヶ月前に屋台の順番の抽選会がありますよね。でも秋は7日の試楽祭に抽選会があるんで、
観光課の出すパンフレットは間に合わないからいつも町内順になってるんです。

祭りを統括する組織?単位?も春祭りは屋台組毎で順番に宮本を回すでしょ、秋は各屋台組から年行司、
副年行司を出して、年行司という組織で統括するんですよ。
結構春と秋ではちょいちょい違うんですよね。」というお話でした。ちょっとこの事で調べてみました。
10月5日放送分_今年の秋祭りについて
実は、春祭りは夜祭と書いて「やさい」と呼ぶ神事が御旅所で行われて、その神事が終了後に「神楽台の一番
太鼓を合図に夜祭が始まります。」したがって、やさいとよまつりがあるんです。

先般、飛騨産業さんで発行された冊子に日枝神社副議長の長尾さんの話しが紹介されていたのですが、
この屋台に提灯を付けて屋台を動かすと言うことは、春祭りの屋台組の皆さんが始められた行事だそう
です。
春祭りでは、先ほど申し上げたように、神事をやさい。提灯をつけて曳行する行事を夜祭といって区別して
おりますが、あくまで、氏子の皆さんが楽しみで始めた事のようです。

夜祭(やさい)が終わって何にもなかったので、
「昭和23年頃、夜も屋台をだしてはどうやという意見が出て、うちの親父たちも一緒になって始めのうちは
数台の屋台だけが提灯付けて夜も出しとった。それが、段々広がっていって全部の屋台が出るようになって、
観光的にも有名になったもんで、今は祭の一環としてやっとるんやな」という長尾さんのお話でした。

また、神様の行列の呼び方ですが、春祭りは御巡幸と呼びます。14日は試楽祭、15日は例大祭と言う事に
なっていて、神様がくまなく回られるので此の呼び方になっているようです。
ところが、秋祭は、10月7日に試楽祭が行われ、神事と共に屋台の順番を決める抽選祭が行われます。
そして、9日が例大祭となっています。

以前、桜山八幡宮の谷田宮司にお聞きした時に、例大祭と言う呼び方について教えて頂きました。
これは、その神社に神様がおまつりされる様になった事を祝う氏子の祭だということでした。
そのリハーサルと言うか、例大祭が本番で、一連の儀式がうまく運ぶように行われるのが試楽祭だという
意味です。従って、春祭りの14日に試楽祭というのは、本来は間違いと言う事になります。

そういうこともあって、秋祭の9日は例大祭、10日は、御神幸祭(ごしんこうさい)と呼んで、神様が氏子の区域を
回られる行事の日と定められているようです。

春祭りにもありますが、先日、「桜山八幡宮例祭次第」を見せて頂きました。
それによりますと、9日と10日では行列が異なるんですね。
秋祭りの場合、9日には、中隊くらいの行列を組んで、大新町方面を回られるようです。この時には、
大新町五丁目の水門組の皆さんが主になって、行列を取り仕切っておられるようです。
その時に、先ほど申し上げた、屋台の曳行がなされ、神楽台と鳳凰台と、選ばれた2台の屋台が、大新町
方面に並べられるようです。
そして、次の日の10日には、今度は神様の行列に屋台組の警固が加わり、大きい体列の行列が組まれて、
神様が氏子区域内を練り歩かれます。

春祭りは、14日も15日も同じ行列が組まれるのに対して、秋祭は9日と10日で組まれる行列が異なると
言う事を初めて知りました。

また、行列の内容も春と秋では異なります。細かい話しをするときりがないのですが、私がびっくりしたのは、
一番先頭に消防団の皆さんが行列に参列されていることです。
これについて、桜山八幡宮の総代さんにお聞きしましたところ、
「八幡宮の横に秋葉様があり、あれは飛騨の秋葉様の総社と言うことで、かつては、まといを持って火消し
の桜組の人たちが参加していた。おそらくその名残だろう。いまではまといは使っていないが、交通整理を
してくれるので、消防団の人に一番先頭を歩いてもらっている。」ということでした。

また、行列の時に小さな通りを行くご分霊がありますが、桜山八幡宮の場合、神様を大神輿とご分霊に
わけ、小さなご分霊も桜山八幡宮の神様のご分霊が乗せられて居ると言うお話でした。

夢中になって話していたら、今日も時間となりました。
本日の原稿制作にあたってご協力いただきました酒向由香さん、寺地亮平さんありがとうございました。
さて、来週のお話しは、橋の話し第二弾 今回は升形橋についてお話しします。
どうぞお楽しみに。本日はこの曲でお別れです。
曲の方は「   」をお届けします。それではまた来週お会いしましょう!

徳積善太
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