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10月27日放送分_飛騨の神楽台について

(10月26日放送分 第266回)みなさんこんにちは。飛騨の歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは飛騨の生涯学習者第二号、わたくしながせきみあきがお届けしてまいります。

先日、まちなみ保存連合会の第一回の検討会があり、議事録が送られてきました。
これは、高山に21ある町並保存会の連合会が開催したもので、高山市の美しい景観を保全
するためにどのような歴史をたどってきたか。どのような損失補償制度があるかといったお話
しのあとに、各保存会活動での問題点などを討議するといった内容でした。

席上、各保存会の問題点の討議の時には、初めてという事もあって各保存会での問題点が
多く指摘されました。一番問題なのは、今迄の一定のルールに外れた人が出て来た時に
どうするかと言った問題でした。

この保存会を組織しておられる住民の方は、どちらかというと町内会組織、祭組織、班活動組織
などという活動が常にあり、人のつながりが非常に強い地域であると思います。
ところが、最近は建物を県外の方が所有されたり、地元の人でもよそにずっと暮らして定年に
なって戻ってきたという方がおられます。

そういった方が、地域のルールを無視して建造物を建設されるケースも出てきている。
また、県外の業者の場合、地元のルールを全く無視した建造物や店舗、看板を建造される
場合があります。こういったことをどう取り締まっていくか。地元の人間ではなかなか取締という
ことまでできないということもあるというお話でした。

また、少子高齢化が最も進むのもこの地域ですので、空き家も増えてきています。
そのため、その空き家を駐車場にされたりするケースが出てきておりますので、町並保全と言う
観点からは、駐車場になってしまうと一番問題になります。
そういったことを今後検討していこうと言うお話しが出ました。

この古い町並みを含む三町地域は高山の顔ともいえる地域です。この地域が高山に及ぼす経済
波及効果は年間で1200億円にも上るようです。
今後、この町並、高山の町並を保存していく上で、今までは考えられなかった波に対抗していかな
くてはいけません。私も保存会の責任者として数々の問題に取り組まなければと思っております。

さて、本日の放送に入りましょう。
本日の放送は、先週予告をしましたように「飛騨の屋台」についてお話しいたします。
この屋台シリーズを始めます時に、飛騨の屋台の数についてお話ししたことがあります。

飛騨の屋台の総数が何台なのか。私は68台あると申上げました。そんなにあるんですよ。

一般には、高山では春祭の屋台が12台、秋祭11台が有名ですね。
ところが、国の有形民俗文化財になっているのは、この23台に加えて東山白山神社の神楽台と
飛騨総社の神楽台を含めた25台が有形民俗文化財です。
また古川には、古川祭の屋台9台があって、こちらは古川祭そのものが国の無形民俗文化財と
なっています。
実は、これ以外にも屋台があって、まず、現存しない物としては、春祭りが3台、秋祭りが4台、
古川祭が1台あります。
また、高山には小さな神社に3台ありましたので、高山・古川の合計は現存が34、廃台が11と
なります。

そして、旧郡部に行きますと、旧朝日村に神楽台が3台(立岩、甲、万石)。旧清見村に1台(三日町
白山神社)。旧荘川村に4台(荘川、一色、野之俣、黒谷)。白川村に4台(平瀬、飯島、荻町、)あり
ますし、かつて、高山の屋台が売られていった金山の下原八幡神社にも屋台が1台あります。
郡部の合計は白川郷も含めて現存が13台と言う事になります。

また、平成になって造られた平成屋台と工業高校の生徒が作った工匠台、飛騨高山まつりの森に
ある屋台8台がありますので、10台を足しますと、合計は、現存する物が34+13+10=57台。
現存しない物が11台ですから、全部で68台あったことになります。

屋台組の皆さんは、自分の屋台組の事はよくご存じだと思いますが、他の屋台組に関しては全く
知らないと言う方が多いと思います。まして、郡部の屋台となると、その辺は全く未知数なのでは
ないでしょうか。
私も、神楽台の事を調べて行く間に、あちこちの神社にお邪魔する機会を得ました。
そうしたら、現在は使われていないのに、とても立派な屋台が現存していたり、立派な屋台なのに、
あちこち傷んでいて曳き出されなくなってしまったものがあったりしました。
後半では郡部のそれぞれの屋台について、お話ししたいと思います。
ちょっとここでブレイクしましょう、曲は「     」をお届けします。
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本日の飛騨の歴史再発見は、「飛騨の屋台」についてお話ししています。

まず、高山近辺の屋台についてお話したいと思います。

さきほど、小さな神社に3台あったと申上げましたが、そのお話をしたいと思います。
東山白山神社の隣に愛宕神明神社という神社があります。現在は使われておりませんが、ここには
神楽台が現存しており、愛宕神社の社殿の前の小さな神楽庫に保管されています。
実際に曳かれることがありませんので、私も全容を見たことがありませんが、扉の隙間からみると、
赤い枠で造られた屋台にちゃんと小さな太鼓枠が乗っているのを確認しております。

氏子の方に伺ったら、もういつからか引出されていない。年よりの人しか覚えていないんじゃないか
と言うお話でした。
こちらの、神楽は、大々神楽を子供がつとめ、オレンジ色の装束を身につけています。
獅子舞の方は、囃子が緑色の装束をつけて奉納されますが色で分けてあります。
現在は大太鼓に車輪がついたものを引っ張って行列をされています。


次に、空町の錦山神社ですが、この神社にも神楽台がかつてありました。
今は太鼓をリヤカーの様な台車に乗せて曳いていますが、かつては太鼓枠を付けたちゃんとした
屋台だったようです。こちらの遺構は、まちの博物館に展示してあります。一時期、白川の平瀬の
神社に譲られ、その後、高山に戻ってきました。
ただし、この太鼓枠の木の状況からするとおそらく明治時代の初めころではないかと想像できます。


また、一本杉白山神社にもかつて神楽台があり、こちらは古川の向町に売られて黄鶴台として曳かれて
いた時期があります。こちらの屋台の詳細については判っておりませんが、古川祭の記録にそういう事が
書かれており、かつて屋台があったと言う証拠になっています。


これは、現物を確認していないのですが、江名子の諏訪神社にも神楽台があったことが記録によって
わかっており、こちらの屋台は作ったのはいいのですが、曳かれなくなって売られて行きました。
売り先が朝日村と言う事がわかっておりますが、何処の神社だったかはまだ絞り込めていません。


次に旧朝日村の三台の神楽台についてお話します。
まず朝日町の立岩地区にある立岩神社。こちらには、、2m程の高さの立派な神楽台が存在します。
屋台蔵もあって、収納されています。ところが、屋台蔵の壁が崩れかけて来て湿度の維持が出来ない
為に、中の屋台がかなり傷んでおります。お祭当日にお邪魔して確認させていただきましたが、
曳かれなくなってもう30年以上たつと言うお話でした。
10月27日放送分_飛騨の神楽台について
そこから川を渡り向かい側の甲地区にある白山神社。こちらの屋台蔵にも神楽台が現存します。
こちらは、立岩よりも一回り小さいものですが大人5人ほどがやっと乗る程度の大きさです。
鳳凰も太鼓もついておりますが、こちらも随分前から曳かれなくなったと言う事でした。
10月27日放送分_飛騨の神楽台について
また、その隣の、万石八幡神社にも神楽台があります。こちらは、大きさは甲地区のものとほぼ同じ
ですが、車輪の取り付け部分が壊れたからか、鉄工所で造られた車輪の上に旧台座が載せられた
形になっています。提灯も正面に4つついており、夜間にこの屋台を引いていたことが分かります
10月27日放送分_飛騨の神楽台について

清見に移りましょう。清見の三日町にも神楽台があります。こちらのものは、現在も使われており、
笛2人、大太鼓2人締太鼓1人の5人が乗り、お祭の日には、境内を引きまわす習わしになって
います。明治11年に新井吉十郎が高山の大工宮本藤助に依頼して作られました。
10月27日放送分_飛騨の神楽台について

荘川には、黒谷白山、一色白山、荘川神社、野之俣神社、の4カ所に神楽台があります。
このうち、一色の神楽台が最も古く、記録によれば「明治30年七月に高山の大工小島仙太郎良正、
舟坂庄右エ門(カ)、小島常道」らによって建造されたということです。
この荘川型のものは、大太鼓を敲く人が一人だけ台輪の上に乗り、太鼓を敲くと言う形式です。
笛は乗りません。荘川については、小さな神社にまだあるかもしれませんが未確認です。


白川郷の神楽台は、荘川のものよりも高さは低くどっしりしていて、彫刻を施しているのが特徴です。
乗り手も大太鼓が二人づつ乗り、太鼓―笛―獅子舞と続きます。荻町・飯島・鳩谷に神楽台が現存
します。


全国的には、こういった太鼓の載った屋台を「太鼓台」と呼ぶのが普通ですが飛騨ではすべて「神楽台」と
呼ぶようです。この呼称は、飛騨だけだと言う話しでした。これについてはもう少し詳しく調べたいと思います。

さて、本日も時間となりました。
来週の放送は、橋のお話し。シリーズでお届けしておりますが、中橋のお話しを2週続けてお届けしたい
と思います。どうぞお楽しみに。それでは本日はこの曲でお別れしましょう。
曲の方は「           」をお届けします。それではまた来週、お会いしましょう。

徳積善太
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