2月22日放送分_まつりの森の屋台について2
(平成25年2月22日放送分 第282回)みなさんこんにちは。飛騨の歴史再発見のコーナーです。
このコーナーは飛騨の生涯学習者第二号、わたくしながせきみあきがお届けしてまいります。
先日、生れて初めて下呂市に在ります森八幡神社の例大祭、「田の神まつり」を取材してきました。
今迄、高山に帰って来てから25年ほどたちますが、下呂にもうちのお得意様があり、ずっと毎週
下呂に通ってきました。一度はこのお祭を拝見したいと思っておりましたが、私の仕事は人が
集まって混雑する前後に、配達をするという仕事です。込むとわかっている日は、なるべく避けて
その前後に予定を組まないと非常に効率が悪いという事がありますので、いつもこの日を外して
しまい、なかなかいけませんでした。
仲良くしていただいている、郷土史研究家の小池先生の所に良くお邪魔していたのですが、先生は
大体11月過ぎくらいから、いつも隠れ家の様にしておられる書斎にお邪魔すると、紅く染められた
紙を折って花を作っておられます。実はこれ、他の神まつりで使用する笠に取り付ける花だったんです。
先生からいつも田の神まつりのお話を伺っていましたので、今年こそはと思い、いつもの予定を変更
してお邪魔したという次第です。ただ、観光で有名な部分にお邪魔するのではなく、前日の試楽祭に
お邪魔しました。

下呂の田の神まつりは、ご存じの方も多いと思いますが、岐阜県下呂市森の森水無八幡神社に伝わる
お祭です。1981年(昭和59年)に国の重要無形民俗文化財に指定されました。このお祭の創始年代は
不明ですが、「田遊び」が其の元となっているとされます。豊作をお祈りするお祭の一つで、明治初年
までは1月14日に開催されていました。現在は2月7日~14日までの八日間に亘って祭事が行われて
います。圧巻は花笠をかぶった踊り子たちが踊りを披露して、会場に設けられた櫓から一斉に観客に
向って花笠、団子、小竹箸などを投げ入れて、奪い合いとなる場面です。
其の間に踊り子はかぶった笠を懐に収め、踊りながら祭場から出て行きます。その場面は、14日に
行われます。一般にはこのクライマックスを見ることがメインの行事として観光パンフレットなどに掲載
されています。
私が訪問しました13日は夜7時半から祭事が行われ、夜中の1時に舞の奉納が行われました。
1時間半にわたって田の神歌が披露され、そのあと、獅子舞、禊、再度本殿前で田の歌披露がおこな
われました。最終的には、明け方の2時頃神事が行われ、お神輿が本殿に移されて神移しの神事が
行われました。こちらは観光で有名な部分とは異なり、大変厳粛な中での奉納でしたので十分に
堪能することが出来ました。これについては、またこの放送でも詳しく取り上げたいと思います。
さて、本日の放送に入りましょう。
本日の放送は、先週予告をしましたように、第4週ですので匠の話題。最近は、平成になって作られた
屋台に付いてお話ししております。今週の放送では、飛騨高山まつりの森に在ります屋台について
ご紹介したいと思います。
飛騨高山まつりの森の屋台は、全部で8台の屋台が造られました。
常時展示が6台。一定期間を過ぎると、2台の屋台が入れ替わって展示されることになっています。
先月の放送では、神楽台についてお話しましたので、今週は、金鶏台ほか3台の屋台をご紹介したい
と思います。

では、まず最初に金鶏台についてお話します。
この屋台は平成3年(1991)6月に平成屋台第一号として平成5年(1993)年二月に完成されました。
現代の匠の力で持っても1年8カ月という時間をかけて作られました。この屋台は千鳥破風屋根の三層
構造で、台名にちなんだ「鶏」をテーマに造られました。台紋は鶏を正面から見た形を図案化して作られ、
そのデザインは屋根の大紋、金具、ようらくなど所々に取り入れられています。
この屋台の一番の見どころは胴幕に使われている「金鶏に宝尽くし」の図で、これは京都の川嶋美術織物
で職人さんの手によって織られました。本緋羅紗の赤い生地に、金糸を使った刺繍が施され、まばゆい
ばかりの鶏が描かれています。全体の設計と製作は、中田昭夫さんが担当され、工匠には八野明さん
ほか3名の大工さん。塗は朝倉仏壇さん。飾り金具は高岡の安川さん、鉄金具は新名鍛冶さんと田中鉄工
さん、建具は白木さん等が担当されました。
下段には、黒塗りの丸柱八本が建てられ、各間の枠内には「唐獅子に牡丹」の彫刻がはめ込まれています。
これはすべてケヤキの白彫彫刻で、越中井波の彫刻師吉田信久さんによって仕上げられました。
「鶏」は天照大神を主祭神とする伊勢神宮の神聖であり、「文・武・勇・仁・信」の5つの徳を持つとされ、
古くから多くの人に親しまれていることから、屋台の台名を「金鶏台」にしたようです。
ちょっとここでブレイクしましょう。曲の方は 「 」をお届けします。
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本日の飛騨の歴史再発見は、飛騨高山祭りの森の屋台についてお話しております。

次にご紹介するのは「臥龍台」です。こちらの屋台は平成4年(1992)8月に着工して、1年半後の平成6年
(1994)年12月に完成しました。この屋台は、春祭りの麒麟台や古川祭の青龍台と同じように車輪を四輪
の外御所車とした立派な屋台です。
台名の「臥龍」というのは、臥龍桜で有名ですが、一之宮町にある臥龍桜を参考に命名されています。
龍が臥せている状態に似たことから、臥龍桜と命名されていますが、この屋台も龍がモチーフになって
います。
龍は、中国古来の架空の生き物で、紋様として幅広く用いられています。日本でも四つの神=四神の
一つとして有名で、これに用いられている青龍は、東の方角の事を表わします。龍は天に上り、雨を呼ぶ
とも言われておりますので、昔は農耕の時に日照りが続くと人々は、雨乞いをしてこの龍に願いを立て、
雨を降らしてくれるように頼んだと言われています。
この屋台は、建造の時に、全ての部材を石川県輪島市まで運びこみ、石川県の伝統文化技術工芸である
本輪島塗を施してあります。これを機に、後の6台の屋台はすべて輪島塗で行われることになりました。
以前、大工を担当された八野さんにこの時のお話を窺った事がありますが、大工の仕事の程度によって、
職人の間で無言の会話がなされたとのことでした。いい仕事がしてあれば、それを引き受けた塗職人も
そういい加減な仕事は出来ない。又逆にいい仕事をしておかないと、塗職人に見せられないという会話
があったそうです。そのため、大工仕事において一切手抜きが出来ないという状態だったと語っておられ
ました。
この屋台の中段には、濃紺の羅紗地に本金糸、本絹糸を使って極彩色の龍が描かれています。
これも京都の川島織物の作品で、きめ細かい刺繍が施されています。また見送りには1年三カ月を
要してつづれ織りの技法で、吉祥図が描かれています。これには、金色に輝く五爪龍が天界を目指し、
力強く昇天するようにという思いがこめられているそうです。
下段の彫刻は越中井波の彫刻師 吉田信久さんの作品で、桜と龍を絶妙に絡み合わせて、一木の白彫
彫刻となっています。現代の技法によって作られた見事な屋台です。

本日最後にご紹介するのは、金時台です。
この屋台は、現存する飛騨の屋台の中で最大の屋台で、上段を最大限に高くした時に、下からの高さが
10mにもなる屋台です。従来の下段中段上段の三段構造になっているのに対し、この屋台は中段の上に
さらに一層加えて中段下、中段上と四層構造になっています。さらに、中段上と上段の二段が昇降可能に
なっていて、従来の屋台にはなかった二重昇降形式を採用しています。江戸の屋台が、スライド式に中に
入り込む形式を利用したもので、この昇降形式は高山の屋台での採用は初めてです。
大きくしたが故に、建造にもかなり時間がかかり、平成6年(1994)年6月に着手し、約二年という製作期間が
かかり、平成8年(1996)五月に完成しました。まさに、平成の匠の技術の総結晶と云うのにふさわしい屋台
です。
台名の「金時」は、施主 中田金太さんの思いを配慮して命名されたもので、
「大人だけじゃなく、子どもや孫にも楽しめる屋台を作りたい」という思いが各所に込められています。
そのためおとぎ話の「金太郎」をモチーフに屋台が造られており、各所に「金太郎」をテーマにしたものが
はめ込まれています。たとえば、下段には足柄山の金太郎の白木彫刻。中段には四方の伊達柱に「鯉の
滝登り」や欅の白木彫りの「山の木の実」。中段下の胴幕には、金糸刺繍で「波に鯉の図」を施してあります。
また、上段には、中央に大将「源頼光」。脇には「渡辺綱」、正面に「阪田金時」の人形を配し、金太郎伝説の
からくりが観客を楽しませるように工夫してあります。そして、見送り幕は、中国刺繍と京都刺繍の伝統技術
の合作となっており、川島織物が交流を深めながら1年二カ月をかけて作った見事なものです。初めての
日中の技術者が合同で製作したもので、世界最高峰の技術のコラボレーションであるということです。
本日の原稿作成に当っては、まつりの森の糸田さんにお世話になりました。糸田さんありがとうございました。
さて本日も時間となりました。来週は高山の三町界隈に在った横丁についてお話ししたいと思います。
どうぞお楽しみになさってください。
それでは、本日はこの曲でお別れしましょう。曲は「 」をお届けします。
それではまた来週お会いしましょう。
徳積善太
このコーナーは飛騨の生涯学習者第二号、わたくしながせきみあきがお届けしてまいります。
先日、生れて初めて下呂市に在ります森八幡神社の例大祭、「田の神まつり」を取材してきました。
今迄、高山に帰って来てから25年ほどたちますが、下呂にもうちのお得意様があり、ずっと毎週
下呂に通ってきました。一度はこのお祭を拝見したいと思っておりましたが、私の仕事は人が
集まって混雑する前後に、配達をするという仕事です。込むとわかっている日は、なるべく避けて
その前後に予定を組まないと非常に効率が悪いという事がありますので、いつもこの日を外して
しまい、なかなかいけませんでした。
仲良くしていただいている、郷土史研究家の小池先生の所に良くお邪魔していたのですが、先生は
大体11月過ぎくらいから、いつも隠れ家の様にしておられる書斎にお邪魔すると、紅く染められた
紙を折って花を作っておられます。実はこれ、他の神まつりで使用する笠に取り付ける花だったんです。
先生からいつも田の神まつりのお話を伺っていましたので、今年こそはと思い、いつもの予定を変更
してお邪魔したという次第です。ただ、観光で有名な部分にお邪魔するのではなく、前日の試楽祭に
お邪魔しました。

下呂の田の神まつりは、ご存じの方も多いと思いますが、岐阜県下呂市森の森水無八幡神社に伝わる
お祭です。1981年(昭和59年)に国の重要無形民俗文化財に指定されました。このお祭の創始年代は
不明ですが、「田遊び」が其の元となっているとされます。豊作をお祈りするお祭の一つで、明治初年
までは1月14日に開催されていました。現在は2月7日~14日までの八日間に亘って祭事が行われて
います。圧巻は花笠をかぶった踊り子たちが踊りを披露して、会場に設けられた櫓から一斉に観客に
向って花笠、団子、小竹箸などを投げ入れて、奪い合いとなる場面です。
其の間に踊り子はかぶった笠を懐に収め、踊りながら祭場から出て行きます。その場面は、14日に
行われます。一般にはこのクライマックスを見ることがメインの行事として観光パンフレットなどに掲載
されています。
私が訪問しました13日は夜7時半から祭事が行われ、夜中の1時に舞の奉納が行われました。
1時間半にわたって田の神歌が披露され、そのあと、獅子舞、禊、再度本殿前で田の歌披露がおこな
われました。最終的には、明け方の2時頃神事が行われ、お神輿が本殿に移されて神移しの神事が
行われました。こちらは観光で有名な部分とは異なり、大変厳粛な中での奉納でしたので十分に
堪能することが出来ました。これについては、またこの放送でも詳しく取り上げたいと思います。
さて、本日の放送に入りましょう。
本日の放送は、先週予告をしましたように、第4週ですので匠の話題。最近は、平成になって作られた
屋台に付いてお話ししております。今週の放送では、飛騨高山まつりの森に在ります屋台について
ご紹介したいと思います。
飛騨高山まつりの森の屋台は、全部で8台の屋台が造られました。
常時展示が6台。一定期間を過ぎると、2台の屋台が入れ替わって展示されることになっています。
先月の放送では、神楽台についてお話しましたので、今週は、金鶏台ほか3台の屋台をご紹介したい
と思います。

では、まず最初に金鶏台についてお話します。
この屋台は平成3年(1991)6月に平成屋台第一号として平成5年(1993)年二月に完成されました。
現代の匠の力で持っても1年8カ月という時間をかけて作られました。この屋台は千鳥破風屋根の三層
構造で、台名にちなんだ「鶏」をテーマに造られました。台紋は鶏を正面から見た形を図案化して作られ、
そのデザインは屋根の大紋、金具、ようらくなど所々に取り入れられています。
この屋台の一番の見どころは胴幕に使われている「金鶏に宝尽くし」の図で、これは京都の川嶋美術織物
で職人さんの手によって織られました。本緋羅紗の赤い生地に、金糸を使った刺繍が施され、まばゆい
ばかりの鶏が描かれています。全体の設計と製作は、中田昭夫さんが担当され、工匠には八野明さん
ほか3名の大工さん。塗は朝倉仏壇さん。飾り金具は高岡の安川さん、鉄金具は新名鍛冶さんと田中鉄工
さん、建具は白木さん等が担当されました。
下段には、黒塗りの丸柱八本が建てられ、各間の枠内には「唐獅子に牡丹」の彫刻がはめ込まれています。
これはすべてケヤキの白彫彫刻で、越中井波の彫刻師吉田信久さんによって仕上げられました。
「鶏」は天照大神を主祭神とする伊勢神宮の神聖であり、「文・武・勇・仁・信」の5つの徳を持つとされ、
古くから多くの人に親しまれていることから、屋台の台名を「金鶏台」にしたようです。
ちょっとここでブレイクしましょう。曲の方は 「 」をお届けします。
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本日の飛騨の歴史再発見は、飛騨高山祭りの森の屋台についてお話しております。

次にご紹介するのは「臥龍台」です。こちらの屋台は平成4年(1992)8月に着工して、1年半後の平成6年
(1994)年12月に完成しました。この屋台は、春祭りの麒麟台や古川祭の青龍台と同じように車輪を四輪
の外御所車とした立派な屋台です。
台名の「臥龍」というのは、臥龍桜で有名ですが、一之宮町にある臥龍桜を参考に命名されています。
龍が臥せている状態に似たことから、臥龍桜と命名されていますが、この屋台も龍がモチーフになって
います。
龍は、中国古来の架空の生き物で、紋様として幅広く用いられています。日本でも四つの神=四神の
一つとして有名で、これに用いられている青龍は、東の方角の事を表わします。龍は天に上り、雨を呼ぶ
とも言われておりますので、昔は農耕の時に日照りが続くと人々は、雨乞いをしてこの龍に願いを立て、
雨を降らしてくれるように頼んだと言われています。
この屋台は、建造の時に、全ての部材を石川県輪島市まで運びこみ、石川県の伝統文化技術工芸である
本輪島塗を施してあります。これを機に、後の6台の屋台はすべて輪島塗で行われることになりました。
以前、大工を担当された八野さんにこの時のお話を窺った事がありますが、大工の仕事の程度によって、
職人の間で無言の会話がなされたとのことでした。いい仕事がしてあれば、それを引き受けた塗職人も
そういい加減な仕事は出来ない。又逆にいい仕事をしておかないと、塗職人に見せられないという会話
があったそうです。そのため、大工仕事において一切手抜きが出来ないという状態だったと語っておられ
ました。
この屋台の中段には、濃紺の羅紗地に本金糸、本絹糸を使って極彩色の龍が描かれています。
これも京都の川島織物の作品で、きめ細かい刺繍が施されています。また見送りには1年三カ月を
要してつづれ織りの技法で、吉祥図が描かれています。これには、金色に輝く五爪龍が天界を目指し、
力強く昇天するようにという思いがこめられているそうです。
下段の彫刻は越中井波の彫刻師 吉田信久さんの作品で、桜と龍を絶妙に絡み合わせて、一木の白彫
彫刻となっています。現代の技法によって作られた見事な屋台です。

本日最後にご紹介するのは、金時台です。
この屋台は、現存する飛騨の屋台の中で最大の屋台で、上段を最大限に高くした時に、下からの高さが
10mにもなる屋台です。従来の下段中段上段の三段構造になっているのに対し、この屋台は中段の上に
さらに一層加えて中段下、中段上と四層構造になっています。さらに、中段上と上段の二段が昇降可能に
なっていて、従来の屋台にはなかった二重昇降形式を採用しています。江戸の屋台が、スライド式に中に
入り込む形式を利用したもので、この昇降形式は高山の屋台での採用は初めてです。
大きくしたが故に、建造にもかなり時間がかかり、平成6年(1994)年6月に着手し、約二年という製作期間が
かかり、平成8年(1996)五月に完成しました。まさに、平成の匠の技術の総結晶と云うのにふさわしい屋台
です。
台名の「金時」は、施主 中田金太さんの思いを配慮して命名されたもので、
「大人だけじゃなく、子どもや孫にも楽しめる屋台を作りたい」という思いが各所に込められています。
そのためおとぎ話の「金太郎」をモチーフに屋台が造られており、各所に「金太郎」をテーマにしたものが
はめ込まれています。たとえば、下段には足柄山の金太郎の白木彫刻。中段には四方の伊達柱に「鯉の
滝登り」や欅の白木彫りの「山の木の実」。中段下の胴幕には、金糸刺繍で「波に鯉の図」を施してあります。
また、上段には、中央に大将「源頼光」。脇には「渡辺綱」、正面に「阪田金時」の人形を配し、金太郎伝説の
からくりが観客を楽しませるように工夫してあります。そして、見送り幕は、中国刺繍と京都刺繍の伝統技術
の合作となっており、川島織物が交流を深めながら1年二カ月をかけて作った見事なものです。初めての
日中の技術者が合同で製作したもので、世界最高峰の技術のコラボレーションであるということです。
本日の原稿作成に当っては、まつりの森の糸田さんにお世話になりました。糸田さんありがとうございました。
さて本日も時間となりました。来週は高山の三町界隈に在った横丁についてお話ししたいと思います。
どうぞお楽しみになさってください。
それでは、本日はこの曲でお別れしましょう。曲は「 」をお届けします。
それではまた来週お会いしましょう。
徳積善太