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おはぐろ蛇の伝説
いま、自分の家の歴史について、調べています。
鍋山城を滅ぼしたときのお話の中に、うちのご先祖の名前があることがわかりました。
伝説 おはぐろ蛇

鍋山の殿様豊後守顕綱は、兄三木自綱が松倉山にお城を築き、益田軍と大野郡の
一部とを領有し勢いの盛んなのを見て、大変ねたましい事に思っていた。たまたま自綱は
京都に上って天子様から中将の位までいただいてきたので、居ても立ってもいられぬ様に
なり、いつか自綱なきものにして兄の領地全部を取ってやろうと、悪いことをたくらむように
なった。壁に耳あり、悪事は千里をはしるのたとえ、顕綱の計略がすっかり自綱のところへ
知れてしまった。自綱はすぐ弟の顕綱を亡ぼそうと決心をして、家臣長瀬甚平・土川新三郎
の両名を召して、すっかり顕綱を亡ぼす計略を授けて鍋山に遣すことになった。
両名は充分の準備をととのえ、行列もいかめしく鍋山城におもむいて「松倉城主三木自綱
公より密書持参した旨」を披露に及んだ。顕綱は悪人ではあったが両人に自分を殺す恐ろ
しい計略ありとは知る由もなく、密書と聞いて早速対面した。甚平は、
「恐れながら密書の儀にござれば、人払いが願わしゅう存じます。」
と申せば、顕綱もうなずいて侍臣共に向かい、
「所用ある時には手を打って呼ぶ程に、そち達は次の間まで控えて居れ。」
とうまく人払いをしてしまった。やがて甚平の差出す密書を請け取早速開封に及び、読み
かけたが中々文字が読みにくい。顕綱が文字を読みかけて両手を組み思案にふけっている
所を見すまして、甚平は不意におどりかかり、顕綱を組み伏せてしまった。
土川新三郎は太刀を抜き放ち、
「自綱公よりの密書とは真赤な偽り、汝に近づかんが為の手段に外ならぬ。汝自綱工の
栄達をねたみひそかに之を殺さんことを企つ。悪事は千里を走る、自綱公には早くも之を
感じ給い、吾等をして汝を殺害せしめ給う。覚悟あれ。」
只事ならぬ物音に、顕綱近侍は駆けつけ、
「そら狼藉者逃がすな。」
二人めがけて切りかかったが腕達者な両人は近侍の者二、三人を切り捨てたのであとの者は
かなわじと逃げ出してしまった。
門の付近に両名の首尾や如何にと待ちかまえていた供の者は、夫顕綱の最期を聞き城の
一角より逃げ出でし奥方の姿をはるかに認め、之を追いかけた。だんだん追いつめられた
奥方は、帯を解き之を谷に投げ込み、
「汝霊あれば、大蛇となれ。」
とさけんだ。そして間もなく追いつめた数名の雑兵共のためにあえない最期をとげてしまった。
それから後奥方の帯が化けて生まれたと言うおはぐろ蛇、-歯の黒い蛇―が鍋山の主として
棲み、時に之を見る人があると伝えられたのは、それからずっとたってからのことである。
(この話には、いろんな話があって、奥方が半狂乱になって追いかけてきたところを土川が
切りつけたところ、その首が飛び、怨念がおはぐろを付けた蛇になったという話の方がもっと
もらしい話である。)
顕綱の一族の子孫にあたる平野清心という人が、松之木村に百姓となって住んでいた。
ある夜夢に一人の女が清心の枕元に現れ、清心をよびおこし、
「わらわ妾はもと鍋山城主の妻女なれど、妾の白骨久しく七夕岩のあたりに埋れはてて、
誰一人として供養し呉れる者もなければ成仏もなし兼ねます。何卒速やかにとむらいて
成仏を得させ給え。」
と言うかと思うと、姿は消え失せてしまった。清心も始めの程は信じなかったが、三夜も
同じ夢を見たので大いに怪しみながら、夢の告げにあった七夕岩のあたりの地を掘った
ところ、驚くべし、夢の告げの如く白骨数片が現れた。清心も、
「顕綱の室が此のあたりで害せられたとは伝え聞いていたが、其の亡霊が久しく成仏し
得ず夢に現れて告げ知らせたものであろう。」
と、早速高山雲龍寺の脱山和尚を講じて顕綱夫婦の冥福を祈り、新しく石塔を立てて
供養をしたのである。
ところが、其後
雲龍寺二十七世胸海祖膽和尚は不思議な夢を見た。
それは自分達の石塔を日々読経の聞ゆる地に移してくれよとの事を連夜に及んで頼んだ
ので、和尚は奇怪なこととは思い乍らも、村人と相談し境内に移して懇ろに法会を営んだ。
数十年を経てから有志らが稲荷堂を修築せんと思い立ち、路傍にあるこの石塔を他の地に
移さんと手を掛けると、従事する人夫を始め同寺の首座等は卒倒し、其夜より大熱を発し
指揮した長老は遂に死亡したので、どの人もどの人も皆恐れ驚き、石塔の上に地蔵尊を
安置し石塔は覆いを作りて、之に触れることの出来ない様にした。近頃又々これを他に
移転することを計画した某富豪があったが、此の家にも不祥なことが打続いて今日では
一家が離散してしまった。
(「松ノ木町の七夕岩の伝説」より)
徳積善太
鍋山城を滅ぼしたときのお話の中に、うちのご先祖の名前があることがわかりました。
伝説 おはぐろ蛇

鍋山の殿様豊後守顕綱は、兄三木自綱が松倉山にお城を築き、益田軍と大野郡の
一部とを領有し勢いの盛んなのを見て、大変ねたましい事に思っていた。たまたま自綱は
京都に上って天子様から中将の位までいただいてきたので、居ても立ってもいられぬ様に
なり、いつか自綱なきものにして兄の領地全部を取ってやろうと、悪いことをたくらむように
なった。壁に耳あり、悪事は千里をはしるのたとえ、顕綱の計略がすっかり自綱のところへ
知れてしまった。自綱はすぐ弟の顕綱を亡ぼそうと決心をして、家臣長瀬甚平・土川新三郎
の両名を召して、すっかり顕綱を亡ぼす計略を授けて鍋山に遣すことになった。
両名は充分の準備をととのえ、行列もいかめしく鍋山城におもむいて「松倉城主三木自綱
公より密書持参した旨」を披露に及んだ。顕綱は悪人ではあったが両人に自分を殺す恐ろ
しい計略ありとは知る由もなく、密書と聞いて早速対面した。甚平は、
「恐れながら密書の儀にござれば、人払いが願わしゅう存じます。」
と申せば、顕綱もうなずいて侍臣共に向かい、
「所用ある時には手を打って呼ぶ程に、そち達は次の間まで控えて居れ。」
とうまく人払いをしてしまった。やがて甚平の差出す密書を請け取早速開封に及び、読み
かけたが中々文字が読みにくい。顕綱が文字を読みかけて両手を組み思案にふけっている
所を見すまして、甚平は不意におどりかかり、顕綱を組み伏せてしまった。
土川新三郎は太刀を抜き放ち、
「自綱公よりの密書とは真赤な偽り、汝に近づかんが為の手段に外ならぬ。汝自綱工の
栄達をねたみひそかに之を殺さんことを企つ。悪事は千里を走る、自綱公には早くも之を
感じ給い、吾等をして汝を殺害せしめ給う。覚悟あれ。」
只事ならぬ物音に、顕綱近侍は駆けつけ、
「そら狼藉者逃がすな。」
二人めがけて切りかかったが腕達者な両人は近侍の者二、三人を切り捨てたのであとの者は
かなわじと逃げ出してしまった。
門の付近に両名の首尾や如何にと待ちかまえていた供の者は、夫顕綱の最期を聞き城の
一角より逃げ出でし奥方の姿をはるかに認め、之を追いかけた。だんだん追いつめられた
奥方は、帯を解き之を谷に投げ込み、
「汝霊あれば、大蛇となれ。」
とさけんだ。そして間もなく追いつめた数名の雑兵共のためにあえない最期をとげてしまった。
それから後奥方の帯が化けて生まれたと言うおはぐろ蛇、-歯の黒い蛇―が鍋山の主として
棲み、時に之を見る人があると伝えられたのは、それからずっとたってからのことである。
(この話には、いろんな話があって、奥方が半狂乱になって追いかけてきたところを土川が
切りつけたところ、その首が飛び、怨念がおはぐろを付けた蛇になったという話の方がもっと
もらしい話である。)
顕綱の一族の子孫にあたる平野清心という人が、松之木村に百姓となって住んでいた。
ある夜夢に一人の女が清心の枕元に現れ、清心をよびおこし、
「わらわ妾はもと鍋山城主の妻女なれど、妾の白骨久しく七夕岩のあたりに埋れはてて、
誰一人として供養し呉れる者もなければ成仏もなし兼ねます。何卒速やかにとむらいて
成仏を得させ給え。」
と言うかと思うと、姿は消え失せてしまった。清心も始めの程は信じなかったが、三夜も
同じ夢を見たので大いに怪しみながら、夢の告げにあった七夕岩のあたりの地を掘った
ところ、驚くべし、夢の告げの如く白骨数片が現れた。清心も、
「顕綱の室が此のあたりで害せられたとは伝え聞いていたが、其の亡霊が久しく成仏し
得ず夢に現れて告げ知らせたものであろう。」
と、早速高山雲龍寺の脱山和尚を講じて顕綱夫婦の冥福を祈り、新しく石塔を立てて
供養をしたのである。
ところが、其後
雲龍寺二十七世胸海祖膽和尚は不思議な夢を見た。
それは自分達の石塔を日々読経の聞ゆる地に移してくれよとの事を連夜に及んで頼んだ
ので、和尚は奇怪なこととは思い乍らも、村人と相談し境内に移して懇ろに法会を営んだ。
数十年を経てから有志らが稲荷堂を修築せんと思い立ち、路傍にあるこの石塔を他の地に
移さんと手を掛けると、従事する人夫を始め同寺の首座等は卒倒し、其夜より大熱を発し
指揮した長老は遂に死亡したので、どの人もどの人も皆恐れ驚き、石塔の上に地蔵尊を
安置し石塔は覆いを作りて、之に触れることの出来ない様にした。近頃又々これを他に
移転することを計画した某富豪があったが、此の家にも不祥なことが打続いて今日では
一家が離散してしまった。
(「松ノ木町の七夕岩の伝説」より)
徳積善太