和良村の歴史資料館5_神社の棟札
九頭大明神本社造立の棟札(郡上市指定文化財)

私も数多くの棟札を見ておりますが、焼失などで失ったものも多く、この棟札は
中でも古いほうです。
「慶長十二年(1607)八幡城主 遠藤慶隆(金森可重の義父)が、宮地の代官遠藤杢之助に
命じて本社を再建させた棟札。
遠藤但馬守(慶隆)の創建による残された数少ない棟札の一つ。」

右2つは、和良村の中心地にある「戸隠神社」の御鍬宮(右側)と拝殿(中央)
棟札。
右側の御鍬殿は天和三年(1683)で、所願成就を祈念してあります。
中央が拝殿のもので、宝永三年(1706)奉造立 大明神拝殿一宇。神主は宮地村 加藤与左衛門。
大工は、岐阜の藤原朝臣小野権右衛門武吉。 筆者は宮地村 大野平四郎信秀。
などの文字が見えます。
一般的に、この棟札の存在が、建築物の作者や履歴を語る重要な証拠となります。
こういったものが、焼失などを免れて、一つの神社にたくさん残っていると言うことは
文化財保護の上でも、住民の方が大切にされてきた表れだと思います。
和良村の貴重な文化財を今後も守っていただきたいです。
徳積善太
私も数多くの棟札を見ておりますが、焼失などで失ったものも多く、この棟札は
中でも古いほうです。
「慶長十二年(1607)八幡城主 遠藤慶隆(金森可重の義父)が、宮地の代官遠藤杢之助に
命じて本社を再建させた棟札。
遠藤但馬守(慶隆)の創建による残された数少ない棟札の一つ。」
右2つは、和良村の中心地にある「戸隠神社」の御鍬宮(右側)と拝殿(中央)
棟札。
右側の御鍬殿は天和三年(1683)で、所願成就を祈念してあります。
中央が拝殿のもので、宝永三年(1706)奉造立 大明神拝殿一宇。神主は宮地村 加藤与左衛門。
大工は、岐阜の藤原朝臣小野権右衛門武吉。 筆者は宮地村 大野平四郎信秀。
などの文字が見えます。
一般的に、この棟札の存在が、建築物の作者や履歴を語る重要な証拠となります。
こういったものが、焼失などを免れて、一つの神社にたくさん残っていると言うことは
文化財保護の上でも、住民の方が大切にされてきた表れだと思います。
和良村の貴重な文化財を今後も守っていただきたいです。
徳積善太