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神様のご縁?_お美津稲荷の巻2_お美津稲荷とは

お美津稲荷について、HPに紹介されています。
神様のご縁?_お美津稲荷の巻2_お美津稲荷とは
お美津稲荷(飛騨のかっぺたんHPより) 

 ■ お美津キツネ
  むか~し むかしの こっちゃ。
 飛騨街道すじの 上呂橋場と、尾崎橋場は、よう栄えて おったもんや。

  なんでも、宿屋や 料理屋が 軒をつらね、夜になると 三味の音や 唄ごえが、
 賑やかに 聞こえる 盛り場った しこや。

  おまけに、お美津という、それはそれは べっぴんさんが おってな、
 近くの 村の衆の 人気を 集めて おったんや。

 そこから 1キロほど北に『さいら野』という、雑木林と ススキに おおわれた、
 さびしい野っ原が あってな、そこに 大きな 古ギツネが おったんやと。

  お美津ギツネは、益田の街道すじ いや 飛騨きっての キツネの 大親分でな、
 大勢の 子分どもを ひきつれて、『さいら野』に 住みついておったんや。

  いっつも 旅びとや 道行く人を 化かいて おってな。 そのキツネは、
 女に化けるのが 得意でしてな、お美津という 美しい女に 化けるのが 得意でな。

  橋場には、「尾のないお美津」「さいら野」には 「夢を見させる お美津」と
 ますます、評判になって いったんや。

  いつの間にか、「さいら野の お美津ギツネ」と呼ばれるほど 有名キツネやさ。
ある日の ことや。
  上呂橋場で 酒をいっぱい ひっかけた 馬方の 富助が、夜もふけた
 [さいら野]近くを 馬のたずなを ひいて 帰って きたんやと。

  すると、その先を、後姿も 美しい女が ひとり 歩いておる。
 そばに 近よってみて びっくりしたなあ─。

  お美津が、にっこり 笑いかけて きたんやと。 富助は、酒のいきおいもあって
 お美津の 肩に手をかけて、にんまり、うれしそうな 顔しとったんやとっ。

  その時、なんに おどろいたか 馬が たずなをふりきって 駆けだいたんやさ。
 富助は、はっと われにかえって みると、

  なんとまあ、お美津と ばっかり思って 手をかけた 肩のあたりに、
 枯れ木の 枝が、にょっきり、出ておってよ。 化かされたんやさ!アハハ~

  富助も、さすがに ばつが わるうて、あたまを かきかき家に 帰ったと~。

  その お美津ギツネの 子分の中に、それは、かわいらしい 雌ギツネがおってな。
 高山の 小糸坂の 小法師といってな お美津キツネとの間に、

  かわいい子ギツネも 生まれて おったんや、ところが、その子ギツネが、
 猟師の 勘八につかまって まってな!! こわいこっちゃさ!
 
  それをきいて、近くの村や 里から たくさんの キツネが、
 高山の石浦の 浄見寺野(じょうけんじの)へ ぞくぞく 集まってきた。

  藤が森の藤三郎、山の洞の源右衛門、長峰の万右衛門、小瀬の小女郎、
 こうじ坂の四郎兵衛、森が洞のおこん、瀬戸が洞のおたけ、それに高山郷の小法師、
 おけさ、松助、   合計10っ匹

  みんなで 子ギツネを 助ける相談を したんやさ。
 みんな口を とんがらかいて 議論を したんやけんど、話は なかなかまとまらず、
 とうとう 明けがた 近くまでかかったと 言うことや。

  あくる日の 夜おそく
  猟師の勘八の家へ、ひょっこり 坊さまが やって ござったんやと。
 「あれ、ご住職やないかな。  まあ、どうぞ、どうぞ。」

  家の者が、とつぜん おとずれた お寺様に びっくり こいておると、

  「いや、そのままで」「わしは新屋へお経を あげにいった 帰り道なんじゃが」
 というと、座敷に あがりこんだ。

「さっき、新屋で きいたんじゃが、勘八さは、かわいい 子ギツネを、生け捕りに
 しないたそうじゃな。わしにも 見して もらえんやろか?」

  勘八は、すぐ立ち上がり、
 「はあ、そりゃ、かわいい キツネでしてな、ちょっと 待っとくれ。」と

  そとへ出ていき、しばらくすると、子ギツネを かかえて はいって きないた。

  坊さまは、子ギツネを 膝にのせると、「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ・・」
 と、念仏を、唱え はじめ ないたんやさ、

  すると 子ギツネは、坊さまの 胸にしがみつき、かわいい声で ないたんやと。
 家の者みんなも、坊さまの ねんごろな お念仏に 手を合わせて、目をつぶった。

  不思議なことも あるもんや。とたんに ランプの火は消え、いろりの火も
 鈍うなって、部屋の中は、急に ひんやりと してきたんやと。

  勘八が びっくりこいて目を あけた時には、坊さんも 子ギツネも、
 どっかへ消えて しまっておったそうな。

  お坊様に化けた「お美津ギツネ」は 子どもを 取り戻したんやけど 人間ぎらいに なってまってな、[さいら野]の 山へ引っ込み 親子水入らずで 暮らしたそうや。

  旅人や 近在の人に 姿を見せることも のうなって 尾のない お美津の人気も
 今、いちで、尾のある お美津に 二度と合うことは なかったんやと…

  それから後のこと、この「さいら野」近くに「彦四郎」という人がおられましてな、 生来 病弱でして、ある日

 「白狐が 夢に現れ 健康長寿と 開運を望むなら 京都の伏見稲荷を勧請せよ!」と
 ご宣託を 受けないて、京都伏見稲荷で、ご奉仕し お稲荷さまを お請けし 帰って おいでて、裏山を 整備し 小祠を建て 『成井稲荷』と したそうや。

  甲斐あって 健康を 取り戻し 妙な 腕力の持ち主に なってまって、南蛮鉄の
 五分角、長さ尺八寸、重さ一貫三百匁の 大火箸を使って おいでた そうや。
 この力も 授けられたものと 恐れられ とったんやと~ 

  そんな こんなで、江戸時代の 後期のころから 郷土一般の 崇敬を集め 
 界隈は 賑わい繁華な 宿となり 商売繁盛の 信仰を 集めてきたんやが、

  お美津キツネが 子どもを 取り戻いて この 成井稲荷の山に 姿を消してから 
 約200年月日は流れ、光陰矢の如しといいますが、

  昭和28年 地域の人々が 神域の改修と 拡張した時に
 白い蛇が 二匹 現れたんやと。 みんな びっくりこいて!

  お美津を 慰霊する 碑を建て、古狐10傑の碑を 寄進して
 その名も「白龍山 お美津稲荷」と 改めることに したそうやわ。

  上呂の『お美津稲荷』へ いってみると、お美津ギツネの 碑を まん中に、
 子分キツネの碑が、親分を かこむように 並んでおいでるんやよ。

  本殿下からは お美津ほか 十傑と白龍の 霊のこもった 浄水が 流れ出て
 おってな 多くの信者より、霊験あらたかや!と喜んで もらって おるんや。
 ありがたいこっちゃな・・・

  誰やな? うっつくしい お美津キツネに 一度 化かされて みたかった なんて
 言って おいでる人は… 今夜夢に 出ておいでるかも 知れんよ。アハハ~

 【お美津稲荷】は 岐阜県下呂市萩原町上呂 国道41号線 傍にあります。
 5月2・3日は例祭で 大勢の 男衆が 出張って おいでてさ~。

  まあ、お神酒でも 飲んでいっておくれ といわれましたが、車ですから~と
 お断りしました。 

  地域の人が 寄り集まることが出来るってことは なんであれ 喜ばしいこっちゃ。
 お美津 さまさまですな。 よう聞~いとくれた。ありがとえな!!

  参考 飛騨のかつぺたん ↓
     http://azusaya-hidatakayama.blog.so-net.ne.jp/archive/20080824
  ご協力 お美津稲荷大明神縁起(冊子)お美津稲荷奉賛会様  
  

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