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石光山に登ってきました

昨日、誘われて石光山に行ってきました。
石浦町の山の上で、以前から行ってみたいと思っておりましたが、ようやく念願がかないました。
石光山に登ってきました
ここは、『斐太後風土記』によると、平清輔朝臣と云う人が、鷹狩りの最中に霊現を感じ、日吉宮から勧請したといわれる場所です。
現在その神様は、高山祭りの春祭りで有名な日枝神社として、高山の町の人達に守られています。


江名子町の糠塚から車で途中まで行くと、そこからは石浦町の共有林になっており、鎖に鍵がかけられていました。
そこから、道なき道をヤブをかき分け、尾根を登っていくと、その場所はありました。
石光山に登ってきました
片野町の敬神会の皆さんが平成元年に建立された白い木柱と石浦町の方が建立された木柱が建てられていました。
その中央にはかつて社が有ったと思われる石積みがありましたが、すべて川石でできたものでした。


石光山に登ってきました 石光山に登ってきました
翌日、岐阜県山城悉皆調査の報告書を確認した所、全く違う場所が調査されて居ることが分かりました。
調査にあたられたのは、城郭研究家の佐伯先生ですが、それには、『高山市遺跡地図』を参考にしたとされていました。

その遺跡地図には、次のように書かれています。
石光山に登ってきました

「永治元年(1411)飛騨守平時輔が三仏寺城を築城した時、宮峠の峯に連なる片野と大西の境界山上に日吉宮を勧請し砦を築いて三仏寺城の守りとしたと伝えられる」
と記されています。また、参考文献は『飛騨の城』森本一雄著(昭和62年 郷土出版社)となっておりますので、その信ぴょう性は定かではありません。

早速、佐伯先生にこのことをご連絡し、6月位に一度案内する事になりました。

ながせきみあき
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