秩父と高山の関係?_その1廣見寺と大而和尚
今回、秩父に行ったのは、高山の大隆寺の中興の祖が秩父の廣見寺 大而僧正という方
であるということからです。
大隆寺のご住職 中井さんが講演されると言うことで、総代さんについて行きました。

秩父の廣見寺

講演される中井師

高山の大隆寺に現存する大而僧正の肖像画
なんと不思議なことに、当時中興されたのが、大隆寺だけではなくて、飛騨の曹洞宗
の寺院が多いんです。
資料によりますと大而僧正による正受戒を受けた年が次のようになっています。
・明和8年(1771)古川 林昌寺
・明和8年(1771)高山 雲龍寺
・明和9年(1771)下呂 禅昌寺
・安永4年(1775)高山 素玄寺
・安永5年(1776)古川 林昌寺
・天明2年(1782)高山 大隆寺
大而僧正が、生涯行った受戒64回のうち、上記6回が飛騨の寺院です。
また、この放火には、上州、越後、武州、下野、美濃、三州、江戸、安房となって
いますから、飛騨の寺院が多いことがわかります。
どうして、飛騨の寺院とゆかりがあるのか。誰がこの曹洞宗寺院の荒廃を大而僧正に
伝えたか、疑問の残るところですが、おそらく飛州志を書いた、長谷川忠崇代官では
ないかと思います。
安永、天明といえば、飛騨は大原代官がきっかけとなって起こった大原騒動の年度で
そのころの飛騨の政治情勢は非常に混迷を極めていました。
一方で、こうした寺院の再興がはかられたと言うことは、注目すべきことです。
今後、こういったことの解明を進めていきたいと思います。
徳積善太
であるということからです。
大隆寺のご住職 中井さんが講演されると言うことで、総代さんについて行きました。
秩父の廣見寺
講演される中井師
高山の大隆寺に現存する大而僧正の肖像画
なんと不思議なことに、当時中興されたのが、大隆寺だけではなくて、飛騨の曹洞宗
の寺院が多いんです。
資料によりますと大而僧正による正受戒を受けた年が次のようになっています。
・明和8年(1771)古川 林昌寺
・明和8年(1771)高山 雲龍寺
・明和9年(1771)下呂 禅昌寺
・安永4年(1775)高山 素玄寺
・安永5年(1776)古川 林昌寺
・天明2年(1782)高山 大隆寺
大而僧正が、生涯行った受戒64回のうち、上記6回が飛騨の寺院です。
また、この放火には、上州、越後、武州、下野、美濃、三州、江戸、安房となって
いますから、飛騨の寺院が多いことがわかります。
どうして、飛騨の寺院とゆかりがあるのか。誰がこの曹洞宗寺院の荒廃を大而僧正に
伝えたか、疑問の残るところですが、おそらく飛州志を書いた、長谷川忠崇代官では
ないかと思います。
安永、天明といえば、飛騨は大原代官がきっかけとなって起こった大原騒動の年度で
そのころの飛騨の政治情勢は非常に混迷を極めていました。
一方で、こうした寺院の再興がはかられたと言うことは、注目すべきことです。
今後、こういったことの解明を進めていきたいと思います。
徳積善太
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