飛州志図録の存在
久しぶりに飛州志の話題。
現在、高山陣屋に展示されている『飛州志図録』について、永年その所在がわからず、
探しておりましたが、高山市郷土館に存在することがわかりました。
これにより、飛州志押上本は12冊プラス1冊あることがわかりました。

その由来について、押上中将は、次のように述べておられます。
「此図は飛州志附録古蹟図なり。原本越後国三島郡深方村高頭仁兵衛の所蔵にして
飛州志と共に東京の古書肆に得たりと言う、想うに長谷川家由緒なる向ヶ岡宗實院
より出たるものか今富田禮彦(號位峯)を煩わし影写して余が去年長谷川家の後裔
より得たる飛州志原本付属して完本とす
大正五年二月 陸軍中将 押上森蔵 印
因に記す高頭仁兵衛は飛騨山嶽の研究家なり
原本の借覧并に影写、飛州志の購入皆な住広造
の斡旋なり
(注:住広造(高山中央印刷)は飛騨山岳会初代会長)」
徳積善太
現在、高山陣屋に展示されている『飛州志図録』について、永年その所在がわからず、
探しておりましたが、高山市郷土館に存在することがわかりました。
これにより、飛州志押上本は12冊プラス1冊あることがわかりました。
その由来について、押上中将は、次のように述べておられます。
「此図は飛州志附録古蹟図なり。原本越後国三島郡深方村高頭仁兵衛の所蔵にして
飛州志と共に東京の古書肆に得たりと言う、想うに長谷川家由緒なる向ヶ岡宗實院
より出たるものか今富田禮彦(號位峯)を煩わし影写して余が去年長谷川家の後裔
より得たる飛州志原本付属して完本とす
大正五年二月 陸軍中将 押上森蔵 印
因に記す高頭仁兵衛は飛騨山嶽の研究家なり
原本の借覧并に影写、飛州志の購入皆な住広造
の斡旋なり
(注:住広造(高山中央印刷)は飛騨山岳会初代会長)」
徳積善太