徳本上人の揮毫碑を探して(神岡編)谷_東林寺
徳本上人の石碑を探して、谷・中山地区(神岡町)にいってきました。
しかし、なかなかそこに「南無阿弥陀仏」の揮毫碑を見つけることはできませんでした。
一応、浄土宗の関係ということで、谷の東林寺にも行ってみました。

ここは、現在は無住となっており、高山の大雄寺様が管理をされております。
近くには、「撞王神社」という珍しい名前の神社がありました。この由緒はまた調べてみたいと思います。

神社の前には大変気になる石碑がありました。これは何のお像でしょうか。

東林寺の前に、「南無阿弥陀仏」の石碑がありました。しかしこれは、徳本上人のものでは
ありませんでした。天保年間に総代さんたちによって建立されたとあります。

その隣に、上人塚があります。開基の方の塚です。
調べてみますと、現在の大雄寺住職で40世になります。しかし、「創建については明らかにされて
おらず、越中国新川郡東猪谷の宝樹寺の末寺で、もと平僧地の草庵であったという。
享保年中に中興の祖とされる天龍の時、寺号を授けられ、東林寺と号した」
(『寺院風土記』)とあります。

残念ながら、徳本上人に関するものは見つけることができませんでした。
徳積善太
しかし、なかなかそこに「南無阿弥陀仏」の揮毫碑を見つけることはできませんでした。
一応、浄土宗の関係ということで、谷の東林寺にも行ってみました。

ここは、現在は無住となっており、高山の大雄寺様が管理をされております。
近くには、「撞王神社」という珍しい名前の神社がありました。この由緒はまた調べてみたいと思います。

神社の前には大変気になる石碑がありました。これは何のお像でしょうか。

東林寺の前に、「南無阿弥陀仏」の石碑がありました。しかしこれは、徳本上人のものでは
ありませんでした。天保年間に総代さんたちによって建立されたとあります。

その隣に、上人塚があります。開基の方の塚です。
調べてみますと、現在の大雄寺住職で40世になります。しかし、「創建については明らかにされて
おらず、越中国新川郡東猪谷の宝樹寺の末寺で、もと平僧地の草庵であったという。
享保年中に中興の祖とされる天龍の時、寺号を授けられ、東林寺と号した」
(『寺院風土記』)とあります。

残念ながら、徳本上人に関するものは見つけることができませんでした。
徳積善太