徳本上人の揮毫碑1_大雄寺の揮毫碑
徳本上人は紀伊国の生れ。農家の出であったが、子供の頃より宗教心篤く27歳で
出家し、道心堅固な念仏僧となった。
文化13年(1816)信州飯田に巡説の折、高山東山大雄寺の正体を受けて来錫し、
同寺において説法と念仏を唱えた。
この時は飛騨各地から大勢の人々が説法を聞くために高山にやって来たと伝えられ
ている。以来、念仏信者達の手によって飛騨各地に念仏供養碑が建てられている。
大雄寺には、こんな揮毫碑が建てられています。

徳積善太
出家し、道心堅固な念仏僧となった。
文化13年(1816)信州飯田に巡説の折、高山東山大雄寺の正体を受けて来錫し、
同寺において説法と念仏を唱えた。
この時は飛騨各地から大勢の人々が説法を聞くために高山にやって来たと伝えられ
ている。以来、念仏信者達の手によって飛騨各地に念仏供養碑が建てられている。
大雄寺には、こんな揮毫碑が建てられています。

徳積善太