手長足長の伝説について1
飛騨の伝説ではありませんが、信州諏訪の方には、有名な御神渡りについて次のような
手長足長の伝説があります。

画像は、立川流彫刻研究所にある手長足長の下絵図
「諏訪湖の伝説(民話)を語る時に欠かせないのが、諏訪の「お明神様」こと建御名方命(タケミナカタノミコト)です。
このタケミナカタと、そのお妃の八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)、そしてタケミナカタに仕える手長様と足長様に
まつわる伝説は、数多く存在しています。
________________________________________
諏訪の"明神様"は、ある年の暮れ、下諏訪にいるお妃に会いに行った帰りに、うっかり足あとを氷の上に残して
しまいました。人々はその足あとを「御神渡り」と呼ぶようになりました。
その頃、上諏訪に一人の売れない行者がいて、明神様の御神渡りをする所を見てやろうと考えていました。
そうすれば、自分が「徳の高い行者」と言われ、お客も集まるようになるだろうと考えたからです。
十二月になって氷が張り始めると、行者は毎夜湖の岸で御神渡りの始まるのを待っていました。いく日かたった
ある日、ついに"バリッ"という氷の割れる音が聞こえました。行者がいよいよだな、と思った途端、
「うん?待てよ」
という声が高い所から響き、静かになってしまいました。行者が見つかったかと身を縮めていると、先程と同じ声が
厳かに言いました。
「手長、足長はいるか」
「はい」
と二人の返事がしました。
「あの岸の下にわしの渡るのを見ようとしている者がいるようだ。とりのけて来るがよい」
「はい、かしこまりました」
そのようなやりとりがすむと、ふいに行者は腰帯をつまみ上げられました。そして、あっというまにどこかに連れ去ら
れてしまいましたので、結局御神渡りを見ることはできなかったというわけです。
この時、湖から行者を運んだのが手長と足長でした。それを命じたのはもちろん明神様です。手長、足長の二人は
明神様につかえていた神様で、その名の通りの姿をしていました。
なので、深い湖で漁をする時は、足長におぶさった手長が長い手をつっ込んで魚や貝を取り、山で狩りをする時は、
やはり手長をおぶった足長がえものを追いかけ、最後に手長がとらえるのでした。
今では、手長は上諏訪に、足長は四賀にまつられて、明神様の社を見守っています。」
各地に、いろんな伝説があるんですね。
徳積善太
手長足長の伝説があります。
画像は、立川流彫刻研究所にある手長足長の下絵図
「諏訪湖の伝説(民話)を語る時に欠かせないのが、諏訪の「お明神様」こと建御名方命(タケミナカタノミコト)です。
このタケミナカタと、そのお妃の八坂刀売命(ヤサカトメノミコト)、そしてタケミナカタに仕える手長様と足長様に
まつわる伝説は、数多く存在しています。
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諏訪の"明神様"は、ある年の暮れ、下諏訪にいるお妃に会いに行った帰りに、うっかり足あとを氷の上に残して
しまいました。人々はその足あとを「御神渡り」と呼ぶようになりました。
その頃、上諏訪に一人の売れない行者がいて、明神様の御神渡りをする所を見てやろうと考えていました。
そうすれば、自分が「徳の高い行者」と言われ、お客も集まるようになるだろうと考えたからです。
十二月になって氷が張り始めると、行者は毎夜湖の岸で御神渡りの始まるのを待っていました。いく日かたった
ある日、ついに"バリッ"という氷の割れる音が聞こえました。行者がいよいよだな、と思った途端、
「うん?待てよ」
という声が高い所から響き、静かになってしまいました。行者が見つかったかと身を縮めていると、先程と同じ声が
厳かに言いました。
「手長、足長はいるか」
「はい」
と二人の返事がしました。
「あの岸の下にわしの渡るのを見ようとしている者がいるようだ。とりのけて来るがよい」
「はい、かしこまりました」
そのようなやりとりがすむと、ふいに行者は腰帯をつまみ上げられました。そして、あっというまにどこかに連れ去ら
れてしまいましたので、結局御神渡りを見ることはできなかったというわけです。
この時、湖から行者を運んだのが手長と足長でした。それを命じたのはもちろん明神様です。手長、足長の二人は
明神様につかえていた神様で、その名の通りの姿をしていました。
なので、深い湖で漁をする時は、足長におぶさった手長が長い手をつっ込んで魚や貝を取り、山で狩りをする時は、
やはり手長をおぶった足長がえものを追いかけ、最後に手長がとらえるのでした。
今では、手長は上諏訪に、足長は四賀にまつられて、明神様の社を見守っています。」
各地に、いろんな伝説があるんですね。
徳積善太
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