江戸時代の飛騨の酒造業について3 飢饉を救った酒粕
天明の大飢饉のとき、高山の旦那衆も民衆の救済に一役買いました。
加賀屋では、酒造りにできる酒粕を、民衆に無償で食料として提供して、飢えをしのぐために
与えています。

「天明三年 三月(ママ)十二日 白川郷凶荒の為、食料として酒の粕の施與を乞ふ、
一筆啓上仕候、先以春暖相催し候処、御家内様弥御堅勝可被成御座目出度珍重奉存候、
前度ほうさうの節は御薬被下置、千萬忝仕合に奉存候、貴公様の御かげにて、皆々軽く相済
悦申候、扨御願申上候は、去年は国中一同不作にて、特に寺河戸と申所は、白川郷中の切詰
だけの村にて土地柄至て悪敷、作方去年中は一向実入不申、只今にては曾て給者無御座、
いまだ雪消不申、ほり根等も不相成申、餘命を難凌候仕合に付、何分申上兼候儀には御座候へ共、
酒のかす等にても被下置候様奉願上候、酒のかす等御くれ被下候得は、湯にふかし、のみ餘命を
つなき可申、何分奉願上候、こぬか等にても御くれ被下候様願上候、右の趣御慈悲の程、偏奉願上
候以上、
二月十二日 白川寺河戸村 助左エ門
加賀屋長右衛門様 (二木長右衛門氏所蔵)」
(出典 高山市史)
徳積善太
加賀屋では、酒造りにできる酒粕を、民衆に無償で食料として提供して、飢えをしのぐために
与えています。

「天明三年 三月(ママ)十二日 白川郷凶荒の為、食料として酒の粕の施與を乞ふ、
一筆啓上仕候、先以春暖相催し候処、御家内様弥御堅勝可被成御座目出度珍重奉存候、
前度ほうさうの節は御薬被下置、千萬忝仕合に奉存候、貴公様の御かげにて、皆々軽く相済
悦申候、扨御願申上候は、去年は国中一同不作にて、特に寺河戸と申所は、白川郷中の切詰
だけの村にて土地柄至て悪敷、作方去年中は一向実入不申、只今にては曾て給者無御座、
いまだ雪消不申、ほり根等も不相成申、餘命を難凌候仕合に付、何分申上兼候儀には御座候へ共、
酒のかす等にても被下置候様奉願上候、酒のかす等御くれ被下候得は、湯にふかし、のみ餘命を
つなき可申、何分奉願上候、こぬか等にても御くれ被下候様願上候、右の趣御慈悲の程、偏奉願上
候以上、
二月十二日 白川寺河戸村 助左エ門
加賀屋長右衛門様 (二木長右衛門氏所蔵)」
(出典 高山市史)
徳積善太