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江戸時代の飛騨の酒造業について5 寛政4年の小前帳

寛政四年に、酒造をしていたメーカーの名前が列記されています。
江戸時代の飛騨の酒造業について5 寛政4年の小前帳
これによると、酒造をしていた者による組合組織のようなものがあったのか、大きな酒造メーカーが
やっていけない小さな酒造メーカーに、酒を造って、樽を分配し、大量生産によって価格を下げた
形で、合理的にお酒を分配するシステムを造っています。

今も昔も、合理的な経営がされていたようですね。

その小前帳にある酒造メーカーの名前です。24軒が記されています。
元禄10年には89件(全飛騨)あったわけですが、大分減ってきたんでしょうね。

久保田屋弥十郎  大坂屋吉右衛門  赤田屋 新 助   赤田屋新右衛門 
千虎屋 甚 六   田中屋半右衛門  都竹屋市右衛門  中村屋 吉兵衛 
大森屋 重三郎   吉野屋 清三郎   奥田屋 小平次  佐藤屋 久兵衛 
水間屋彦右衛門  松木屋 傳兵衛   上木屋 甚四郎  加賀屋長右衛門 
土田屋小左衛門  宇野屋兵右衛門  福島屋清左衛門  長瀬屋 弥兵衛 
松本屋 茂 助   細江屋三右衛門  笠井屋 半 七   鍵 屋 與 作 
三福寺村 七蔵  同村 長右衛門  加賀屋久左衛門  谷 屋 市兵衛 
(造酒米貸借小前帳)

これが、現在では、高山に8軒、古川に2軒、神岡に1軒、萩原に1軒の12軒に
なってしまいました。
江戸時代の飛騨の酒造業について5 寛政4年の小前帳

徳積善太
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この記事へのコメント

タンタン さんのコメント

寄生地主として、いわゆる在に高山町民の土地が増えて行き、そこからの年貢を元手に酒造りをしていたと聞いたことがありますがそのあたりどうなのでしょうか?
Posted on 2008年05月29日 18:27

rekisy さんのコメント

うちの蔵も、旧川上家分家のものでしたが、蔵の天井に鍵が付いています。
これは、小作が持ってきた米の分量をはかるために、天秤ばかりを下げる為の鍵だと祖父から聞いた事があります。

いわゆる米のまたじをするために、酒を造っていたというのは、本当だと思います。
ただ、全国的に、幕府の統制で1/2令とか1/3令とか大坂に向けてだされたものを、天領である高山でも採用していたようです。
其の点は、幕府直轄地として、地元の作柄がどうであれ、全国的な作柄と米価調整のハザマにあったことは確かです。

私も伊丹の酒の歴史資料と比較して、そういうことがわかりました。
Posted on 2008年05月30日 00:59

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